眉月3

最初にイエライが選んだのは、星翼から太陽翼に内側から直接繋がっている回廊である。


そこから外に出て太陽翼に向かうには、二通りある。

北側である太陽翼には堀、西側の左翼である月翼には森、東側の右翼である星翼には川が広がっている。庭園の上水からの道が一つ、水面ギリギリに作られた地下水路が一つある。上水は庭園を流れていて、川に落ちるようになっている。普段なら上水がある庭園の道を使っていけるはずだった。庭園への入り口にはラ-レ達がたむろしていた。

なので、最終手段の地下水路を使う。

この地下水路は下水が主体になっているので、基本的に、避けたい通り道だ。さらに地下水路を使うには、外から中に入るために一旦水路の外に出る必要がある。


耳飾りの光を頼りに暗い中を通る。入ってきた入口の光はとうに見えなくなっている。光が指す方向を見失わないように、むやみやたらに周囲は照らさない。奥に進めば進むほど、独特の匂いが濃くなっていく。

突如、鳥の警戒音が響いた。すぐに消えたこともあり何事かと思ったが、気にせず二つの横道を抜け、まっすぐ進んだ。しばらくすると足元に動く何かが見え、イエライは光を当てる。小さな毛玉、人差し指ほどの灰色だ。


「雛?」


小さな鳥が迷い混んだのか、灰色の小さな羽根をばたつかせている。ふわふわの毛が残っていて、細い足が不自然に思えた。

どうやら石畳に引っ掛かっているようで、はずしてやる。自由になった雛は暫く動かずにいたが、不意に何かを嗅ぎ付けたのか無闇にとび去っていく。進む方向も同じなので、イエライは後を追いかけた。


いつもとは違う臭いが漂っていた。獣臭い。生臭いというのか、タンパク質の溶けたような、それでいて酸のつんとした匂いがあった。激しい羽音が響いていて、警戒する鳥の声も大きくなっていた。微かな光の中、いくらかの影が確認できる。

さっきの雛を少し大きくしたくらいの数羽の鳥が、天井を滑空している。雛の親鳥だろうか。何か黒い影に向かって威嚇している。一匹が影に襲われそうになってすんでで逃げる。そこに、小さな一羽が舞いこんだ。

さっきの雛だ。

無防備に地面を這うようにとびこんでくる。


「そんな、逃げて!」


その上に黒い影が覆い被さる。警戒音が最大になる。数羽の親鳥がそれに立ち向かう。だが、無駄だろう。蝙蝠だ。赤い瞳が光っている。異常な獰猛さ。襲う速度の速さと、攻撃性。引きちぎられる瞬間、イエライは目を背けた。

その先はあまり見なかった。補食される雛を、あまり見たくはなかった。刹那、別の蝙蝠と目があった。その蝙蝠は、イエライをまっすぐに捉えている。


(助けても、食べられるなら。助ける意味は?助けなければもう少し生きられたのか?)


どうせ死ぬなら、潔く死ぬ方が楽なんじゃないのか。茫洋とした虚しさに囚われそうになる思考を叱咤して、薄気味悪いそれらを見据える。この水路は何度も使っているが、こんな蝙蝠は今まで一度も見たことがない。腐ったような悪臭が纏わりついている。

鳥たちは暫く蝙蝠と格闘していたが、それが意味のないものだと、雛が居なくなってしまったと気づいて徐々に後退した。


蝙蝠の動きが変わった。

先程とは異なるけたたましさが、広がっていく。数羽の蝙蝠が水路を滑空した。それらはイエライの目の前を掠める。ターゲットを変えたのだ。イエライを狙っている。ぶつかりそうになりながら躱すことを何回か繰り返したとき、視線を感じた。ぐるりを囲うように、赤い目がぶら下がっている。小鳥ほど不利ではない。イエライの方が体は大きいし、移動も早い。不利なのは数だけだ。


(気味が悪い。しのげるか)


あんな小さな多数の的に剣を振り回していたら、体力が持たない。じゃり、とイエライは後退りする。

その音が合図だった。蝙蝠が一斉に、イエライを目指してきた。イエライは腰元の短剣と長剣を左右に構えた。一匹目を右に払い、二匹目は左へ。三匹目と四匹目は目の前で振り下ろした後、後方へ振り上げた。

長剣が重いので、短剣を主に振り回す。長剣をしまって足に隠していた短剣を数本投げて牽制する。後方へ走ろうとして、イエライは躊躇する。後方も囲まれていた。

蝙蝠が頬を掠める。

イエライは腰に手をまわした。瓶を一つ取り出し、蝙蝠に向けて中身をぶちまける。当たった蝙蝠は焼け爛れるが然し、怯むことなく向かってくる。慌ててそれを長剣で応戦し、数匹が切り落とされる。だが、全てをいなしきれず、数匹に視界を塞がれた。

見えないまま蝙蝠に短剣を刺す。一匹が落ちた。だがそれだけだ。それ以上は掠りもしない。気は焦る。足場が悪い。


「うぁっ…」


肩口に噛みつかれる。

鋭い痛みがはしる。昨日はずれたせいで動きが鈍っていた右腕だ。次いでガタガタの煉瓦に足を取られた。バランスを崩してしまい、イエライは水路に落ちた。噛みついていた蝙蝠がはずれたが、落ちたその先には泥やら何やらが堆積していて、ひどくぬかるむ。右手と右足の膝までを完全に沈めたイエライを、蝙蝠は容赦なく追いたてた。くみた臭いが鼻腔に刺激を与える。吐き気を押さえつつ急いで起き上がる。

数歩、水路の中を走ると、水に濡れるのを嫌った蝙蝠が初めて怯んだ。

イエライはポーチから出した白い球を投げる。煙幕が広がった。


全力で駆け出す。細い水路を曲がり、蝙蝠との距離が少しひらく。そこで水路から上がった。感覚の誤差で足が縺れる。水中は重かった足が、今度は泥で滑り、踏ん張りがきかない。転んだときに目の上を切ったらしい。片目が使えなくなっていた。距離感がつかみにくい。歩を進める度に転びそうになる。それでも必死で走る。


(まずい)


この先に出口はあるのだが、そこも蝙蝠に占拠されていた。剣を振るい続けていて、もう腕が上がらない。無理矢理に振り上げても、なまくらのような愚鈍な太刀筋。よほど動かない的でもなければ、当たりはしない。

腕を、足を、蝙蝠が掠める。血の匂いに誘われるように、次から次へと滑空する。再び腕に痛みが走る。噛まれたか。痛みと衝撃から、短剣を落としてしまう。間髪を入れず飛び込んでくる蝙蝠達に、がむしゃらに腕を振って立ち向かう。防ぎようがない。どうしようもない。


疲れた。

今すぐここに倒れたら、楽になれる気がする。膝をついて、諦めが脳を支配する。

目の前に死がちらついた。因縁の仇敵たる死は、すぐそこに隣人として座している。

あの小鳥のように楽に死ねるだろうか。

そうすれば苦しくない。痛くない。

だがあの小鳥は楽に死んだだろうか。

小鳥とは大きさが違う。狙いが悪ければじわじわと死ぬ確率は高い。蝙蝠が数回噛みついたくらいで死ねるだろうか。

しんどいことが永いのは嫌だ。

蝙蝠の赤い瞳が迫る。


(全然違うのに)


走馬灯の中、一人の少女が此方をみている。


『他人に期待するな。期待は自分にだけしておけ。そうすれば』


赤い瞳に銀の髪。

細い体躯は信じられないほど強靭で、他の追随を許さない。少なくともイエライにはそうだ。


また逃げようとしている自分に気づいたイエライは、膝が折れたままで残った長剣を振った。その動きは、先程の精細さを欠いたものとは雲泥の差だ。蝙蝠の動きを捉えて、予測した先に剣が下ろされる。数匹の蝙蝠が地に堕ちた。

まだやれる。

イエライは瞳に力を入れて、蝙蝠達を睨み付けた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る