第4話
「それにしても片山さん、こういうこと興味あるのって意外だ」
「え?」
「だってまあ言ったら悪いけど、普通の女子っぽかったから」
「普通の女子だけど」
「普通はこんな風に放課後の教室で実験している奴に声かけないでしょ」
「そうかな」
「声じゃなかった、蹴りだった」
「そこは謝ったじゃん」
あれ、謝ったっけ?と自分の中で疑問がわいたがとりあえず無視して私は言った。
「別に興味あったわけじゃないけど、変わったことしてたから」
「変わったことを避けないのが意外だったって思ってるんだけど」
地味にいい声でいいっぽいことを言っているのは腹が立ったが、彼の言ったことに関して、私自身はあんまり意外じゃなかった。だって、私自身が変な子だから。
「ねえ」
夕日がだんだん沈んでいくのが目に見えてわかったが、まだしばらく明るさは続きそうだった。
「小説書いてる女の子って、やっぱ変だよね?」
「なに?片山さん小説書く人?」
「そうじゃないけどさ……」
「別に変じゃないでしょ?変わってるなと思うけど」
「どっちよ」
「奇妙じゃないって意味で変じゃない。でも皆がするわけじゃないって意味で変わってる。まあ皆がすること皆がしてても仕方ないし、いいんじゃない、変わってても」
「理屈っぽい」
憎まれ口をたたいてみたけれど、自分の声音がそんなに固くないことに気が付く。
私は小説を書いていた。中学生の頃からずっと小説を書いて、ネットに投稿していた。書いていたのはありきたりなファンタジーだけれど、それでも小説を書くのは苦にならなかった。心に響く文章を勉強しようと思って、いろんなキャッチコピーや偉人の名言を調べたりした。別に小説家になりたいなんて思っているわけじゃないけれど、ただ、書くことが楽しかった。
別に私が何か言われたわけではない。別に私が何かされたわけではない。でも、私の周りの人たちは小説なんか読まない人たちで、もちろん書いたりなんか思いつきもしない人たちで。
ある日私は訊いてしまった。何気ないお昼の会話。「最近ネット小説が本になったりするよね」「あーするねー」「あれでしょ?なんかオタクっぽい」「なんか暗い人が書いてそうだよね」「いけてない男子?」「女子でも書いてたらやばいでしょ?」
私が何か言われたわけじゃない。私が何かされたわけではない。その子たちと私はフツーに友達だし、それは誰にむけたものでもない、ちょっとの悪気をふくんだだけの会話だった。
ここ数日、ずっと気持ちがもやもやしてて、皆と一緒にいるのがつらくなってきた。別に私に向けた悪気じゃなかったのに。
そしてとうとう、今日がまんができなくなってしまった。それで普段一緒に帰っている皆と一緒にならないように、理由を付けて教室へ戻ってきた。そんなことしたって、なにか解決するわけじゃないのに。
私は暗い気持ちを払おうとのんきな声を出そうと努めた。
「それにしても今日は変な一日だよ。びっくりしたじゃん」
「言っとくけど、俺の方がびっくりしてるよ。急に蹴るし」
話を逸らすことにした。
「この培地にごはん液をしみ込ませたら終わり?」
「ここから32℃で2日くらい」
「32℃?決まってるの?」
「そりゃそう。もしもかた……僕らが急に南極とかに住めって言われても死んじゃうでしょ。南極じゃなくても冷蔵庫の中とか、生きていけないし」
「菌にも快適な温度があるのね」
「そ!わかってきたね」
やっぱりむかつく。
「さて、検査の方法を一通り説明したけど、覚えてる?」
「覚えてない」
「やっぱり知性が」
「うるさい」
「検査の流れは、アルコールランプを付けたり道具を滅菌して、ごはんを水に溶かして」
「そういえばその水にも菌がいるんじゃないの?」
「もちろん滅菌したものを使うよ。それで水に溶かしたご飯をピペットで培地にうつして、コンラージ棒ですりこんで、ふたをしたら32℃で2日間置いておく」
「これで説明は終わり。何か質問はある?」
「……」
須藤君はよどみなく説明して、最後に先生がするみたいに質問を促した。
私は不思議に思っていたことがあった。どうして彼はこんなに微生物に詳しいんだろう?ただ趣味のため?好きだからってそれだけの理由で?
私の小説と違って、彼の検査は結構目立つだろう。今日私に見つかったみたいに、他の生徒の目にも付くことがあるはずだ。実際彼は変人扱いされることも多いし、無邪気な、あるいは悪意がある噂だって絶えないだろう。
それなのに、なんで彼は趣味だとか、好きだとか、それだけの理由でこんなに熱中できるのだろうか。
「ねえ。なんで須藤君はこんなことに詳しいの?」
「なんでって?」
「だって、普通の人はこんなこと勉強してないししようとも思わないじゃん。テストにも出ないし。それに変じゃん。それなのになんでそんなに詳しいの?」
そして、なんで普通と違うのにこんなに堂々としているんだろう。
私はなんで、堂々とできないんだろう。
須藤君はちょっとだけうつむいた。何か言葉を探しているようでも、落ち込んでいるようでもある。日はまだ落ち切らないけれど、それでもだんだん辺りは暗くなっていく。そよ風が教室にはいってきた。
須藤君はなにか思いついたような顔をした。そして心なしかわくわくした感じでいった。
「じゃあちょっと実際やってみようか」
「え、何を?」
「検査に決まってるじゃん」
「なんで私?」
「おもしろいよ?」
「ほんとなんで?」
「まあまあ」
なだめられてしまった。
ガチャガチャ準備を始めている。これがいそいそっていう仕草だろうか。まったく。見れば見るほど楽しそうだ。
「なんでってさ」
道具を整理しながら、須藤君は言った。屈託がない笑顔で。
「楽しいじゃん。人がしないことって。それだけでワクワクするしさ。そんだけ!」
私はおかしくなって笑ってしまった。こんな思いっきり変なことしてて、でも堂々としてて、楽しそうで。
別に普通じゃなくたって、いいじゃないか。そんな風にはまだ思えないけれど、それでもなんだか明かりが見えた気がした。
「ありがとう」
思わず言ってしまった。須藤君は不思議そうな顔をしている。
「何が?」
私はちょっとだけ明るく言う。
「言っただけ!」
夕暮れどきの教室。淡いブラスバンド部の音色。遠くから聞こえる運動部の掛け声。そして、なぜかピペットにシャーレに培地にコニカルビーカーにコンラージ棒にアルコールランプ。別に気になる男の子からメッセージなんてないけれど、多分私はそんなこと気にしないような気がした。
-了-
茜色の教室と食中毒 早雲 @takenaka-souun
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