待宵月1


「イエライ様。こちらです」


目の前を歩くバレリアンが、小さな扉の前で止まった。城の東、右翼である星翼の端に近い場所にある、孤立した塔。その最上階の扉に、彼はイエライを案内してくれた。


「何の足しにもならないでしょうが」

「少しでも情報が欲しいのです」

「ジュビリーが事前に軽く尋問したようですが、全く収穫がなかったそうですよ」

「報告書は読んでいます」


イエライはここに来るまでに、一通りは目を通してきた。バレリアンに鍛えられたお陰で、書類で苦労することはなくなっていたのだが、その報告書は所々が意味不明だった。


「お読みであればお気づきでしょうが、尋問に対して非協力的で、どうも噛み合わないのです。私めもご一緒した方が良いと思うのですが」


片眼鏡を整えながら、バレリアンが髪をかきあげた。いつもは笑っている目元がどこかはりつめたものがある。数日前に、城に現れた侵入者の後始末で、バレリアンは駆けずり回っていた。決して他人に疲れを見せることはないが、いつもの余裕があるようには思えなかった。

アリストロは自信喪失といったところか。それでも持ち直していて、バレリアンやフェルドレを手伝っている。フェンネルとアリストロの怪我は、表面上は癒えていた。全快にはイーフェの力が必要だったが、不在なのだ。

アストは、もっとひどい。気丈に振舞っているが、時折糸の切れた人形のように遠くを見つめている。母親も気にしているが、彼女は侵入者の後始末に追われていて、彼にかまってられないようだ。日に日にやつれ、顔色が悪くなるアストに、どうしてやることもできない。

だからこそ、自分が出来ることをやるべきだと、イエライは気合を入れた。


「いえ、僕一人で行きます」

「…では、ここで控えていますが、何かあれば法石でご連絡ください。イーフェがいない今、殿下に何かあれば、私めは陛下に顔向けできません」


バレリアンの真剣な表情に、イエライは頷いた。

アストがああなってしまった一番大きい原因が、ブリオンのことだろう。そして、デイジー。

デイジーの行方は知れない。無事であればいいのだが、フェルドレという老人と一緒に消えていて、デイジーは死んだのだと城内でも吹聴されている。騎士団で捜索隊が組まれているらしいが、イーフェとブリオンも行方不明ということもあって、中々足並みがそろわない。それで一番の犠牲となっているのが、バレリアンだ。現在、全ての責任がバレリアンの肩にかかっている。


「ご苦労様です」


小さな扉には二人の兵が立っていた。二人は第一騎士団、ジュビリーの精鋭だ。彼らは扉の前を塞ぐよう互いに重ね合わせていた槍を解いて、イエライを迎えた。

扉をあけ、細い通路を抜ける。


報告書には、ラ-レが単独でことに及んだとあった。

容疑はザントマンの混入だけで、地下水路の事件については全く触れられてなかった。

イーフェは二つの事件が繋がっていて、犯人は複数だといっていた。だが報告書には共犯者の名前はなかった。一つ目の事件すらなかったことになっている。ブリオンは蝙蝠がマーガの術だと言っていた。甘い匂いがするとも。当然ながらそれらには触れられていない。


通路の先に一人の騎士が控えていて、彼の傍らに二、三段の階段があり、その上に鍵付きの扉があった。小さな茶色の鍵を鍵穴に刺し、騎士が扉を開く。

目の前の扉には上部は部屋の様子が窺える程度の格子と配膳口があり、短い距離を空けた二重の扉になっている。騎士が入ってきた扉を閉める。それからはじめの鍵とは違う鍵を壁の中から取りだし、鍵穴に差した。

部屋は城にあるものと遜色ない造りであったが、明確に違うのは窓の質だ。石壁には小さな窓が嵌め込まれ、自殺の防止のために格子がはめられている。

良くみればそれ以外にも違和感はある。例えば布団や座布団、ソファなどに使われている布類は全て縫い込まれていて、解いて布に戻すことは難しく、刃物は一切ない。


そのソファに腰かけて、彼女は突然の来訪者に驚く。長い髪が揺れる。彼女はさっと身を翻して、イエライに頭を下げた。


「イエライ様、どうしてここに」

「君に話を聞きに来たんだ」

「イエライ様は分かってくださったんですね」


角度によっては亜麻色に見える、明るく柔らかな茶色の髪をさらさらと左右に振りながら、彼女はイエライを下から覗き込んだ。


「分かる?」


気分が悪い。直感的なそれに、今すぐに部屋を出たい気分になったが、ここで引き下がればバレリアンを説得した意味がない。


「私がなにも悪いことをしていないということです。変な噂を流されて、陥れられたんです」

「ラ-レ。君が茶葉を変えたことは事実だといっていたよね」

「私はただ保管庫に取りに行ったのです。あれが害のあるものだなんて知らなかったのです」


彼女は薄いベージュのドレスを着ていた。濡れると色が濃くなる生地のようで、泣き濡らして袖の色が変わっている。ずっと泣いていたのだろうか。神妙な態度を見せながら、ラ-レは続けた。


「誰かが説明してくれたら、知っていたらそんなことはしなかった」


喉の奥ででかかった言葉を、イエライは飲み込んだ。

彼女が目に涙をためる。泣き出して、途中で言葉が聞き取りづらい。イエライは彼女にソファにかけるように促し、ラ-レがしばし落ち着くのを待った。


「そうです、私、いつもベラに議員控え室の茶葉を変えるよう、本当はベラの仕事なのに押し付けられていたんです。こんなことになるなんて」


彼女の瞳から涙が一粒流れ落ちる。


「君の今の状況は、僕も配慮するものがあると思っている」

「分かってくださるんですね。私の扱いは不当なものだって。私がこんなところに閉じ込められるなら、ベラだって閉じ込められるべきですよね」

「君は、デイジー付きの侍女だったよね」


思ったより冷たい声が出て、イエライは自分自身驚いた。イエライの中で我慢していたものが切れそうになっているのに、ラ-レは気付かずに、はい、と誇らしげに答えた。


「君の目の前で、デイジーが消えた」

「どういう意味ですか?」

「君は、デイジーが消えたのに気にならないんだ」


潤んだ瞳はそのまま、ラーレは両手を祈るように組んだ。


「ずっと気になってましたけれど、イエライ様が普通にされているので、ご無事だったのだと思って」

「君はビデンスに守られていたけれど、たくさんの人が倒れたのを見ていただろう」


ラ-レは黙った。意味がわからないのか、口に出して不味いと思ったのか。


「そういうことを、囚われた身で、聞いて良いものだとは思いませんでした」

「そういうことは、聞いて良いか悪いかということではない、かな」


とても年上の女性を相手にしているとは思えない。イエライは近くの椅子を引き出して、其処に腰かけた。


「こんなところにというけれど、君の処遇は厚待遇だ。食事も衣服も、城で出されるものと同じ。風呂も水道も不便はないだろう。ここは王侯貴族や高官用の留置室だ。そんな中で、君は自分が陥れられたことしか考えず、自分が悲劇だと嘆いているの?」

「違います」

「どう違うの」


間髪いれず否定を口にした彼女に、イエライも素早く返す。ラ-レは喰いぎみにイエライに突っかかる。


「私の言うことなんて、誰も相手にしないし、聞いても教えてくれない。誰も何もしてくれないでしょう?それに、そういうこと聞いて、別に疚しくもないことを詮索されるのもどうかとも思いますし。だから聞いても無駄だと思ったんです」

「無駄なことなんてない」


イエライは軽く頭痛がする。過去の自分もこんなに偏屈だっただろうか。偏屈だったかもしれない。


「聞いてもらえたんですか?私はここで訴えても、誰も相手にしてくれなかったのに」

「言い換えようか。君が無駄という定義に、君の思い通りにならないことが含まれるなら、君と話しているこの時間も、無駄と言えば無駄になるだろう。言わなければ伝わらないんだ。君が伝えなければ誰も君が聞きたいことなんて解らない」

「…すみません」


ラ-レは漸く謝罪を口にした。


「それは、何の謝罪?」

「デイジー様のこと、無神経でした」


イエライは善悪を決めたり、謝罪を求めにここに来たわけではない。だが、要らないことだとは思いつつも、言わずにいられない。言わなければ伝わらない。彼女は誤解している。


「僕は、甘いのかもしれないけれど。人を殺されたりしない限りは、謝ったら許そうと思ってる」


ラーレがぱっと顔をあげる。イエライは続けた。


「だって、謝って赦されないなら、謝ることに意味がない。何回謝れば許せるかとか、謝り方が悪いとか、そういうものでもない。時間はかかっても、最後には僕は君を赦す。でもそれは君のためじゃなく僕のためだ。僕が人を赦せる人でありたいからだ」


ラ-レはイエライを真っ直ぐにみている。

それは期待の表れだ。あの言葉を待っている。自分を赦してくれる言葉を。それが当たり前に与えられると思っている。よくも悪くも、彼女は自分の欲望に素直で忠実だ。それが悪いと思わないし、求めるものを口にしてやるのは簡単だ。彼女はそれで喜ぶだろう。


「けれど一つだけ。君は、少なくとも謝る態度ではないよ」


別に、デイジーを気にかけていないと責めるつもりもない。それをイエライに言わせたのは、小さな違和感だ。彼女は確かに被害者であり、悪人ではない。

だが、彼女がそれに気付かなければ、同じことを繰り返していくだろう。城にいなければ問題はない。しかし、彼女が無罪放免になれば、そうもいかない。同じ問題を起こせば、これをまた摘み取らねばならない可能性がある。


「謝っているのに、ですか。謝り方が悪いということですか?」


案の定、彼女は不満気に眉を寄せた。

彼女に悪意はない。ただ、感情を露骨にみせているだけなのだ。それも、構わないことだ。放っておけば良い。人をただそうとすることなど、本人が受け入れなければ、それこそ無駄な労力なのだから。それに、人をただすこと自体がおこがましいものだ。


「君は、人に赦される前に君の中で既に赦されてるんじゃないかな。分かっていて、僕は君を赦す。僕が赦すといっても、君の中では大したことないんだろうと思うけれどね。赦さないといった場合は別かもしれない」


それでもイエライが彼女にお節介を働くのは、少し前の愚かな自分を重ね合わせたからだ。

あの時のあの諫言がなければ、イエライはこんな風に物を考えていなかった。イエライは己が長く生きられると期待していない、自暴自棄になっていた時期があった。だが、今はそれもマシになっていると思っている。それは、色々な人がイエライにお節介を焼いてくれたからだ。今まで生かされてきた意味は何だ。今しか果たせないかも知れないからするべきだ。今出来ることをしていたい。いつどうなるかなんて、誰にも分からないのだから。そう考えられるようになったのは、彼らのおかげだ。

だから、自分も誰かに返したいと思う。それが、彼女の考えるきっかけになれば良いと、単純に思ったからというのが、一番の理由かもしれない。

彼女は、誰にもそれを教えてもらわなかった。誰も教えてくれるようなものではないからだ。そして、今後誰も彼女には教えないのかもしれない。何故なら彼女の人生がどうなろうと、他人は知ったことではないし、愚かなままの方が利用しやすいからだ。


「どういうことですか。赦してくれないんですか?」

「赦すよ」


あからさまに苛立ちを隠さないラ-レに、イエライは苦笑した。

兄の溺愛ぶりからも分かるように、彼女は相当に不自由なく育ったのかもしれない。そして、皆が彼女の言うことと反発しなかったのだろう。反発すれば、彼女が面倒な事を言い出すと分かっていれば、自ずとそうなるのかもしれない。


「意味が解らないです」

「伝わらないのは、予想してた。でもそれはそれでいい」


別に、ラ-レを変えようと思っているわけではない。ただ、彼女に誰も気付かせてくれる人がいないということが寂しくて、いらぬお節介、老婆心が働いただけだ。


「わからないままでいいということですか?」

「そうはいってないよ」

「何がしたいんですか?」

「さあね。ただ、君に伝えたかっただけかな」


これは餞別のようなものだ。イエライから彼女に与えるものは、後にも先にも、これっきりだ。

分かってもらおうとは思っていない。彼女の思想を変えたいわけじゃない。人の思想を変えるのは、非常に骨の折れることだ。それが対立するなら尚更。イエライが彼女にその手間をかけるには、時間がもうない。そして、それをするほどイエライは彼女に情があるわけでもない。


「意味がないことをするんですね」


ラ-レが納得できないと、納得できないものをいたずらに口にするイエライを責め、険を募らせていく。彼女が怒ったところでどうということもない。彼女に何の得にもならないのに、刺々しさを隠すこともしないのが、単純に不思議だった。彼女にはイエライが敵に見えているのだろう。意にそぐわないことを言う人間を嫌うことは、当然の理といえる。


「私がこうなること、ベラは、分かっていてそうしたのかもしれません」


突然、ラ-レは切り返した。当然だが、ベラもマーガではない。共犯の可能性があるとしても、蝙蝠の問題が解決しない。発言の意図を測りかねて、イエライは首を捻った。


「どうだろう。僕にはわからないな」

「ベラって、自分より他人が目立つのが嫌いなんです」

「それは本人から聞いたの?」

「見てたら解るじゃないですか」

「それは解っているのかな」


何が言いたいのか分からず、イエライは捻った首をさらに捻る。


「誰がどういう人間か、分かりますよ」

「それ、分かってるなら、今ここに君はいないと思うよ」


思わず、正直が口をついて出てしまった。今のは失言だ。取り繕う暇もなく、ラーレが目を剥いた。


「私ははめられたんです」

「その可能性は否定できないね」

「なのに、寄ってたかって私だけが罪人になっているんですよ?身に覚えのないことで。本当に悪い人には罰が当たっていないのはおかしいです」

「それは気の毒だとは思うよ。けれどまだ犯人は見つかっていないよね」


ラ-レはベラを巻き込みたいらしい。勢いにのまれそうになりながら、イエライはそれをかわそうとするが、押されていた。最初に思ったこととは違う方向に事態は動いていて、これは言う必要のないことだ。反応が読めず、イエライは言葉を選びながら戦々恐々とする。


「誰が悪いのか、わかりきっているじゃないですか」

「わかる?」

「当事者ですから、私が一番よく知っているんです」


きっぱり言いきったラ-レに、イエライは頭を抱えたくなった。


「そうかもしれないけれど。君だって100%さらけ出してないのに、相手は全部さらけ出してくれてるの?少なくとも君より賢いから、君ははめられたんだろう。そんな人の一時の言動で、それが真実かどうか、君は解るの?」


人の事なんて、その人そのものにならないと分かりはしない。解る、といえるのは唯一自分だけで、それすらも危うい時がある。それだけ不確かなものなのだ。


「何が言いたいんですか?人を陥れる人間を賢いなんて、私は思いません」

「倫理観はいいよ。そもそも相手の真実って、本当に必要なもの?真偽がわかったところで、君は何を手にするの?君の不安を解消するためだけに、相手にだけ求める、それで何が残る」


ラ-レのそういうところが、本当に不安になる。人を動揺させる。

人には触れて良い領域とそうでない場合があり、そこに土足で踏み込まれれば拒絶反応を起こす。それを考えてばかりだと、身動きが取れなくなるのは事実だ。しかし、ある程度の節度が必要なこともある。ラ-レの詮索は、そういったところも含めていて、人の配慮の外、思ってもみないところにある。後者の場合、それは全く自分に答えのない領域で、どうして良いか解らなくなる。ラ-レは、臆面なくイエライをみた。


「それはダメなことですか?」

「時には必要だと思うよ。君が人と縁を繋ぐこともあるだろう。けれど、それは相手を選ばないと。誰も彼も根掘り葉掘りじゃあ、ちょっと周りは引くんじゃないかな」


実際、イエライは聞きたいことが聞けていない。だが、もうそれで良いと思った。彼女からは情報が聞けそうにない。いや、彼女がこの調子だと、彼女は利用されたと言っていても、明確な事実を持っていない。彼女の見解という憶測だらけで、何一つ証拠も手がかりにもならないだろう。

部屋を出たイエライを待つバレリアンが、呆れた顔をする未来が予想できる。


「査問の前に君に会えてよかった」


追いすがるラーレを見ないようにして、イエライは足早に部屋を出た。

待ち受けた騎士がすぐに扉を閉め、次の扉を開く。ラーレが何か食い下がっているようだったが、走り出るように二つ目の扉をくぐり、嘆息する。廻廊は、行きよりもずっと長く感じた。結局聞きたいことが聞けなかった。これ以上話すのが辛いから、出てきてしまった

三番目の扉をくぐると、バレリアンがそこで何時もの胡散臭い笑顔を貼り付けていた。


「殿下、御納得いかれたようですね」

「ああ」

「ジュビリーも同じ顔をしておりましたよ」

「彼に蜂蜜酒(ミード)でも渡しておいてくれ」


頭を押さえながら、バレリアンの前を通り過ぎる。

一呼吸おいて、バレリアンは弾けるように笑った。何がツボに嵌まったのか、腹を抱えて壁を打つ。近くに控えていた騎士二人も、ぎょっとしている。

バレリアンが笑うことに面食らっていたのは、イエライもだ。しかし、長い。そんなに笑うことでもないだろう。蜂蜜酒は疲労回復が望めるものだ。たっぷりの時間を費やし、そろそろムッとした感情が顔に出てしまってるであろう頃合いに、いい加減にしろとイエライは立ち止っていた足を動かし始める。バレリアンは笑うのをやめた。それからイエライに追随し、彼はふわりと笑う。これも初めて見る類のものだった。


「ジュビリーにはムーサ産の良い茶葉でも渡しておきましょう。あいつは下戸ですから」

「…嬉しそうだな」

「イエライ様もまだ子供なのだと安心しただけですよ」


バレリアンはそういって、イエライを大股で抜かして前に出て、階段を降り始める。その背中を見送りながら、がっくりとイエライは項垂れた。



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