淡月2

少年が反射的に顔をあげる。少女が、凛として、それでいて静かに言葉を紡ぐ。朱い瞳に凛とした光を宿して。


「そんなもの、人間が創り出したまやかしかもしれない。あるいはお前自身がそう思い込んでいるから呪いになることもある」

「随分気楽な呪いだな」


皮肉たっぷりに、少年は口角を上げた。もう、挑発に乗ってやるつもりはない。


「もし、ありもしない虚言に踊らされて、どうにもならないと思い込まされていたとしたら?」

「虚言?それは有難い。きっとこの内乱も虚言だろう?」

「お前は何かしたのか?呪いを避けるために」

「してもしなくても結果は同じだ」

「何もせずに死んでやるのか。抗うのは無駄か?抗わずに死ぬ方が無駄か?なにも残らないぞ」


のらりくらりとかわす少年に、今度は少女が苛立った。止めに来た二人は、黙って見守っているままだ。


「抗ってもどうしようもないことだ。そもそも何も残らないし、残らない方がいい。知らない方が幸せなこともある」

「お前の兄弟も親も、見捨てるのか」


少年の表情が変わる。少年は苦しんでいるそれを、自ら創り出しているとは思ってはいない。だが、諦めていた。それだけだ。しかし、なぜそれが周りを苦しめる事になるのか。


「お前はお前が死んで悲しむものがいないと思っているかもしれないが、私はそうは思わない」


少女は続けた。


「残されたものはそれで良いのか。死のうと、何も残らずとも幸せだと」

「そうだ」

「それで、これ見よがしに死ぬのか?矛盾しているな。知らない方がいいと言いながら、誰かに気付いてもらうのを期待しているのか」


赤い、赤い澄んだ瞳が脳裏に灼き付く。


「人に頼るなとも、頼れともいわない。だが、他人に期待するな。期待は自分にだけしておけ。そうすれば、怖いものなどない。過度に傷つかなくて済む」


ふと、父親の顔が浮かんだ。月並みだと自嘲する。別に父の事が特別にどうこういう感情はない。感傷も。ただ、少年に触れる父の手は、世間のいう絶対的王、偉大なる王という力強さはない。父はいつも、畏れながら、壊れ物を扱うように少年に触れる。

それに、いつも気付かないふりをしていた。父はどう思っているのだろう。死ぬ予定の息子に愛情を注ぐのが怖いのか。息子の死が迫るのが怖いのか。遅かれ早かれ人は死ぬというのに。それを畏れることを、愚かだと笑い飛ばせるだろうか。


沈黙が訪れる。

少女はそれで終わり、と剣を拾うと、踵を返して火から離れていった。少女の姿が闇にとける。


「待てよ、アスレイ!」


茶色の髪の少年が、慌てて彼女を追いかける。

炎がパチパチと爆ぜて、砂を蹴る足音がやけに耳にこびり付いた。そこに、足音もなく、灰色の髪の少年が近づいた。


「イエライ、だったかな」


灰色の髪の少年は冷えた視線を、少年に送った。


「警告しておく。あいつにちょっかいを出すと、怖い人を敵に回すぞ」


彼は一旦言葉をくぎって、嘆息した。

それは少年に対する落胆ではない。彼は女に手をあげるものは許さないといった、フェミニストではない。少年が知る限り、彼は無口で、好んで他人への介入をするような男ではない筈だ。厄介事に巻き込まれた友人を見えないところで助けるようなことはあっても、率先して動くほうではない。いつも茶髪の少年に振り回されている印象がある。

そんな彼が、何故だか警告という言葉を使ったことを、少年は訝しんだ。


「それは《千槍》が?」

「いいや。師匠はそんな器用じゃない」


灰色の髪の少年は、軍神と名高い《千槍》を捉まえて、不器用だと言ってのける。


「知っていると思うが、アスレイは凶眼だ」

「そうはいっても、目の色の問題だけだろう?実際に」

「目を開いたその時に、殺されかけた」


彼はごく自然なことを口にするかのように、平然と少年に聞かせた。意図せず少年の喉が鳴る。それが聞こえない訳ではないだろう、分かっていて彼は続けた。


「同じ苦しみを持つものからの忠告くらい、素直に聞け」


彼は、少年の肩をポンポンと叩いて、少女たちが消えていった方へ、足を向けた。残された少年は、少し混乱していた。


彼らのことは何も知らない。何らかの恩義がイニティウムにあったのかもしれない。援軍を決めた父ロヴァルが、いつになく神妙な顔をしていた。イーフェが「全部吹き飛ばすから」の一言でしめた。王が動くことは出来ず、名目上大使の役割を押し付けられ、ついてきただけだったのに。

父はかわいそうな息子のことを憐れんでも、都合のいい時には利用する。その為にここに立たされたと思っていた。


そうして、泣いた。

自分を憐れんでではない。

単純に嬉しかった。

彼らと過ごしたのは、ほんの短い時間だ。何も知るはずのない、馴れ合いの関係のない彼らであったからかもしれない。もし、自分を知っている者であれば、知った顔で勇気づけただろう。馴れ合うものであれば、心にもないことを薄っぺらい言葉にしたかもしれないし、その場しのぎで同情だけを寄せたかもしれない。

いずれでもないことが、余計な猜疑心や不信感を生まずに済んだ。

誰かが助けてくれるのを期待していたのか。期待してはいないが、何処かに甘えがあった。誰かが助けてくれたら。気づいてくれたら。救い出してくれたら。

そして、自分には何も出来ないと高を括った。

どうにもならないことかもしれない。抗ったって、叶うとも限らない。だが、叶わなかったとしてもいい。生きた証になるだろうか。誰かの助けになるだろうか。

少年は諦めていたことを自覚している。何もしないでいる方が潔いと思っていた。無駄なことをして足掻くのは見苦しい。そう思っていた。


父は、知っていたかもしれない。呪われて尚、強く生きるものに、引き合わせようとしたのかもしれない。でもそれは可能性の話であって、父が少年をどうこうするために大使にしたわけではないだろう。もし、彼女に会わせるためだったとしたら、やり方が回りくどすぎる。だが、偶然でも引き合う可能性を求めていたかもしれない。それだけの話だ。


少年は、拭ってもまた溢れる涙に、頭痛を覚悟した。



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