2015/08/08 オークニー諸島の宿屋

 フランがダネルたちを連れて宿へと戻ると、母と姉妹の両親がフロントで休んでいた。真ん中には小さなテーブルが置かれており、ちょうど人数分の紅茶が出されている。

「おかえり、フラン。せっかくだから、このままおやつにしましょうか」

「やったー! おやつ食べるー!」

 ダネルは一目散に手洗いうがいを済ませると、紙袋から取り出されたカップケーキを見て、キラキラと目を輝かせた。姉妹も可愛くデコレーションされたケーキを見比べながら、「わたし、ねこちゃんにする!」などと言っている。

「ありがとうございます。美味しそうなカップケーキですね」

「ここのお店のは、オークニーで一番美味しいって評判なんですよ。奥さんも旦那さんも、ぜひ食べてくださいね」

 夫婦と仲良く話をしながら、母が新しいカップに紅茶を注ぐ。新鮮な色が白を満たし、やがて子どもたちの前に置かれた。

「おいしー! ねぇ、もっとちょうだい!」

「こら、あまりがっつかないの。ダネルはいつでも食べられるんだから、少しは我慢しなさい」

「えーっ! おれ、もっと食べたいのにー!」

 ダネルは母にたしなめられると、ぷーっと頬を膨らませ、幼く駄々をこねる。その間、姉妹たちは大人しくカップケーキを食べていたが、じきに何やらひそひそと話し始めた。小さなカップケーキを何個か選び、大事そうにハンカチにくるんでいる。

「あらあら、一体何をしているの?」

「これはね、騎士のお兄ちゃんにあげる分!」

 婦人に尋ねられた姉は、楽しそうに髪を揺らした。先ほど貰った野花のお返しを、カップケーキでしようと考えたらしい。

「騎士? 誰のことだい?」

「きしはきしだよ! お馬さんにのってたの!」

 妹も一生懸命に伝えながら、馬に乗った騎士の真似をする。夫婦はその様子を見て、思わず首をかしげた。

「騎士がいるってことかい? この島に?」

「誰かが仮装しているってことかしら?」

 するとダネルが立ち上がり、「仮装じゃない! 本物だ!」と大声を出した。

「にせ者だったらすぐ分かる! でも、あの兄ちゃんは本物の騎士だよ!」

 ぶんぶんと手を振りかざし、剣術のようなポーズを見せる。どうやらこれも、その騎士が見せてくれたものらしかった。

「こうやって、かっこよく剣を振り回してたんだ! あれは絶対本物――」


「やめなさい、その話は」

 ――突如、ダネルの声を遮ったのは、冷たい目をした母だった。彼女は乱暴にティーポットを持つと、鋭い口調で再び牽制した。

「騎士なんて、この世にはいません。ふざけたことを言ってないで、さっさと紅茶を飲んでしまいなさい」

 ……明らかにおかしい母の態度に、子どもたちは当然、フランも驚きを隠せなかった。普段は温厚な母が、客の前で腹を立てている。それは実に奇妙で、また気味が悪かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

叶いがたき邂逅 中田もな @Nakata-Mona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ