晦日1

月が欠け、そして満ちる。

月の妖精は気まぐれで、気ままだ。まるで、猫のように。時に飼い主にじゃれついたかと思うと、引っ掻く。不機嫌な訳ではない。意味などない。意味があるとすれば、それが生きているということの証明だと言うこと。したいように生きる、それだけのこと。


長毛の尻尾がふさふさと揺れる。

すっかり満ちた月の光を受け、その尾が消え、すらりとした肢体が現れる。

女は湖畔のそばで、両手を広げ眼を閉じる。

構成を練っているのだ。それは緻密、精緻、少しの誤差もない座標を描き出し、そして繋げる。マーガが扱う妖精術には、三種類ある。地風火水のような属性を伴う根源術、治癒精神系などの創生術。術を使うために必要なユルの消費が少なくてすむ分、葉や物を準備しなければならない補助術。

女が今構成しているのは、創生術に分類される、《転移》。しかし、大抵は力不足のため、短距離になることが殆どだ。長距離は巨大な法石施設なら可能だが、膨大な力を必要とするのと技術上の問題から、殆ど存在しない。つまり、マーガ一人であれなんであれ、ここまでの大規模なものには出会うことはない。


それは、この国の補佐役のマーガにも出来ないことだ。それを難なく、目の前の存在は成し遂げてしまう。


「おばあ様」

「野暮ねぇ。アンタの見送りは要らないよ」


更々と、黒髪がなびく。おばあ様と呼ばれた女のつり上がったまなじりは、彼女を見つめこそしないが、確かに彼女を捉えている。


「勝手にしゃしゃり出てきたのは、おばあ様であろう。エレージュは平気なのか?」


抗議をする彼女の緩やかに巻かれた黒髪が揺れる。感情的に肩を怒らせる彼女を、女はつまらなそうに一瞥した。


「何を今更。見捨てたのはアンタ達だろうに」

「妹は捨てておらぬ。私は災厄を切り捨てたのだ」


彼女の言葉に、女は落胆を顕にする。こめかみを押さえて項垂れる。


「ロヴァルにもう少しお灸を据えてもらってた方が良いねぇ」

「何がいいたいのかの」

「道理で12協定など持ち出す馬鹿だよ。アンタ身体ばっかり大きくなって、ちっとも成長しちゃいない」


つい先ほど、ロヴァルが叱ったらしいことは女は知っている。12協定を出してロヴァルをアウローラから引き離したらしい彼女を、しっかり絞ってくれたらしいが。というのも、ロヴァルはイーフェの企みがわかっていてルテオラに向かった。万が一12協定の話が本当であってはいけないので、急ぎで行って、すぐに引き返してきたのだ。

情緒面やらはまだまだ足りないらしい。

昔から腕に自信があったのがいけなかった。姉妹の中で随一といわれた根源術が、もともと規律だのに厳しかった彼女を苛烈にさせていた。それが、もともとの情緒面を更に足りなくさせている。妹の心配はするが、弟のことは災厄と切り捨てる。


女は頭が痛くなってきたので、考えるのはやめた。

構成はもう出来上がっている。女は一歩、湖畔に向けて足を踏み出した。水面には月が映っている。


「あんな高級な導具。あれがなきゃ遅れを取る未熟者さね」


フェルドレの生体兵器は厄介だが、追い詰められたのは、傲りがあったからだ。油断していたから、ブリオンを失った。

彼女が、ぐ、と堪えるのが分かる。まだ若いから、感情もろくに隠せない。


「あれは、ロヴァルが勝手にやったのだ」

「蝕に間に合わなかったのは奴のミスだね。嘘とわかってても万が一あっては不味いとはいえ。レグルスも存外しつこい男だよ」

「なぜ、そのことを」


イエライから渡された紙袋に、導具と蝕の日に帰還する言伝てが入っていたことを、彼女は誰にも話していなかった。

ルテオラの王レグルスは、ロヴァルのことを慕っている。父親の件があったからかなのかはわからないが、ロヴァルを尊敬しているらしい。レグルスはロヴァルの滞在を求め、ロヴァルは下手を打てなかったのだ。そのせいで蝕には間に合わなかった。

それにしても、彼女にはロヴァルが何故蝕の日にかえるなどと言い出したのかわからなかった。だが、今、薄々思い当たっている。


「アタシが教えたからさ。ロヴァルに。《未来視》で見たからねぇ」


女は、何てことないように言った。

彼女は歯噛みした。道理で、時期良く介入できた訳だ。創生術に関しては、女の方が上手だ。なにも言うことができない。

《未来視》は、見ようと思って見えるものではない。偶然の産物のようなものだ。それを同時期にみることもある。精度は人それぞれだが、女の方が正確にみたのかもしれない。


女は湖に足を踏み入れた。


「さて。アンタに構ってられない。そろそろエレージュと代わってやらないと」


女には、彼女のことはどうでもよかった。それよりも気がかりなのは、思い詰めた青い瞳の方だ。


「アスト。無理しちゃダメだよ」


光が女を包み込む。細い身体が透けて、足元から存在が薄くなっていく。口にして、彼女は消えた。



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