三日目 星降る夜と金曜日(4)
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夢崎いわく、何やらお兄様は夢崎家がこの島にやってきてから引きこもっているそうだ。引っ越した祖父母の家にプレハブ小屋があったことが運の尽きで、お兄様はトイレと風呂以外にプレハブに籠城しているらしい。食事も家族が持って行くそうだ。
まずはライフラインを切断して兄をいぶり出す作戦と言っていた。
……いぶり出すって、害虫や害獣じゃないんだから。
電線を〝能力〟で切ると、まず大声が聞こえ、そのあと困惑した叫び声が聞こえて、そしてガチギレした叫び声がした。
そろそろ危ないかも。
そう言われて夢崎に帰宅を促された。ずっと兄を外に出したかった、ありがとう、と感謝され、あとはいぶり出した兄と家族会議を行うと言う。
帰り道、祖父のところに寄った。
サザエを焼いたら食べるか? と聞かれたので焼くまで待っていた。
炊き込みご飯とアラ汁、そしてサザエの壺焼きを受け取る。夢崎の家にも行ったので、もう日が暮れていた。
家に帰ると、家の中は荒れていた。
物という物が廊下に散乱していた。水の入ったコップでも投げたのだろうか。水が撒かれていた。割れたコップがある。やっぱりコップを投げたんだ。
『……なにが起きたの?』
慣れていない姉さんから唖然とした声がした。
たまにある。
自制が利かなくなった母親が家の中でピッチング練習をし始めるのだ。
手当たり次第その場の物を投げるから、まあこうなる。
「片付けるのだりい……」
そう、つぶやいたときだった。
「どこ行ってたの!」
母親が血相を変えて玄関まで走ってきた。自分が投げたコップの水を被ったのだろうか。あたまが濡れている。べっとりと髪が顔に貼り付いていて、不気味としか形容しようがない。
「どこって、友達んち行って、じいちゃんところで」
「こんなに遅くなったら心配するでしょ!」
「いや、それはサザエが焼けるまで待っていただけで」
「だからこんなに遅くなったら心配するでしょ!」
母親は心配するの一点張りで聞く耳を持たない。鬼婆みたいな顔して詰め寄ってくる。
俺も諦めて、「ああ、ごめん」とか「ちゃんと連絡する」とか「遅くならないようにする」とか、ヒートアップした母親の熱が冷めるまで適当な言葉でやり過ごそうとした。
けど。
パチンと耳元で音がして視界がぶれた。次第に頬が熱を帯びる。
一瞬、何かわからなったけど、すぐわかった。ビンタしてきたんだって。
は? なんで殴られんの?
母親は息を荒くして睨んでくる。
「あんたまで死んだら、また私が殺したってなるでしょう!」
は? また、私が、殺した、ってことに、なる?
どういう意味だろうか。
俺が死んだら、姉さんのときと同じで、母親としての監督責任をまた問われる、
と?
で?
も?
なんだよ、それ。
ぶたれた頬が熱かった。やけどしたみたいに熱かった。
けど、母親に言われたひと言で脳の中の方が熱くなった。
まるで脳みそが沸騰しているかのよう。鼻息が熱い。
……っざけんな。
「ふっざっけんなよマジで! こんな家散らかして言う言葉はそれかよ! ふっざけんなよ!」
気づけば夕飯を投げつけていた。母親は倒れ込み、アラ汁が廊下に撒かれる。ドン、と尻餅をつく大きな音がした。もうどうでもよかった。こんなやつ死ねばいい、むしろ死んでくれとまで思っていた。
母親の首筋に指を当て、 あとは念じるだけだ。
もうやばい。楽になりたい。
こいつを殺して、もう、終わらせたい。
鼻息が聞こえるほど、荒くなっていた。
人を殺す。
えいやで指を滑らせたらそれができる。指が震えていた。殺人という一線を越える縁に立ち、よし、と何度心の中でつぶやいても腕が動かない。まるでだれかに固定されているようだ。
ふと目の前を見ると、廊下は惨状と化していた。割れたコップ、手当たり次第投げられた、紙、ハサミ、ペン、皿、割れたコップに炊き込みご飯とアラ汁とサザエ、倒れ込んだ初老の女。玄関にはばらまかれたアラ汁から魚とみその匂いが充満する。
ぐちゃぐちゃ。
感情もぐちゃぐちゃ。
気持ち悪くなって、吐き気がした。その場にいたくなった。
逃げたかった。
来た道をUターンした。
全力で走った。
「厄日だ……マジで」
膝に手をつき呼吸を整える。
肺が痛い。血の味がする。酸素がうまく吸えてる気がしない。からだ熱い。のど乾いた。
もうすっかり夜になっていて、あたりは暗く、空には星。近くの駐車場では自販機が光っていて、財布の小銭を確認していた。指が震えて小銭が取れない。
俺は、母親を殺そうとしたのか?
寸前で止めるつもりだったのだろうか。
それとも本当に殺そうとしたのか。
たとえば台所に包丁があったとして、それで母親を切りつけるなんて考えたこともなかった。そりゃそうだろう。そんなことをやるやつなんて、あたまが沸いているか、薬をやってるか、そのくらいしか考えられない。
それが〝能力〟を手にした瞬間どうだ。
簡単に切れる。
念じて、指を滑らせるだけ。
切ったという実感なく、すっと切れる。
そう。切るという実感なく、簡単に人が切れるのだ。
「やばい。俺……あたま沸いてんな」
青木のときだってそうだ。あれも、殺せるって、すごく簡単に考えてしまった。
あたまのネジがゆっくりと狂っていく。それが不安になる。いつか取り返しのつかないことをする気がする。
『……ごめんね』
「うわっ!」
『叫ばなくていいじゃん』
「いやだって、忘れていたから」
『ずっと背中にひっついていたよ』
スライム型の姉さんがぴよっと俺の前にやってきた。自販機の光に包まれた姉さんは本当に霊体のようだった。
「ごめんって何が?」
『いや、私がいなくならなかったら、おかあさんもあんな感じにはならなくて、和也も怒らなくてよかったのかなって』
姉さんの話を聞いている最中にスマホが震えた。母親だった。無視した。
「……たしかにそうだけど。意味ない話じゃん」
『まあ、そうだけど』
またスマホが震えた。母親だった。無視した。
『出ないの?』
「出ない」
自販機で何を買おうと悩んでいるとき、またスマホが震えた。次は母親じゃなかった。
「もしもし?」
出ると、夢崎の焦る声がした。
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