孤月1
どうしてこうなったのか。いつも通りの日常であった筈なのだが、イエライは頭を捻った。
朝一にバレリアンから資料を渡され、司書官といつも通りにこなした。それをバレリアンの部屋に届けた。通りすがりの議員に嫌みを言われたのは、いつものことだ。
デイジーも、いつも通りだった。普段と違ったのは、アストと仲良くなっていた。アストはイエライの護衛としてついてきたのに、部屋につくなりデイジーと笑いあっていた。先日の素っ気なさはなく、二人だけでも愉しそうにしてた。イエライは二人を邪魔しているようで、少し寂しい気がした。
ここまではどうともない普通の日の、ごくありふれた日常、内至、日常の延長線上であった。
イエライは二人の邪魔をしないよう、早々に部屋を退出した。それから、昨日より早く森に行こうと決めて、出来たら昨日のお詫びにヴォルフに美味しいものを持っていこうと脳内で画策していて。
気がつけば、イエライは侍女たちに囲まれていた。
「ほら、イエライ様も心配されてるわ。ベラ、大丈夫かしら。今、ラーレと一緒にいるんでしょ?」
「ラーレって、普通じゃないもの」
口々にいう侍女の一人は、エルムだ。
一般的な城において、居住空間を共にする主人と家臣は家族のようなものだ。それを差し引いても、彼女達は、気安かった。
「いっつもベラが苦労してるんですよ。なのにリア様は全然わかってくれないんです」
「ラーレって、言葉が通じないんですよ。融通がきかないし」
明るい髪色の侍女が、エルムに同意する。
彼女達は、例えるなら、街で井戸端会議をするかのようだ。ただ、質が悪く、彼女達は迷惑にならないように気にしている風を装う。自分達は気遣いをして、色々と情報交換をしてより良い環境を作っている。素行の悪いものを影ながら注意している、そういうおためごかしで飾っている。それは言葉の魔法であって、現実には違う。
「ラーレのお兄様ってビデンス様なんですよね。お兄様は機転が利いて、頭が良いのに」
「学歴でいったらフェンネル様も負けていないわ。獅子舎ですもの」
「ベラはフェンネル様の奥方なのにちっとも威張らないんですよ。気配りが上手で。探求心も旺盛で明るいでしょ。いつもなにか手伝おうとしてくれてるし」
「フェンネル様、明るい笑顔が素敵で。運動神経もいいから、よく夏は二人でアルビオンの雪山に行くんですって。お似合いよね」
一方的に話す言葉には一切頷くことも同意もできず、イエライはただただ勢いに圧倒される。
「そうそう、この前なんてラーレのミスを、ベラが直してくれたんですよ」
「『意地悪する人には良いことをしたら、どんな反応をするのかなって。良いことをしてたら、きっとラ-レもいい人になると思うから』ってベラが言うんです。いい子でしょう」
彼女達に倫理は関係ない。自分が正義なのだ。自分にとって都合の悪い人を、自分の勝手で意地悪と定義づけているかもしれない、という畏れはない。
そうして他人の領域に勝手に押し掛けて、勝手に手を出して引っ掻き回し、反応を窺う。引っ掻き回された方は、苛立ち、怯え、様々な反応あるだろう。相手のそれが滑稽に見えたとしたら。彼女達はその人の気持ちを推し量ろうとするだろうか。ただただ嘲り嗤い、貶めるだろうか。
「ラ-レは謝るどころか余計なことをしたと言って。ベラが泣いたら漸く謝ったけれど。ラーレったら、謝ったらすむと思っているのよ。全然反省していないったら」
侍女達はもはや目的を見失っていた。彼女達の好奇心がどこまで続くのか。口さがない彼女らは止まることがない。
「あんないい子を困らせるなんて、ラーレってちょっとおかしいわよ」
「あの子、頭悪いのに他人のこと馬鹿にするんです。イエライ様も困ってるでしょう?」
イエライは返答に困る。視線をさ迷わせると、アリストロが向こうの回廊の前を一人で歩いているのが見えた。眦を決する。
「ごめん、用事があるんだ。失礼していいかな」
イエライは、侍女達を手で制し、走った。彼女たちは小さく残念そうな声を出したが、聞こえないふりをした。
「アリストロ」
アリストロの名を声高に呼ぶ。アリストロが振り返った。走りよるイエライに、アリストロが金髪を鬱陶しそうにかきあげた。
「なんですか、兄上」
「いや。ちょっといいかな」
回廊をゆっくり歩きだす。侍女達が見えなくなったのを確認してから、イエライは大きく息を吐いた。
「助かったよ」
「俺は何もしていない。用事はなんだ」
「えっと」
逃げる口実にしたイエライはいい淀む。アリストロにしてみれば、そんなことは知ったこっちゃないだろう。思案してるうち自然とポケットに手が入っていた。なにか固いものがある。デイジーの部屋から持ち出した法石だ。返そうと思って忘れてしまっていた。起動してないので、元の場所に戻そうと思っていたのだ。
少しの沈黙に、アリストロが嘆息する。
「用もないのに声をかけたのか」
アリストロが吐き捨てるようにいう。
いつからだろう、アリストロとはこんな関係になっていた。だが、嫌われていると感じたのは今がはじめてかもしれない。
「そうだね。でも、久しぶりだ、君と話すのは」
「何がしたい」
「話したかったから、では理由にならないかな」
アリストロが部屋の前で立ち止まり、ドアを開けて中に入る。休憩室のような場所だ。何人かの文官が待機しているが、さほど多くはない。アリストロはカップをとった。
最近流行りの紙で出来たカップだ。それから、このカップと共に置くことが多くなった四角い金属で出来た道具。それについている法石を撫でる。コーヒーが注がれ、アリストロは苦いものを喉に流し込む。
そしてイエライの分を汲んで、茶を差し出した。それは、何気なく見えて、イエライがコーヒーを飲まないと知っていた。差し出された茶を口に含むと、香辛料のような、変わった香りがした。
「…話す必要性がない」
「僕には必要だよ」
「へらへらと。相変わらずおめでたいな」
アリストロはバカにしたような態度で笑う。
嫌いなら嫌いで良いが、生産的ではない。理解しようとするためにはぶつかり合うのは必要だが、理解し合うつもりがないのならぶつかり合う必要もない。
思考が詰まってきて、イエライは不味いと直感する。話題を変えよう。突拍子もないような話題が良い。
「ああ、そういえば。この前、誰かと待ち合わせをしてたのか?」
ぎくり、分かりやすくアリストロが固まった。それは一瞬で、すぐに彼は取り繕った。
「見間違いだ」
「中庭の石碑の前にいただろうで?」
不味い。アリストロの表情が読める。自覚はあった。口が止められない。たかだかそんなこと、隠さなくても良いじゃないかと思う自分がいる。むきになっているのか。躍起になってアリストロに相手してもらおうとしている。イエライはアリストロを理解したいのに、全く相手にして貰えていないことが歯がゆい。
これは我儘だ。
「そうやって自分の優位性を示したいのか?」
「え?」
アリストロの返答は全く予期しないもので、今度はイエライが固まった。優位性?アリストロの方が将来を有望視されている。少なくとも議員間ではそうだ。なのに何の劣等感があるのか。
「バレリアンから相談を受けて、いい気になって俺を笑いに来たのか」
あっ、と思わず声に出る。
しまったと思った時にはもう遅い。さらに悪手を踏んでしまった。気づいていたのに、気付かないふりをしていた。面倒なものに蓋をしていた。あの時の司書は、確かにアリストロと話していたのだ。そして、アリストロはバレリアンがイエライに簿記やらの手解きをしていると知ったのだろう。
父ロヴァルに期待させられて、実は裏切られた。兄がそもそも癒着してるからうまく行かない。アリストロがそう思い込んでいたとしたら。
アリストロはコップのコーヒーを飲み干して、容器をゴミ箱に投げ捨てた。
「やはりな。太陽と月。ご自身が選ばれた人間であると、俺とは違うといいたいのか」
「アリストロ、誤解だ」
アウローラの伝承。太陽と月と星の物語。それを今持ち出す真意を図りかねるが、少なくともアリストロが思い描いているものとかけ離れた事実を彼に伝えねばと。イエライはアリストロに手を伸ばした。
「兄上にはわかりませんよ。望む望まざるに関わらず、この王国で生きるものの苦悩など」
だが、手は届かない。アリストロの顔に、伸ばせなかった。アリストロが苦笑する。いつも自信満々ではきはきリーダーシップをとるアリストロとは違う。自信がない、弱気なさまで、手は小刻みに震えていた。それが怒りによる震えなのかどうかは判別できない。
「苦悩?」
「お優しいことで。人の悩みを訊く暇と余裕を見せつけるか。そんな悠長なことをいっているから寝首をかかれる」
皮肉たっぷりに、アリストロが口角をあげた。
「言いたくないなら、良いんだ。でも、僕はお前の兄だから」
「兄。兄らしいことができるのか?貴方のその逃げ腰の性格は俺の美学に反する」
話しはそれで終わりといわんばかりに、アリストロは爪先を出口に向ける。
「それは、そうかもね」
イエライは言葉に詰まる。アストにもデイジーにも、アリストロにも迷惑を掛けている。それは否定しようがない。イエライの持論をアリストロには押し付けれない。
イエライの温い返答に、アリストロがかっとなる。眼が見開かれ、手の震えは、今度は怒りだろうと分かる。
「ふざけてるな。俺は、貴方よりも王に相応しいと証明して見せる!」
「待って、アリストロ」
アリストロが足早に休憩室から出ていく。
イエライは追いかけようと、渡されたカップの残りを口に運んだ。だが足は進まなかった。違和感を覚え、立ち止まる。
呼吸がおかしい。
息がしにくい。
立っていられない。
咄嗟に口に含んだそれを近くの筒状の入れ物の中に吐き出す。だが、半分は吐ききれていない。
倒れたイエライに、アリストロは気づかずに部屋を出て行ってしまった。
数人の議員が異変に気づき、座席から立ち上がる。全員ではなく僅かのものが席から少しだけ動いた。それだけ。追加で吐き出す音がして、すぐに彼らは、尋常でないと理解する。だが、それ以上にはなり得ない。
次いで喘鳴、咳き込む音。イエライは胃の中の水分を吐き出そうとしたがうまくいかず、近くにあった水を取って口に含み、ゴミ箱へ吐いた。それを何度か繰り返す。イエライのその様に更に気圧されて、議員たちは誰一人近づけない。彼らはこういう対応は仕込まれていない。新米なのだろう。彼らはそれに対応する能力を持ち合わせていなかった。
(吐けるだけ、吐いた。だが、原因は?この茶に毒は含まれていなかった)
朦朧とする意識を奮い立たせる。集中できない。考えなければ死の確率が上がる。残念なことに、居合わせたものは城内の緊急対策すら分かっていない。
(無味の毒か?いや、香りはきつかったから、わからない。だがそんなもの、誰が使うかもわからない使い捨てカップに仕込んだとしたら)
目の前が暗くなってくる。
視界が狭い。意識を失う前だ。筋肉に力が入らなくなって、倒れる時に茶葉の袋を落としてしまっていたらしい。それだけが目に入った。
息苦しい。だが、血反吐を吐くようなものではない。ゆっくりと眠りにつくように、呼吸が浅くなっている。肺が動かなくなっているのか、息が上手く出来ない。
ふと、周囲を囲む木偶のような彼らに酔っ払いが重なった。
議員待機室の話をする議員達の姿だ。アリストロはこの茶がまずくてコーヒーに嗜好を変えたとか、最近入れ替えられたと言っていたか。
変わったハーブを使っている。リラックス効果があるが、とにかく不味いのは、予算が減らされたからだとぼやいていた。だが、確かそれはコーヒーとともに国外から仕入れられているから、一概に予算のせいではないとも言っていたか。
興奮状態を押さえるのだとすれば、鎮静作用があるハーブだ。西大陸のリートレ原産で鎮静効果のあるハーブの一つが思い起こされた。強い鎮静効果があり、そのために他の鎮静効果のあるものと一緒に使わないように言われているものがあったはずだ。名前はザントマンだったか。
ハーブの強い鎮静作用が、普段から接している同じ効果のものに反応した。体内にその鎮静作用が残っている状態でザントマンを服用し、反応が出たと考えるべきか。
アリストロや議員たちと違って、普段からイエライは、鎮静作用のある茶を飲んでいる。予想が正しければ。
(無差別じゃない)
イエライは腰のポケットから数種の薬草を取り出す。強心薬や昇圧薬になるものだ。それを口に含んで噛み締める。
(ザントマンの強い鎮静効果。拒絶反応か、量の不備か)
堕ちなかったのは、鎮静効果の掛け合わせによる拒絶反応も考えられる。量が致死量に満たなかったかも。若しくは普段から毒には慣れていたこともあるのかもしれない。偶然が重なったのか、必然か。
(デイジーの部屋を出入りする人物、それを狙っていた?)
呼吸が楽になってきた。肺に空気が回って、安心する。それとともに眠気が襲ってきた。脳に空気がいきわたり酸素不足が解消されるように、あくびが止まらない。だが、眠るわけにはいかない。
(アスト。アストを巻き込んでしまった)
恐らく狙いは自分だ。
地下水路が偶然の事件ではなかったら。それがなかったとしても、デイジーの部屋に通っているのはイエライだ。アストはイエライのことがあって、はじめてデイジーの部屋に訪れるようになった。
アストとデイジーが、議員待機室を訪れることはない。なぜなら、国政に関わるのは十を越えた男子だ。デイジーは男子ではないが、十になれば国政に参加する予定だ。しかし、アストもデイジーも十になっていない。関連施設のある星翼には入れないのだ。デイジーの部屋と、この議員待機室を行き来出来る人間は誰か。分かりきっている。
しかし、アストが万が一この茶を口に含みでもしたら。勿論、デイジーもだ。デイジーに至っては、常用している分、質が悪いかもしれない。可能性が低くても、保証などない。
その時、なにもない空間から、粒子がこぼれでた。それが人間の形になって、白衣の男が現れる。
硬直していた新人議員たちはおののき、逃げようとする者もいる。その数人の議員の前で、白の男は手を翳した。すると彼らは皆、パタリパタリと倒れていく。その紫電に、イエライは縋ろうと地面を這った。
「悪ィなァ。ここであったことは忘れてくれや」
ブリオンは、誰にいうでもなく、呟く。それはもう、彼らには聞こえていない。そうして倒れているイエライに近づく。イエライはもがいた。目蓋が落ちそうだ。その前になんとしてもブリオンに伝えなくては。
「ブリオンさん。アストは」
「無理すんナ。大丈夫だ」
「アストも、ダメで。デイジー、も」
「アア。成程なァ。デイジーなァ」
うまく言えたようには思えなかったのに、ブリオンはすんなりとイエライの言うことを理解したようだ。
「二人を、頼みます」
「わーってるってェ。後は任せろ」
余裕のある紫の瞳が、イエライに笑いかける。
ブリオンはこんな優しい瞳をしてただろうか。安心して瞼がさがる。
「アストに怒られちまうなァ。ホンと、大したガキだ」
遠退く意識の中、ブリオンの声を微かに聞いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます