淡月1

烈風が吹き荒ぶ。


「第一部隊は前に。加護を持つものは、風の防御を展開しろ」


云うが早いか、何千何万の黒い針金が、空を裂き進む。その勢いは衰えを知らずある一方向を目指す。即ち、敵を穿つために放たれた針金。羽を持ち、先は鋼に返しがついている。それは矢だ。

その矢の先には、軍隊がいた。軍隊は、加護の力で周囲を守った。風の守りにより、矢は軍隊には到達しない。

その軍隊から少し外れたところに、一人の少年がいた。少年は無防備に立っていた。軍隊の風の守りが届かないところに。矢の嵐が少年に降り注ぐ。


その前に、銀髪の剣士が青い刀身を閃かせた。

少年は微動だにせず、剣士を横目にするだけだった。

赤い目が鋭く光る。


「ヴェント。頼む」

「はいはい」


銀髪の剣士が少年の手を強く引いた。勢いよく引っ張られ、少年が転倒する。無気力だった。何の抵抗もなく、地面に倒れた少年。その上方で、風が揺らいだ。茶色の髪の大剣を担いだ剣士が後方から現れ、彼は風の守りの中へ押し込められた。矢が、風に阻まれ無力化する。剣士はそれを視認して、彼を放置し、風の守りを飛びこえた。


刀身の青い剣がぼんやり光を帯びたかと思うと、まばゆい光を放つ。光は分散し、狙いを定めたかのように的確に屈折した。全ての矢を貫いた光は収束し、数ヵ所に分散して飛んでいく。

同時に銃声が響く。それは光とは違う方向に向かって放たれた。


「クリフめ。余計なことを」


遠くで呻き声が聞こえた。

その先には大量の矢を操っているものがいたのだ。光が消えたあとには、飛んでくる矢の量が激減した。少年は立ち上がろうとして、銀髪の剣士に睨まれた。


「邪魔だ。死にたがりは前に出るな」


少年を一喝して、剣士は風の中に飛び込んだ。




夜営の炎を見つめて、少年は傍らに置いた薪を無造作にとって投げた。火がはぜる。色素の薄い髪が、炎の色に染まって橙の色を宿す。

陣地内には小さなテントがたっていた。テントを張れば、相手方に目印を与えてしまう。最小限に一つ二つ程度あるそれは、上官が泊まるためではなく、負傷兵の中でも重傷者のためにたてられたものだ。

その外れで、少年は火を絶やさない。

小さな怪我は、マーガや加護持ちが治癒しているが、大きな怪我を治療する戦力的余裕はない。現状は、此方の勝利というより、なんとか強襲を追い払った程度だ。帝都に近づくにつれ、傭兵団と叛乱軍となった正規軍との衝突の間隔が狭まってきていた。

圧倒的な数の不利を補うゲリラ戦は、休む場所が確保されず、体力の消耗を余儀なくする。加えて白兵戦の緊迫感は精神力をこそぎとっていく。


「めんどくさい」


炎に照らされ、首元の痣がぼんやりと浮き彫りになる。彼はそれを隠すこともなく髪をかきあげた。

生まれてこのかた、死は骨身に染みこんでいる。慣れ親しんだ死は隣人に過ぎない。ありもしない希望に縋るのは愚かだ。そして死に歯向かうのも、立ち向かうのも全て、同じ結論だった。


我々は、生まれ落ちたその瞬間から死に向かっている。

結果がわかっていれば、それは当然の感覚だ。遅かれ早かれ、死は生まれたもの全てに平等に与えられ、避けることはできない。美しい乙女も権力者も聖職者も、誰一人避けることはできない。死は全てに勝利する。

死の運命が決まっているのならば抗うことに何の意味があるのか。全く無味乾燥でしかない。いかに生きいかに死ぬか。有象無象の分際ではさほど重要ではない。遺すものは限られ、時間は人に平等なようで、一方ではそうではない。ならば選べることは何か。


「お前は援軍に来たのではないのか」


突然、少年の思考の中に闖入者があらわれる。

彼が振り返って声のした方角、森の闇へ目を凝らす。赤い瞳が少年をとらえていた。


昼間、矢の嵐に飛び込んでいた銀髪の剣士だ。

西大陸、イニティウムの女王に雇われた傭兵団の一人。年のころは同じ位なのに、酷く達観した物言いをする。若い将校や少年らに混じって、身長ほどの剣を振るう。その剣は借り物だという。神器と呼ばれる、西大陸の伝説的武器で、幼い少女にも軽々と振れるのは、神器がその使い手を選んでいるからだとも言われている。

少女。そう、少年の出で立ちをして皮鎧に身を包む剣士は、少女だ。


「イーフェだったか?少しはあのマーガを見倣え。あれは迷惑だが、力にはなっている」

「僕に何か用?」


少女に、彼は感情を動かされない。少年は、銀髪の少女に目を合わせることもなく、再び背中を向けた。

赤い瞳が、炎を反射し揺らめく。


「戦場で背中を見せるとは、命知らずだな」

「そうかな」

「お前が怪我をすると我が国の信用に関わるのだが。わざとか?」

「どうでもいい。そもそもそっちの内乱だろう。僕には関係ない」

「よその戦場で死のうとしてるやつが、よく言う」


少女が剣呑な眼差しで、少年に近寄る。少年は怖じ気づきもせず、面倒そうに手をはらう素振りをした。


「お前のその態度が気に入らない。東大陸はお前みたいな男ばかりなのか」


盛大なため息をついて火の傍へ来た少女に、少年は目の前の火に淡々と薪をくべた。


「さあね」

「兄弟がいるんだろう」


薪をくべていた少年の手が止まる。少女の意図を図りかねているのか、だが、すぐにその手が定期的な動きを再開する。


「私には姉がいる」

「ふうん」


少年は適当に相槌を返す。彼女は少年の隣に腰掛けた。背にあった剣を抱えるようにして座る。


「私は姉のためなら命を捧げるつもりだ」

「それは結構」

「お前もそうなのかと思っていたが、見込み違いか」


少年の、薄い色素の瞳が瞬いた。赤い瞳がそれを見逃さない。


「死にに来たんだろう。お前の目はそういう目だ」

「だから?」


誤魔化すように少年は小さな小枝を折って放り投げた。


「決めきれずに逃げたのか」


少年は、かっと目を見開いて、少女の胸ぐらを掴む。少女が抱えていた剣が地面に落ちた。憤怒に囚われた少年の色素の薄い目を、少女が静かに見つめ返した。


「成る程。良く分かった」


赤い瞳が澄みわたっている。夕焼けよりも鮮烈な緋。彼女には少年の行動は全く脅威ではなく、反撃の意思はみえない。

その様子に、少年は腕に力をこめた。とはいえ、かたや傭兵。かたや軍事訓練などしたことのない王族。余裕があるのはどちらかといえば、分かりきっている。少女の落ち着きは当然で、それが少年を余計に苛立たせた。


「おまえら、何やってんだ!」


二人の少年が駆け寄る。傭兵の中で、特に少女と連携をとっていたか。人懐こい印象の茶髪は、風の加護で少年を守った剣士。もう一人は、灰色の髪で少し冷たい印象だ。確か銃を使っていたか。

止めに入ろうとするも、少女がいつでも状況をひっくり返せると二人には分かっているらしく、手を出さない。いや、何処か焦っている。少女をどうにかされる焦りではなく、少年が逆にひっくり返されないか、ひやひやとしている。

彼らには構わず、彼は少女を掴んだ腕を離さない。


「お前に何がわかる。わざわざ傭兵なんて命知らずなものを選んだお前に」

「ああ、やっぱり甘ったれか」

「もうやめろ、アスレイ」


二人の少年のうち、少し体格の良い茶色の髪の少年が身を乗り出した。しかし、もう一人の灰色の髪の少年が肩を押さえた。


「こういうやつには言わなきゃわからない。言ってもわからないかもな」


嘲るように、彼女は笑った。


「自分だけ不幸だって、悲劇の中心で満足か」


少女を掴む少年の手が震えた。それで少女は十分だとばかりに挑発をやめた。彼を怒らせるのが目的だった。少年の眼から憤怒の感情が消える。少女の挑発に乗ってしまったのが情けないやらで、元の無気力な状態へと変わっていく。少女の踵がしっかりと地面を掴む。


「君は運命を知らないからそんなことが言えるんだ」

「運命?」

「呪いみたいなものだ。既に決まった未来」

「呪いなら、受けている」







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