第21話 君の匂いは、線香にかき消されてもう忘れた
視線の先で線香花火が爆ぜている。
集団からは少し離れた場所。
笑い声は聞こえるけれど何を話しているかは分からないほどの距離で、柏木は線香花火を一人で消費していた。情緒よりも目新しさと派手さを好む双子は柏木が大量に買ってきたこの趣ある花火がお気に召さなかったらしい。
バチバチと手元で火花が散る。
向こうでは、航平が選んだ家庭用の打ち上げ花火に火をつけて盛り上がっていた。自由のサメ号を新調してもらったらしく、花火の周りをグルグルと走り回っているサメが見えた。
彼女は自分がポリエステルで出来ていることを忘れているんじゃないだろうか。柏木はため息を吐くように笑って、線香花火の死骸を水の入ったバケツに投げ入れた。
ポシャンと音がする。
笑い声が弾けた。線香花火に火をつけながら視線を向けると、さっきとは花火の色が変わっていた。それにサメがはしゃぎすぎて転んだらしい。ひび希はお腹を抱えて笑っている。つづ希は航平に助け起こされたサメの体から泥を払っていた。
剥き出しの足首に火花が飛ぶ。
暗くて赤くなっているかどうかは判断が付かなかった。明日になったら水ぶくれにでもなるだろうか。早く冷やした方が後々楽だと分かっていても、立ち上がる気にはなれなかった。花火の赤い光に照らされて、サメの顔がよく見えた。表情はまったく動かないのに、仕草だけで喜んでいるのがよく分かる。
バチバチと手元で火花が散る。
ここに来るまで沈んだ様子だった航平もにこにこと楽しそうに笑っていて、柏木は安堵の吐息を吐いた。傷をつけるのはまだ早い。勇気があるのか愚かなのか、ひび希がほとんど火柱に近い打ち上げ花火で、新しい手持ち花火に火をつけていた。蝋燭の火が消えたのだろう。やっぱり七夕が酒を買いに行くとき、ライターは置いて行けと言うべきだったか。反省しつつ、柏木は手元に目を落とした。いつの間にか線香花火が死んでいる。バケツに投げ入れる。
ポシャンと音がする。
「なあ」
背後に七夕が立った。
「ん?」
新しい線香花火に火をつけながら答える。視線を向けると彼の好みではない甘ったるい缶チューハイが右手に握られていた。左手には缶ビール。汐野が、どうにかなってしまいそうな現実に押しつぶされそうな時、いつも飲んでいた物と同じ缶チューハイだった。
懐かしくて。
懐かしいなんて感じるほど彼女との日々を思い出に昇華している自分が気持ち悪くて、吐き気がした。
手元で夏が爆ぜていた。
「共犯になってやろうか」
夏が足元に落ちた。
全然違う人なのに、一瞬だけ七夕が汐野に重なった。未練がましい自分に吐き気がした。どこかの田んぼで鳴いている蛙の声が聞こえた。
夏だった。
彼女の居ない、馬鹿らしいくらい綺麗な夏だった。
彼女が居ないせいで、何もかも不完全な夏だった。
出会う前に戻っただけなのに、何もかもを不完全に感じる夏だった。
湧き上がってきた涙を飲みこんで、七夕から視線を逸らす。嘘がもう全部バレてしまった事も、知った上で一緒に背負うと言ってくれていることも、柏木にはよく分かっていた。
七夕の手を取って、嘘を塗り重ねて、冬の悲劇に幕を引く。それが一番正しい選択だと知っていた。それが一番みんなの傷を浅く済ませる方法だと知っていた。
手を取れば、嘘は嘘のままで死に、柏木は誰にも裁かれない。きっとそのまま時間が経って、今心臓を焼いている後悔も過去の物になる。
傷は柏木の望みとは正反対に時間が勝手に癒して。
汐野凪珊が死んだことを忘れていられる時間が増えて。
夏の匂いに、彼女の季節の訪れに、いちいち傷つく必要なんてなくなる。
そんな未来を、七夕が柏木にとって最良だと信じている事を知っていた。いつだって柏木は傷だらけの大きな手に守られている。
死んだ夏をバケツの中に投げ入れた。
ポシャンと音がする。
「七くん下戸でしょ」
戸棚にウイスキーの瓶をコレクションしている男相手にそう呟いて、柏木は新しい線香花火に火をつけた。
バチバチと手元で火花が爆ぜる。
視線の先では、サメが手持ち花火を振り回している。簡単な言葉すら伝えられずに取りこぼした幸せは、夏の中でまだ息をしていた。
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