眉月2
星翼の一階にある、庭に面した小部屋の前。
壮年期の男に、若い男、いずれも議員たちがたむろしている。彼らは少し赤ら顔だ。彼らは扉を開いたまま、昼間から飲んでいる。確か議員の勤務時間はまだ終わっていない。
「薬草狂いの第一王子に比べて、第二王子は頼もしいですな。十一とは思えぬほど、国の行く末を見据えていらっしゃる」
「いやいや、第四王子ですぞ。まだ九つというのに剣の腕がすばらしい」
「何を云う、今日の第二王子をご覧になっただろう」
彼らが第二王子に肩入れするのは、単なる権力闘争というには複雑な事情がある。
ロヴァル王は四人の妃を娶っている。
第一王妃、アウグスタ·ルイーゼ·カスラーン。
第二王妃、エミール·ノルデ·カスラーン。
第三王妃、シュネー·ユール·カスラーン。
第四王妃、ミラ·マーレ·カスラーン。
第一王妃が亡くなった直後に第二王妃がたてられた。間髪を入れず第三第四と娶り、第二王妃が娘とアリストロを生んだ。その後第三王妃が二人生んだが一人は夭逝し、第四王妃がデイジーを生んだ。
カスラーン家には、数十年から数百年に一度、妖精の祝福を受けた子供が生まれる。伝承では、蝕の時期に生まれる。生まれないこともある。子供には身体のどこかに不思議な痣が浮き出るという。イエライとデイジーには、その痣が浮き出ている。イエライは首に、デイジーは手首にある。
本来であれば、優秀なものが王位継承、同程度であれば長子が王位継承するアウローラで、久しぶりに現れた祝福を受けた王族の存在。伝説の再来に国は沸いた。妖精の祝福、しかも太陽の祝福を受けているデイジーは、王位継承の一位だと、普通ならそう考える。もしくはイエライか。しかし、第一王妃は死亡し、月の祝福を受けたイエライには後ろ楯がない。太陽の祝福を受けた有力候補のデイジーには、少し問題がある。
そうなると、実力主義を掲げる輩がいても、何ら不思議はない。
「それにしても、よかったですな、ビデンス様。金の投資話が消えず」
中年の男が、ビデンスに揉み手する。
「いやはや、肝が冷えたよ。第二王子から、内々にお願いされていたからね」
「バレリアン様は先々代王の血筋であるジュニパー卿の親類でしたかな」
「多少やりにくいがいいだろう。フェンネルも小芝居が過ぎる。私を手伝うのなら、もっと賢く動け。まあ、悪くない形にはなったがな」
「御目にかけていただきありがとうございます」
ビデンスにフェンネル。議員たちの打ち上げだろう。彼らの派閥は20名ほどらしい。
部屋の前を通り抜けようとして、イエライは頭を抱えたくなった。通りにくい。アリストロの考えなしにも思うところはある。この部屋を通れないと、目的地である太陽翼に辿り着けないことが問題だ。
「最近、第二王子はコーヒーを嗜んでいらっしゃるとか。今度贈り物にどうですかな」
「そういえば、品種にもお詳しかったですな」
西大陸のリートレ産とムーサ産のブレンドがお好みらしい、初老の男が熱弁する。
「議員待機室の茶が不味くなったからコーヒーを飲まれるのだと」
コーヒーと同じ、外国産のハーブの香りだ。シナモンのブレンドがきつめ、舌があわないのでしょう。予算が安くなったからだ、などと男達はしばらく他愛のない議論をする。高邁な理想からは程遠い会話が続く。
「確かに。最近茶葉が変わりましたなぁ。で、どうして王子はそんなところに?」
「議員待機室で勉強会をしているらしい。有志の集まりだそうだ」
「勉強会とは素晴らしい」
ほほぉ、と誰からともなく感嘆の声が上がる。
「第二王子は政治に関心が深い。第四王子は剣の腕が立つ。先が楽しみですな。来年には第四王子も月例会に参加されるでしょう?」
「ミムラス様、第二王子も剣は堪能ですぞ」
「第一王子も第四王子も、政治への熱意が足りないですしな。これは第二王子が有力株でしょう」
ミムラス達がああだこうだいっていると、その興味が逸れていく。
「確か第一王子は最近、騎士らしからぬ武具に興味をお持ちとか。鍛冶屋に出入りしているらしいぞ」
「なんと。街の薬師の店に通いづめたと思ったら、今度は鍛冶職人でもなるおつもりか」
「いやいや。それはないだろう」
「確かに。あの腕で鎚は握れん」
「加えてあの容姿。おなごに間違われても仕方ありますまい」
その声には皮肉めいたものが含まれていた。
「確かにお顔立ちは可愛らしい。見た目は第一王子ですなぁ。第四王子も可愛らしいが」
「あんな美丈夫に通われれば、鍛冶屋も精が出るであろうな。イエライ・マーニ・カスラーンの御用達といえば、妖精の祝福もあるだろうしな」
ははは、ビデンスの高笑いが響く。
男たちはやれ瞳の色だなんだと花を咲かせ始める。相手は酔っぱらいだ。イエライは踵を返した。
「え?」
儚げな容姿の、明るい茶髪が揺れる。
「あ、あの。僕にチャンスはありませんか」
「ええ。無いです」
儚げな、ある種病的な印象の女性は、かなり冷たく目の前の男性をあしらった。男はそんな、と小さく呟き、項垂れる。
告白されて速攻で断った女は、彼の様子に居心地の悪さを感じたのか、髪を整えた。そこへもう一人侍女が闖入する。
「ラーレ、こんなところにいたのね。あ、バンダさん、こんにちは」
「エルム。なにか用事ですか?」
「そろそろデイジー様のおやつを用意しないとって。ラーレが用意してくれてるって、リア様が呼んでらっしゃるわ」
「そうですか。行きます」
エルムはラーレをつれて来た道を戻り始める。
「何かあったんですか?」
バンダから少しはなれたところで、エルムがおもむろに口を開く。ラーレは機嫌が良いらしい。訊かれても嫌な顔をしなかった。
「告白されたんです」
「え!凄いじゃないですか。バンダさんって優しそうで良いですよね」
エルム調子が上がる。それに対してラーレは冷ややかな目を向けた。
「ない、ないわ。断りましたもの」
「ええ?ラーレさん、まだ独身ですよね」
大袈裟にエルムが目を丸くして驚いて見せる。
アウローラでは結婚適齢期は二十歳だ。ラーレは既にその適齢期を三年過ぎていた。ちなみに、ベラはラーレより一つ上で、既に結婚している。エルムはそのベラの一つ上だが、未婚である。
「彼、私塾出身ですよ」
「叩き上げでいい人じゃない」
「学生ギルドにも入ってないのに。知らないんですか?」
ラーレが少し不機嫌を露にした。エルムがごめんなさい、とにこやかに、素直に謝る。
「そういえば、ラーレさんも私塾じゃなかったですか?」
「私は学生ギルドに入っていましたから。白兎の塔位出てないと」
きっぱりと言い切るラーレに、エルムは張り付けた笑みを崩さなかった。
エルムは余裕なのだ。彼女には心に決めた運命の人がいる。だから、多少のことには感情を揺さぶられずに対応できる。
「そう。理想が高いのね」
「違います。私じゃなくて兄が気にするんです」
ラーレが食い気味にエルムに否定の言葉を述べる。
「お兄様は白兎の塔出身でしたわね。釣り合わないってことかしら。お兄様が直接おっしゃったの?でも、あなたは気にせず幸せになればいいんじゃない?あなたとは話が合うかもしれないじゃない」
「でも、そういう人とは話が合わないから。誰かいい人を紹介してくれたら良いんですけど」
つまらなそうに、ラーレは唇を尖らせる。
「お兄さんの関係は?」
「兄の友人と付き合ってたんです。彼よりいい人が良くって。エルムの彼氏だって獅子舎の出身って聞きました。頭がいい人の方が、エルムも話が合うんでしょう?」
「そうかしら。でも彼、細かいのよ」
エルムが惚気るような甘い声を出す。
「最近どうなんですか?私、ちゃんと好きな人と結婚したいと思っていて」
「そうよね。好きな人って大事だわ」
ラーレは例にもれず、運命の人にあこがれる女子だ。女子というものは運命とか、理想という言葉に弱い。ラーレは皆がそういった運命の人と結ばれていると夢見ている。
余談ではあるが、現実的には運命の人と出会う確率はかなり低いらしい。
「ふふふ、訊いてくださる?」
エルムは嬉しそうに笑った。エルムとラーレは、回廊の角で談笑し始めた。
イエライは盛大な息を吐いた。回廊は通れそうになかった。
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