第5話 「知りたい」には弱い
サメはおさげの少女に抱えられて、白い廊下を歩いていた。何も知らずに迷い込んだら確実に病院だと勘違いするであろう、リノリウムの白い床。ついでにいうと壁も、床から一メートルくらいの所に取り付けられた手すりも白い。
病院だったら病室に当たる部分は幽霊や妖を専門に研究している科学者のラボになっているらしい。幽霊と科学とはなんとも不可思議な組み合わせだ。
通りすがりに見た感じ、室内も無機質に白い。ここに居る人は白に囲まれていないと死ぬ病か何かなのだろうか。サメはそろそろ白色が嫌いになりそうだ。
白で統一されすぎた空間に内心で顔をしかめていると、つづ希が不意に足を止めた。後ろから付いて来ていたひび希が前に回って、扉を開く。横開きなところまで似ているらしい。先に入ったひび希と航平に続いてつづ希とサメも中に足を踏み入れる。
内装は予想通り真っ白で、サメは「病院じゃん」と心の中だけで叫んだ。
「あ? どうした、んなゾロゾロ揃って。検診の日じゃねえだろ」
金色の長髪を頭の後ろで無造作にまとめた男が回転式の椅子ごとサメの方に視線を向けた。この人がここに来る前にひび希が話していた
切れ長の青い目を細めて、じっくりと観察される。居心地の悪さにサメは少女の腕の中で身じろいだ。
「へえ。そいつが噂の動くサメか?」
「うん。まこ君にも何か分かんないって言うから、七先生に調べて貰おうと思って」
七夕の問いかけにひび希が答えて、乱暴な仕草でサメのヒレを掴む。そのまま七先生と呼ばれた人物の元へと放った。つかの間の浮遊。悲鳴を上げる間もなく、サメは男の膝の上に着地する。近くで見たその人は大層綺麗な顔をしていた。サメは思わずヒレで顔を覆う。
手が短すぎて効果はなかった。
「ほーん?」
七夕はサメの頭頂部を鷲掴みにすると宙に吊るようにして持った。サメの尾びれが僅かばかりの抵抗を示して揺れる。どうしてこうサメに対する扱いが雑なんだろうか。やはりサメ権を明確にして、侵害しないよう訴えるべきかもしれない。
届け出るべき役所はとんと検討がつかないが。
「なんか気持ち悪くない? 七先生」
ひび希がオブラートを忘れた問いかけを投げる。サメのHPはもうゼロに近い。
「喋るサメだぞ? 不気味以外の何物でもねえだろ」
そんなにはっきり不気味とか言わないで欲しい。とりあえず顔が良いので許すけれども。
「うーん、そうじゃなくてさぁ」
「中身の話ならされても分かんねえぞ。俺には見えん」
唸りながら言語化を試みる少年の言葉をぶった切って、七夕は立ち上がった。ついでにサメの視線もズン、と高くなる。水面に打ち上げられた魚のように尾びれが激しく揺れた。こうなる前は高所恐怖症だったのかもしれない。
「暴れんな」
低く呟いて、男はサメの尾ひれを強く掴んだ。横抱きの姿勢になる。これは俗に言うお姫様抱っこという奴だろうか。
意外とときめかない。
少女漫画のヒロインなら真っ赤になって花でも散らしているころだろうし、読者もそれをにやけながら見守っているのだろうが、今姫抱きにされているのはサメである。
本人はもちろん、外野にもときめいた者は居なかった。
「航平」
部屋の奥にある機械の前に立って、男はくせっ毛の少年を呼んだ。サメは歯医者さんの診察台によく似た場所に横たえられる。違うのは頭の真上に見えるのがライトではなく、天井から伸びる無数のコードであることだけだ。
あと、エプロンがない。
呼ばれてやってきた航平は何も聞かずにサメの頭にコードが繋がったクリップを止めていく。結構痛い。男はその間にデスクの上のパソコンを操作し始めた。
阿吽の呼吸、という感じだ。
「終わった」
サメの全身にいくつものクリップを取り付けて、航平は男に合図を出す。
「離れとけ」
パソコンの操作を終え、男がサメの頭の近くに立つ。肉体を脱ぎ捨てて天上を目指す女体の意匠が描かれたツマミを回すと、近くのモニターに波状の線が映し出される。
「ゔぁ」
サメの全身がピリピリと痛む。耐えられないほどではないが、苦痛に全身を蝕まれて、サメは短く悲鳴をあげた。
「おい」
サメに触れようとした航平を男が視線で制した。「死ぬぞ」恐ろしい言葉が頭の上を飛んで行って、サメは身を竦める。人間が触って死ぬような何かを、説明もなしに流さないで欲しい。うっかり死んだらどうしてくれるんだ。
いや、今も生きているか自信はないけれど。
「もーいいぞ」
ビリビリとした感覚が消える。サメはふぅ、と深く息を吐いた。航平が丁寧にひとつずつクリップを外してくれる。こういう優しさが人望の理由だろう。
「結果は? 妖? 幽霊?」
ひび希がモニターに駆け寄る。七夕は小さくため息を吐いて、少年の額を押さえながらパソコンに何かを打ち込んでいった。ピピピ、と音がして計器の下から紙が出てくる。どうやら下にプリンターが付いているらしい。
長方形の中に、折れ線グラフが書かれている。縦軸にも横軸にも具体的な数字はなく、ただ横軸と平行に色分けがしてある。一番下は白。真ん中は紫。ここに折れ線グラフが行儀よく収まっている。一番上は黄色だ。
サメには何が書いてあるのかさっぱり分からない。
「こりゃあ、幽霊だろうな。妖はもっと線の位置が高い」
「霊力多いから?」
「そ。縦軸は霊力の量。横はつか、この折れ線は…………人間だと鼓動みてえなもんだな」
「へえ。幽霊ってこんなに霊力低いんだね」
「だから慎にしか見えねえんだろ。霊力の量はまんま視力だからな。多けりゃ多いほど、見えるもんも多い。少ない奴は見えねえもんのが多い」
「ふぅん。七先生は? そんな多くないんでしょ? 妖も見えない?」
「物による。三十以上喰ってて力ある奴ぁ見えるし、そうじゃねえ奴は見えねえよ。つか、最初にあったとき言ったろ」
「聞いてなかったもん」
ひび希は悪びれもせずに答える。
「あのぉ、いいですか? その、ええと、サメ、死んでるんです?」
サメは両ヒレをぐにぐにと合わせながら七夕を見た。
「当たり前だろ。つか、生きてる人間の中身がサメの人形に詰め込まれてる方が悲劇だっての」
「確かに」
顔に見惚れていたので何を言っているのかはまるで分からなかったが、とりあえず頷いていく。
「誰かは分かんないの?」
蚊帳の外だったつづ希がひび希の隣に立って紙を覗き込みながら言った。
「さぁな。記憶がねえってんなら、幽霊の欠片かもしんねえけど」
「サメが誰か分かるんです?!」
サメは診察台の上で勢いよく体を起こした。切れ長の目がサメを捕らえる。
顔が良い。
「調べる方法はある。お前、本気で自分が何者か知りてえか?」
真っすぐ、射抜くように見つめられてサメは前のめりになって答えた。
「知りたいです。自分が誰かも分からないのは、気持ち悪いです」
勢い余って頭から床に落下する。航平に拾い上げられて、七夕と視線の高さが合う。男は首の後ろをかきながら、深くため息を吐いた。
「……分かった。調べとくから、三日後にまた来い」
サメはパッと顔を輝かせた。ような気分になる。実際には真顔でヒレをバタバタと上下に動かしているだけだ。それでも喜びは十分に伝わったらしく、耳元で航平が小さく笑う。
「お前、元気な奴だな」
サメはその笑みを見て、どういう訳だか泣きそうになった。
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