一日目 モノクロームな水曜日(3)
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購買部でパンを買って屋上へ。屋上までの階段をのぼるとき、かかとを潰した上履きがぺたんぺたんと鳴った。四階分の階段を登るころには息が切れていて最後の方には膝に手をつきながら昇った。
屋上へ繋がるドアは南京錠で施錠されていた。
が、今やその南京錠は施錠の意味を成さなくなっている。
つまりは俺の〝能力〟である。俺はその南京錠のU字の部分を切って、屋上に出た。
俺の〝能力〟――それは、ものを切断する能力だった。
念じながら手刀で空間を切ると、イメージした部分が切れる。
朝からいろいろ試してみた。木だろうが、布だろうが、金属だろうが、大抵のものが切れた。
スプラッタに興味はないから人を切りつけたりはしない。が……冷蔵庫に入っていた生肉が切れたから、まあ、やろうと思ったらできるのだろう。ただ、俺は血が苦手だ。
なぜ、こんな〝能力〟が使えるようになったんだろう。
屋上の端――島が一望できる場所に腰を下ろす。
屋上は強い日差しでカンカンに熱せられていた。腰を下ろしたコンクリートも尻を焼きそうなほど熱かった。ぶわっと潮風が頬を撫でる。風が生ぬるい。
屋上には憧れがあった。屋上に出ればきっと空が近くて風が気持ちいいんだろう、なんて考えていた。
現実は違う。
尻は熱いし、風はぬるいし、日差しは強い。
じっとしていても汗が噴き出る。シャツと地肌がひっついて不快だった。
「まあ見晴らしだけは、いいよな」
学校のそばには灯台があって海がある。東の方には村役場があって、南の方には波止場と本土に繋がる橋がある。見渡す限りのド田舎である。海に囲まれ、島を出るには必ず橋を渡らないといけない。監獄のようだと思う。空は開けているのに、海は広いのに、閉鎖的。
監獄の景色は全部灰色だった。時が止まっているように感じた。
きなこ揚げパンをかじると、油の味と砂糖ときなこの味が口に広がる……わけでもなく、無味に近いほど薄味に感じて、それでも不味いと感じなくなった。味覚が変わった、ということなんだろうか。それとも、白黒の食事をすれば、みなこうなるものなのか。
「なんなんだろうな。この感覚」
太陽は頭上にのぼり、世界を白くしている。屋上のコンクリートも、遠くに見える海も、木々も砂浜も、白く、白く、色をとばしている。
景色は白黒で、食べ物は味気なくて、とくに楽しいこともあるわけでもなく、時間は止まったように感じる。
なんだろう。こんな世界。
そこのグラウンドでは陽キャたちがサッカーゴール付近でゲームをしていた。じゃんけんで負けたやつがゴールポストに手をついて尻を突き出す。ボールが尻に当たったら大爆笑。尻にぶつけられた方は怒るどころか、笑われていっしょに笑っている。個人の感情より場の盛り上がり。それが一番たいせつなんだろう。
「くだらね」
通知をOFFにしているクラスのグループLINEもそうだ。みんなで漫才でもやるように、よりおもしろくなる掛け合いを強要しているように俺には見える。いびつな関係に反吐が出る。
「なにがくだらないの?」
急に声をかけられ、屋上の縁でバランスを崩した。
あ、やばい。これは、死ぬ。なんて思ったとき、
あぶない! と夢崎が俺の手を引っ張ってくれた。俺は屋上に倒れ込み、四つん這いになる。
「あっぶねぇ……」
九死に一生を得た。まだ心臓がドキドキしていた。
「ダメだよ、こんなところに座っちゃ」
「いやいや、急に話しかけてきたのそっちでしょ」
「何していたの? 覗き? ここからプール見えるもんね」
さすがスクールカーストのトップオブトップ。こんな俺にも爽やかに茶化してくる。
「だれも泳いでいないじゃん」
「じゃあ、覗きの下見だ」
「夢崎は俺をそういうキャラにしたいのか?」
「中本くんって人に興味なさそうだから、ムッツリなくらいが親しみやすいよ」
「夢崎って俺の立ち位置わかっていないだろ」
「どういう意味?」
……こいつ、もしかして空気が読めないのか?
夢崎は屋上の端に手を置いて髪を風になびかせる。
「眺めがいいね」
「夢崎さ、いつもいっしょに食べている女子とかよかったのか? いっしょに食べなくて」
「え。私、嫌われてる?」
本気で顔を引きつらせる夢崎である。
「心配してやったのに」
思春期の交友関係は複雑で難しい。一度のミスが命とりになる。俺が今のポジションに落ちてしまったのは、たった一度のミスだった。それまではうまくやれていた。
「あしたはいっしょに食べるから大丈夫だよ。そのときはそのとき」
……ドライというか、軽んじているというか。少し、俺と似ていると思った。似ているから、危険だな、とも思った。
「夢崎ってなんというか……軽いよな」
「尻軽って意味?」
にこりと笑っているが怒っているように見える。
「ばっ! ちげえよ」
「はは、ごめんごめん。けど、私だって悩みのひとつやふたつはあるよ?」
そう夢崎は長いまつげを伏せる。
その悩みというものを聞く間柄でもないし、夢崎もその悩みを打ち明ける雰囲気ではかった。その雰囲気を察して、俺たちは互いの弱い部分を触れずにいた。それが正しい距離感なのだと思う。
「俺になにか用?」
うーん? と夢崎が首をひねる。
「朝のネクタイが切れたやつ。あれ、中本くんがやったんだよね?」
「なんのこと?」
「ありがとうね。あれ、私を守ってくれたんでしょ」
「うわ……自意識過剰……」
「お礼にひとつ教えてあげる」
俺が顔を引きつらせていると、それを無視して夢崎はニコッと笑った。
「知ってる? 彩失症候群になったら代償があるんだって」
「代償?」
聞き返して、しまった、と後悔する。
俺の反応を見てか、夢崎がにやっとした。
「だって〝能力〟だよ。人知を超えた力には代償はつきものだよ」
あのね、と夢崎は前置きして、俺に残酷な言葉を突きつけた。
「〝能力〟が使えるようになった人間は、七日で死んじゃうんだって」
「……死?」
俺が言葉を失っていると、
「それがね、〝能力〟の代償」
夢崎はニコッと笑いやがったのだ。
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