望月4

月は丸く、真円を描く。

昼間の雨は止んでいて、薄雲が広がる。薄雲によって、煌々と輝く月はその光を緩め、仄かなプリズムを放つに留まっている。


太陽翼の中央。広場、庭園、木々や畑で構成されている中庭。四方を建物に囲まれているそこの中心部にある、噴水。噴水には石像が三体。それぞれに、太陽と月と星を手に持った妖精達が、水辺で遊んでいる。噴水の近くには迷路のように腰までの丈の植物が植えられている。以前蕾の多かった花は、満開になっていた。

その少し先。木々に囲まれた石碑の前。イーフェに召集をかけられて、イエライ、バレリアン、リア、ジュニパー、ジュビリーとジュード、その配下にある騎士達、侍従のなかで腕に覚えがあるものが集まった。違和感を覚えるとすれば、リアはいつものお仕着せではなく、落ち着いた色のドレスを纏っていた。


「どうしてジュニパー様がここに?」

「連れていけと煩かったのだ。私も守りきれないといったのだが」


リアの問いに、イーフェが答える。ジュニパーは手枷も何もつけず、そこに立ってリアを睨みつけていた。

イーフェは法石をあちこちに設置していた。法石により庭は照らされ、互いの顔は確認できる。イーフェは腕と額には見たこともない導具をつけていた。これらの準備をするために姿を消したのだろうか。

ブリオンのことを知っているのだろうか。イエライは話をふれずにいた。どことなく聞きづらい。マーナガルム以外にも変な老人がいたことも言えていない。恐らく騎士団もあの場にいたから、あらましは知っているだろう。そのうえでブリオンについて、イーフェは言及しないのだ。


「マーナガルムの封印石って、ここだったんですね」

「そうだ」


確か、アリストロはこの石碑の前にいた。あの時には既に封印は解けていた。何を思ってここに立っていたんだろう。

イーフェは手早く準備を終えたようで、石碑に近づいた。石碑の中心に、僅かな光が漏れ、浮かんでいる。


「矢張な。結界が割れ始めておる。もうすぐ来るぞ」

「結界?」

「リリーが展開した光だ。あれが二つの結界を形成し、一つは彼女達を守るため、一つはこの石にその他のものを封印するために展開された。だが、完璧に封印するには足りなかった。石碑の結界が劣化しているかもしれぬ」

「なるほど」


イエライが感心していると、イーフェが眉をひそめる。黙った彼女に、何事かとイエライは顔をあげた。


「元はデイジー姫の部屋に置いていたあの法石。覚えがあろう」

「法石…ああ!」


デイジーの部屋を片付けた時のあれか、と、イエライは音を立てて手を打った。確か、ヴォルフのところに持っていったが、ポケットにいれたままになっていた。いつの間にか無くなっているが、気に止めていなかった。知らずにリリーが持ってきて、結界を発動させたのだろう。


「イエライ、何故あれを持ち出した?あれが正しく作用していれば、この前の襲撃で楽にデイジーを守れただろうに」


正しく作用する。その意味を煩悶しないでもなかったが、詰問するイーフェに、イエライは目をしばたかせた。そして疑問を、素直に口にした。


「道具箱に所在なく置かれてたので、要らないのかと」

「何?」


イーフェは目線をさ迷わせ、やがてある方向に投げた。イーフェが釘付けになった、そこには一人の女性が立っていた。彼女はにっこりと口角をあげた。だがその瞳は細く引き結ばれた程度に動いただけで、それ以上でも以下でもない。何の感情も読み取れなかった。


「リア、そなた」


イーフェの瞳が揺れる。リアは縛っていた髪を解いた。亜麻色の髪が金色に変わっていく。


「来るぞ」


動揺を叱咤したのはジュービリーだ。

イーフェはリアから目を離して、身構える。金の腕輪がしゃんと音を立てた。それが合図なのか、法石から光が線になって現れる。それらによって、ジュニパーとリアを覆う結界が展開される。

石碑の中央、光が漏れていたそこにぽっかりと穴が開き、そこから靄が立ち込める。一人の影が浮き出てきた。それは、見覚えのある、腰の曲がった姿だった。白髪の老人、フェルドレと名乗っていたか。


「あれがそうか」


ジュビリーが構える。

老人はほっほ、と焦ることなく腕輪に触れる。老人の周囲に黒い靄がかかり、狼の群れが突如として飛び出してきた。狼を倒しながら、ジュードが老人に向けて槍を投擲する。だが、フェルドレに触れる手前で屈折して落ちた。同様に騎士団の何名かも石つぶてを投擲したが、見えない壁でもあるように屈折して退けられた。


「干渉しない、結界か?」

「良い線をいっておるわ。だが違う。しかし」


フェルドレが口角をあげる。窪んだ眼窩には光が一切入らない。銃で起こった爆風に、白い毛が靡き、漂う。そのせいで表情は見えにくいのに、確かにわかる。嗤っている。不気味に歪んだその表情はうすら寒いものがあり、思わずイエライは後ずさる。


「我にかまう間に、見えないものにも注意を払いたまえ」


フェルドレがそう零すと同時に、イーフェが動いた。地面から土が盛り上がり、何かを串刺しにする。それらの血が飛び散る。返り血が何かを染めた。闇のなか、靄のようにゆらりと揺れ動くそれは、尾だ。


「尻尾?」

「うわあぁあ」


誰かが呟き意識したのと、一人の騎士が叫び声をあげるのが同時だった。尾をもつもの、見えない狼が、彼の手足に嚙みついたのだ。剣を取り落とした騎士は、一瞬で真っ赤に染まる。


「助けてくれぇ!」


腕は振り払うことができたが、噛みつかれた足は解くことが出来ない騎士は、慌てふためいた。何が起こっているのか分からない。足が痛い。千切れそうだ。訳の分からない叫び声をあげた。

混乱は瞬時に訪れる。

石碑の周辺が法石の光で照らされているとはいえ、夜。石の設置されていない場所には少なからず死角もある。見えづらい闇に、ステルス機能の相互作用。臆病、懸念、疑心の心理を的確についている。いかな屈強な戦士も見えぬ敵と闘いなれているかといえば、そうではないだろう。そして恐怖は伝心しやすい。

足を千切られた騎士が、残った手を騎士たちに向ける。それを皮切りに、強張っていた騎士たちが一斉に動き出す。


「に、逃げろ!」

「た、助けないと。どうしたら」

「見えないのにどうやって!!」

「く、食われる」


倒れた騎士をそっちのけで、彼らは我先にと隊列の内側へと逃げ込んだ。後方を守る騎士たちに動揺が走り、隊列が乱れる。


「ははははははははははっははっははははは」


フェルドレが哄笑する。目が双方に反対の方向に向いているような、窪んだ目の奥はわからないが、どす黒い光が走ったように見えた。

イーフェが術を仕掛ける。炎が彼を囲んだ。中心に向かって燃え上っていくが、フェルドレには届かない。戦局は芳しくない。


「無駄無駄。それより良いのかの?あ奴らがどうなっても?」


フェルドレが示した先には、騎士たちがいた。彼らの一部は完全に混乱していた。集団で固まっているために、狼は騎士たちをこぞって狙っている。見えないことで混乱が最高潮に達している。痛み。焦燥。極度の緊張。脳が疲労を覚え、彼らは逃げ道を探していた。ただ回避行動しかとれない。それで精一杯なのだ。


「助けてくれぇ!」

「イエライ様!何とかしてください!!」


逃げ惑う騎士の一人が、叫ぶ。バレリアンがイエライを隠すように前に出て、不機嫌そうに顔を歪める。それは一気に伝播した。


「そうだ、イエライ様ならマーナガルムを静められる」

「お願いします、イエライ様!」


ジュニパーの一件で、月の犠牲の話は城内で広がった。勿論、それでイエライが命を落とすことも公然と知られてしまったが、その件ついては解釈が二極化している。フェンネルの誤解が伝わっているため、死なないと思っている輩が多いのだ。対価があることなど、彼らにとっては審議の余地はない。力があるなら使ってくれ。それが上に立つものだろう。死を前に、見境はない。

彼らは、隊列が完全に崩壊していた。混乱から醜い人間の本質を晒し、なりふり構わず助けを求める。フェルドレはそ彼らの有り様にほくそ笑む。


「まあ、救う価値はないのかもしれんのぅ」

「そうかもしれんな」


イーフェが自嘲気味に笑う。王を、民を守る騎士として訓練を受けたものが、易きに流されている。最初に声をあげた騎士は、扇動者(アジテーター)となっていた。うねりは大きくなり、彼らは、もう狼などどうでもよくなっていた。扇動者はイエライに向けて詰め寄ろうとする。

その時、扇動者である騎士の鳩尾をめがけ、柄で殴って昏倒させるものがいた。


「見苦しい。騎士の風上にもおけん」


ジュビリーだ。彼は狼を警戒しながら、扇動者を次々と黙らせていく。そして真面目に狼と対峙するもの達を鼓舞する。阿鼻叫喚の中で、ジュビリーの凛とした声が響く。


「狼の死体を切り裂け。周囲に血をばら撒くんだ。撒けば撒くほどいい。そうすれば彼らはいつか血の上を歩く。其処を仕留めろ」


ジュビリーは剣を構えた。法石の灯りの中、血をたどって確実に獲物を仕留めていく。そうやって、鍛えられた動体視力で、狼たちを寄せ付けない。全ての騎士たちがそう出来る訳ではなかった。しかし、力を合わせ、恐怖に支配されていた心を立ち直らせていく。


「さて、新鮮ではないが…成熟したこの匂い。間違いない、《太陽》だ」


思ったより近くに、フェルドレの声がして、イエライは心臓が跳ねる。バチン、と音がした。何かの攻撃を仕掛けられ、耳飾りの守りが発動したらしい。そして、その傍らには、ブルーグレイの瞳の、一際大きな狼がいた。


「太…陽?」


イエライは反芻する。フェルドレの言葉の意味が分からなかった。太陽は、デイジーはこの場にはいない。フェルドレは、目的をもって歩を進めている。その先には。


「リア、出るなよ」


騎士団の隊列が乱れ、結界以外の守りがなくなり剥き出しになったリアを庇うように、イーフェが降り立つ。


「見覚えがある。リア・スーラ・コールダー!ああ、リア・ソール・カスラーンになったのだったかな。道理で」

「リア・ソール・カスラーン?」


イエライは、その名前に聞き覚えがあった。一般に流通している書物の中では、省略されてしまった名前。


その名前の人物は、母親が卑しい出だったため、家名を与えられなかった。生まれた時にはなかった太陽の痣が、後天的に突如浮かび上がったことにより、後にカスラーンの名を与えられた。

後天性というには、疑わしい点がいくつかある。むしろ痣は最初からあって、何らかの術によって隠されていた可能性の方が高い。正妻の娘に月の痣が、息子には痣が無かった。妾腹の子供が祝福され、王位を揺るがす場合、起こる混乱は想像に易い。

後天性を疑う材料の最も有力な説は、彼女の母親は文字遊びをしていたというのだ。娘の名前に、太陽を彷彿とさせる花の名を混ぜた。ダリアを。陽を受けて天高くを目指し突きあがる薄紅の花は、太陽そのもの。正妻に向かって、我が子を《太陽》と叫びたかったのだろう、と。これもこじつけといえばこじつけではある。

時の第一王子はアジュガ・ストルトス・カスラーン。第一王女はドラセナ・ピエリス・マーニ・カスラーン。ドラセナは、《月》の祝福を受けていた。

《月》は消え、《太陽》は残る。そうして皆が戻ってきたと完結する、あのアジュガ戦記は、時の第一王子の名前をとったものだった。アジュガは、第一王女ドラセナと深い関係にあったと言われている。だからこそ《太陽》と共にマーナガルムに立ち向かい、やりこめた偉大な王。


イエライはリアを見た。金の髪は、アウローラの《太陽》の証でもある。リアが、数百年前の《太陽》。昔、マーナガルムをやり込めた。その人が此処にいるということは。


(希望が、ある?)


同じ様に、マーナガルムを退けられるかもしれない。

疑問は、何故現在ここにいるのか。普通に考えれば生きているはずがない。考えられるのは、呪いか祝福か分からないが、何かのきっかけで不老不死になったのか。だが、それはない。イエライの記憶の中で、彼女は年を重ねている。


「《月》は後でもう一度食せばよかろう。まず《太陽》を食して、《完全》になるのだ」


フェルドレのその言葉に、かっと脳に血が上った男がいた。

バレリアンだ。彼は手にしていた鞭をしならせる。先に棘がついている長いそれは、フェルドレではなく、ヴォルフガングを狙っていた。首を狙っていたようだが、あっさりと狼はその一撃を避ける。バレリアンは追撃できなかった。見えない狼が彼を襲って来たのだ。


「いくがいい。ヴォルフ。なぁに、あのお嬢ちゃんは我が仕留めてやろう」


フェルドレが飛んだ。曲がった腰のまま、宙に浮いたという方が正しいか。そして腕輪に触れる。黒い枠のようなものがイーフェの足元に出現した。しかしイーフェは出現する前に既に横に飛んでいた。


「成程。小さな結界をすべての地面に張り巡らせ、導具で感知能力を高めたか。小賢しい」


フェルドレが、周囲に配置された法石を忌々し気に見る。それを事前に察知したのか。そして黒い枠が無効化され、萎んでいく。


「出現場所が分かれば、避けるのはたやすい」


イーフェの髪が揺れる。

腕に付けた導具がぼんやりと光り、数多の光球がイーフェの周囲を覆うように出現する。次の瞬間には光球が揺らぎ、それぞれ軌道を描いてフェルドレに突っ込んでいく。

リアの前方があいた。ヴォルフが駆ける。バレリアンは戻れない。結界を挟んでいるとはいえ、リアとヴォルフ、双方の距離が詰まる。その前に。


「ヴォルフ」


イエライが立つ。

月は、薄雲からすっかり抜け出して、イエライを眩しいほどに照らしていた。まるで標的がここだといわんばかりに。

光に誘われたのかどうか。ヴォルフは止まらない。なにも見えていないのか、顔色一つ変えない。それから喉を食いちぎろうとして牙をむき出しにして唸り、身を屈める。


鮮血が舞った。

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