望月3

イエライが呟くのと同時に、ラーレが叫んでいた。

ラーレは泣きぬれた瞳で、きらきらとイーフェを見上げる。


場の空気が変わった。

イエライ達を抑えていた侍従たちが離る。駆け付けた門兵が、倒れているもの達を救助すべきか考えあぐねている。イエライはバレリアンを振り返った。バレリアンは以前のような、何処かつかめない胡散臭い笑顔を貼り付けていた。イーフェの存在が、バレリアンに余裕を取り戻させていた。


「やはり、その娘が罪を被らされたか」

「イーフェ様は分かってくださるのですね!そうなんです、私」

「そなたは黙っておれ。話がややこしくなる」


イーフェはラーレに釘を刺し、黙らせる。ここでラーレに構っていると、彼女の気が済むまでとまらないだろう。いつまでも彼女の世話で終わってしまう。イーフェは賢明な判断をした。


「ジュニパーよ。残念ながらこの件と、マーナガルムの件は繋がっておる。それに、地下水路の事件もな」


イーフェが、会議場から出てきたジュニパーを窘める。ジュニパーが心外とばかりに片眉をあげた。


「証拠は揃っている」

「それで前も失敗した。そなたは変わらず傲慢よの。歴史を繰り返すつもりか。大事なことが見えていないとまた失うことになるというのに」

「何だと」


ジュニパーが剣呑な雰囲気を帯びる。


「地下水路の事件を隠して何になる?そこにそなたのお気に入りが関わっておったからか?」

「何のことだ」


ジュニパーの態度に、イーフェは嘆息した。

雨脚が強くなる。侍従がラーレを近くの屋根の下に避難させた。バンダもビデンスを出来るだけラーレの近くにと連れていく。野次馬は己の投げた石でケガをしたものもおり、その多くは門兵によって運ばれていった。扇動者であったエルムは無傷で雨を避けている。イーフェは何か術を使っているのか、雨には濡れていない。彼女は続けた。


「最古参の議員ともいわれながら、時代に溶け込めず殆ど蟄居しておったそなたが、最近は月例会に顔を出すようになった。そのお気に入りの御蔭で烏兎会に居場所が出来たからであろう」

「想像力が逞しいな。貴殿の妄想だろう」


ジュニパーが、鼻で笑う。


「大方、昔話を聞かせてくれとでもせがまれたか。相手は情報通らしいな。そなたの秘密を知っていた」

「何が言いたい」

「手にも負えない怪物の封印を解いたのは、そなたが口を滑らせたからであろう」

「まさか」


初めてジュニパーの顔に焦りが表れる。口元に手を当て、そんなはずはないと自問する。その姿は年齢より老けて見えた。


「かの者の狙いは、この国をひっくり返すこと。それが国の滅亡となることも知らぬ愚か者なだけだ。そんなものに心を預けるとは、本当に学習しない。血のつながったものを、何故そこまで蔑ろに」


イーフェが更に畳みかけようとしたが、リアがジュニパーの前に進み出た。


「そこまでです。イーフェ様」

「リア。ジュニパーに何か言うことは無いのか」

「もう、報告しております」


しゃんと背筋を伸ばして、リアはイーフェに向き合った。とても侍女とは思えない威圧感がそこにはあった。イーフェが訝し気な表情をする。


「封印石の前にいたのは、アリストロ殿下だと報告しました。まさか、殿下がこんな大それたことをするなんて」


リアの発言に、残っていた野次馬、ラーレやビデンスが肩をびくつかせ、その視線は自然と一所に集まっていく。会議場からの出口の方向だ。

ジュニパーの近くに、彼はいた。


「お、俺は」


アリストロは、視線をさ迷わせた。だが四方八方のその視線は冷たいもので、居心地が悪い。今まで彼をちやほや持て囃していた議員も、冷ややかな目を向ける。


「まさか、身内の死を、願ったのか」


誰かが、そう呟いた。


「違う!皆、兄さんばっかり可哀想可哀想って言うから。可哀想なのは俺だ。俺は祝福を受けれなかった。月と太陽の影だ」


アリストロは必死だった。必死に皆に訴えた。だが、それに比例するかのように、アリストロが口にすればするほど、周りの視線は冷めていった。


「そんなに痣が欲しかったのか?」


イエライは、突然のアリストロの告白に、ポツリと零した。

何を言っているのか自分でも分からなかった。こんなもの欲しければくれてやる。これのせいでずっと苦しんできた。この痣の本質も知らないで。あまりにも浅慮だ。頭を金槌で強くたたかれたかのような衝撃に、足元が覚束なくなる。イエライは震える足とは逆に、拳を握りこめた。


「俺は兄さんに認められたかった。兄さんに、皆に外れと思われたくなかった。認めて欲しかったんだ。もし。もし、皆がやっつけられない化物を俺が倒したら、皆が認めてくれるだろうって。だから、」

「誰がそんなことを」


バレリアンが眉間に皺を寄せる。

アリストロはもう、お構いなしになっていた。幼いながら自分が仕出かしたことの重大さが染みたというよりは、初めて受ける冷遇に戸惑い、懼れ、何とか逃げ出したい一心だ。問われたことに素直に答えれば赦してくれるのかと縋っているような素直さで、躊躇いなく指をさした。


「その女だよ。デイジー付きの侍女だ」

「わ、私じゃないわ」


指先の一番手前にいた、出血の治療が終わったばかりのラーレが首を振る。彼女は白い肌に赤と青の痣を残したまま、勢いよく隣を睨みつけた。


「あなた、貴方でしょう?いつも上から目線で私の仕事にケチをつけて。しまいにはあることないこと吹聴してたの、私、分かってるのよ」

「わ、私、そんな」


ベラが涙を浮かべて近くの侍女に泣きついた。泣きつかれた侍女の目つきが険しくなる。


「違う、その女でもない。そっちの女だ」


アリストロが指さした方向には、矢張り、ベラとラーレがいた。いや、ベラとラーレの他に、もう一人侍女がいた。ベラに泣きつかれている侍女だ。


「ごめんなさい、フェンネル。もう、隠せないわ」


冷たいような、贖罪を求める声。それは、ベラの頭上から発せられた。彼女は自身に泣きついているベラの肩を掴んで押しのけた。


「え?」


ベラの顔が引きつる。

歩き出したエルムが向かう先には、手を差し伸べているフェンネルがいた。優男の彼が、いつもより穏やかな笑みを向けて、そこに立っていた。


「いいんだ。君に無理をさせてしまったのは、僕のせいだ」

「どういうことなの」


フェンネル・サンガ―が手を差し伸べたのは、妻であるベラ・サンガ―ではない。

エルムはその手を誇らしげにとって、彼の腕の中に納まった。そして二人は互いを慈しむ様にしばし見つめ合った。指を絡ませて手をつなぎ、何かを決意した二人は包容をやめた。二人はジュニパーに頭を下げる。


「このようなことになり、申し訳ございません」

「謀ったのか、フェンネル」


ジュニパーが顔をしかめる。


「一度、賭けてみたかったのです。僕は貴方の庇護で平和にやり過ごすより、学歴でもなく実力で、誰よりも勝っていると、試したかった。今の体制では、白兎の塔出身者が全てを牛耳ってしまう。この矛盾を正したかった」


フェンネルはアリストロに向き直り、再び頭を下げる。


「殿下が劣等感をお持ちなのは判っていました。いくら優秀でもデイジー様とイエライ様がいる限り王にはなれない。祝福の痣の矛盾に悩んでおられたことも。貴方なら我々の気持ちに同意してくださる。貴方が引けないように、共犯になっていただこうと考えたのです。マーナガルムが現れた時、上手くさばけず申し訳ありません」


フェンネルが胸を押さえて俯いた。アリストロは震えたまま、フェンネルの懺悔に耳を傾け、それをエルムが心配そうに見つめる。


「白兎の塔は牛耳ってなどいない。現に議員には他の学舎の出身者もいるだろう」


フェンネルの訴えに、ビデンスが異を唱える。


「ご存じないでしょうが、白兎出身者以外には、下積み時代があるのです。その数年の差がキャリアの差になる。決して追いつけない差に。そして下積み時代に上に逆らえば、どんな有能でも蹴落とされてしまう。夢を諦めた友人はたくさんいます」

「そんなことは無い。お前がいる」


台本を読んでいるかの如く、すらすらと述べるフェンネルに、ビデンスはお粗末な反論しか返せない。体調が万全でないこともだが、単純に、フェンネルに裏切られていたという事実が、彼の脳の働きを阻害していた。


「僕が表舞台にたてるのは、貴方やジュニパー様の後ろ楯があるからだ。バンダもね。貴方は珍しく、草案や報告書の下地を作成する白兎出身者でしたから、余計に分からなかったのでしょうね」

「私を貶めたかったのか」


ビデンスが弱弱しく噛みつく。フェンネルは首を振った。その瞳は蔑みや憐れみの色が見当たらない。憎んでいる白兎である筈のビデンスに、フェンネルは真摯な態度を貫いている。


「下働きなど他の白兎出身者はそんなことをしません。だから、貴方のことは憎めなかった。貴方を落とすつもりはなかった。だが、国を混乱させれば、自分にもチャンスが巡ると思っていた」

「ラーレの悪い噂を流したのもそのためか」


ビデンスの低い声に、フェンネルは弾かれたように顔をあげた。


「その件は、何度も誤解だと。といっても、この状況で貴方には通じないのかもしれないが。僕は貴方の妹、ラーレを救いたかった。信じてもらえないでしょうが、混乱に乗じて逃がすつもりだった」

「己の罪を被せてか」

「こんなことになるとは思わなかった。貴方に相談された時は、本当にそれを解決しようとだけ考えていたのに」

「それで。お前たちは何故イエライ様を狙った」


バレリアンが、ビデンスとフェンネルの間に割って入った。淡々としているが、その表情は何処か凍り付いていて、アリストロが壁際で竦みあがる。イーフェはいつの間にかイエライの近くにいて様子を見ている。


「イエライ様は、マーナガルムを退けられるでしょう。その前に狙われていると分かれば、護衛もついて危険が少なくなると思っていました」

「ザントマンは危険な賭けだと思いますよ」


バレリアンがフェンネルに釘を指す。フェンネルは首を振った。


「僕の計算では、デイジー様の処方されている薬の効果は数分から数時間。直後にでも飲まない限りは大丈夫なのです」


自信満々に言い放つフェンネルに、バレリアンは冷たい視線を向けた。


「愚かな。デイジー様の薬は常用すれば効能が増し、身体に残留する期間は長くなる。イエライ様自身の薬学経験が道を開き、体力が薬に打ち克っただけのこと。助かったのは奇跡なんですよ」

「そんな。僕の計算では」


バレリアンが告げた事実に、フェンネルが狼狽える。さらに続けようとしたバレリアンを、イーフェがバレリアンの胸に手を当てて制した。


「頭だけの計算では当てにならないということだ。あと、マーナガルムを退ける、だったか」

「はい、《月》の祝福はそういうものだと、リア様が」


フェンネルの言葉に、ジュニパーの身体が揺れ、リアを睨み付ける。イーフェは知っていたのか無表情だ。


「《月》の祝福は確かにマーナガルムを退ける。だが、使えば死ぬ」

「力の制御が出来れば、或いは太陽が力を貸せば助かるのでしょう?」

「それはジュニパーの入れ知恵かの」

「太陽の助けに関しては、ジュニパー様から聞きました」

「ジュニパー。お前はそこまで…リアが憎かったのだな」


苦々しくジュニパーを一瞥するイーフェに、フェンネルが愕然とした。


「まさか…お二人がおっしゃったのは事実ではないと」


がくりと膝を折って項垂れるフェンネルを、エルムが支えた。二人はどこからどう見ても信頼し合っている。他に入る隙が無い。妻でさえも。


「どういうことか、説明、して」


ベラは天を突く茎の太い花のように、しゃんと前を向いた。いつも貼り付けているような笑顔ではなく、真顔でフェンネルを見つめる。


「漸くその顔が見えた。そうだ。お前の御蔭でジュニパー様と親しくなったんだったな。僕とエルムが良い仲だって、知らなかっただろう。誰よりも情報収集が得意なお前が」


項垂れていたフェンネルが、ベラを目の前にして持ち直した。嘲るようにベラを見据える。その態度は夫婦のそれではなかった。


「仕事が速くて気配りが出来る。人畜無害のように振舞いながら、犯罪すれすれの盗み見や覗きまでしているなんてな。最も、エルムのことが知れればお前が何をするかわからないから、見つからないよう細心の注意を払ってきた」

「ひどい。どうしてそんなことをいうの」


ベラが、弱弱しく涙を浮かべる。サラサラの髪を左右に揺らして、手で顔を覆った。


「それもウソ泣きだろう?ベラ。僕はお前が怖い。気味が悪いんだ。ビデンス様が相談に来たよ。妹に悪い噂があるって。確かに彼女自身の問題もあった。彼女の被害妄想で神経をやられた人がいたとかね」


彼女のその様に一切心を動かすことなく、フェンネルは一気に話す。ベラが顔をあげた。涙に濡れた顔を隠さずに。


「けれど、いわれのないものもあった。僕は噂の出所を調べた」


フェンネルが傍らの存在を気にかける。隣にいるエルムが、小さく頷いた。


「実に巧妙だった。お前は小さな波紋を彼女らに与えて大きくしたね。エルムの協力がなければ、今もわからなかっただろう。僕はお前のためにビデンスに謝ったよ。お前が嫌いでやめさせられた元侍女達や、侍従にも。皆左遷先で無能のレッテルを貼られ、教えても無駄と仕事をさせて貰えず辞めていった。お前はずっと…笑っていた。害のない、無垢な笑顔で」

「辞めたい人が辞めたのよ」


ベラは先ほどまで泣いていたとは思えないほど、はっきりとそう言葉を紡いだ。呂律が回らない、鼻声、そういった複合的な音は一切なかった。


「中には少し障害を持っている人もいて、仕事がなくて生活が困窮してたよ。いつもお前の後始末をしていると虚しくなる。お前は自分に責任がないと思っている。お前の目的は何だ。自分が注目されたいのか?」

「どうかしてる。子どももいるのよ。子育てが大変な時期に、あなた父親なのに。それもわからなくなってしまったの?どうして」


そして、ベラは顔を覆って再び泣く。だが、誰もその傍には寄ろうとしなかった。


「子供が大変だと?よくもそんなことを。おまえは親に任せきりだろう。ああ、そうだ。僕はお前のそういうところに辟易してたんだ。自分を棚にあげて常識で人を責め立てる。それなのに」


フェンネルが、隣のエルムに向き合う。そうしてその手を優しく包み込んだ。


「エルム、すまない。僕も君にそうしていたんだな。いくら愛に餓えていたかといって、赦されることじゃない」

「いいえ。私も、あなたを止められなかった」


フェンネルとエルムは周囲を気にせず二人の世界を作る。イーフェもバレリアンも呆れて顔を見合わせ、イーフェが首を横に振った。


「ラ-レ。君は知らぬ内に利用されたことに変わりはない。自室待機とする。フェンネルら二人は牢へ。アリストロ殿下とジュニパー様は…塔へ」


バレリアンがそう告げると侍従がフェンネルとエルムを拘束していく。それから近くに来ていた門兵に引き渡される。ラ-レは侍従に手を引かれ、星翼の自室へと連れていかれるのだろう。

アリストロとジュニパーは、ラ-レがいたあの塔へ連れていかれるのだろう。ジュニパーは神妙に、といった感で侍従に肩を預ける。


「満足かリア。姉を殺し私にこのような…もういいか」


リアの前を通りすぎたジュニパーが、力なく呟く。

侍従に手を掴まれたアリストロが不安げに視線をさ迷わせた。アリストロの瞳がイエライを捉える。縋るように向けられたそれは、先ほどのラ-レの瞳に似ていて、非なるものだ。

イエライはその瞳に引かれるように足を踏み出して。

いつの間にか隣にいたバレリアンに手をとられ、引き留められた。


「リア。協力して貰うぞ。そなたには断る権利はない」


やけにそのイーフェの声がはっきりと聞き取れて、イエライは首をかしげる。

イエライには引き摺られていくアリストロを見送ることは叶わなかった。



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