繊月2
東大陸。
12の領邦国家で形成されたその大陸の様相は、曲がった無花果のそれだ。南北に延びた大陸の下部は膨れ、上部は細く湾曲している。
大陸の中央には、鎮守の森ネムスが鎮座する。そこは東大陸のある種の要。東大陸固有の種、マーガが密やかに暮らす。マーガは東大陸(地宮)の一種族だ。そのネムスから東に進む。そこに、東大陸の代表となる国がある。
東大陸、最東端。始まりの国、朝の国アウローラ。
まだ、西も東も、種族もなかった頃。全て争いは無意のもので、世界が一つの大きな塊であった。2つの太陽と1つの月が数万回登ったり降りたりを繰り返した頃、種族同士のいさかいが起きる。妖精と精霊が東西に分かれて争い、妖精の血を引くマーガは東に、精霊の血を引く神族は西に分かれた。
伝承では、東大陸において、最初の国は三国。その三国は、朝(アウローラ)、昼(ルテオラ)、晩(ノクス)の名をつけられた。
アウローラは最も早く太陽が上り、そして沈む国。主たる信仰は太陽だ。太陽以外には月と星を信仰する多神教国家でもある。
アウローラの太陽と月の信仰は、それぞれ一柱ずつである。
緯度の違いから、ノクスで頻繁にみられる2つの太陽は、アウローラでは滅多にみられない。また、橙の太陽と違い、青い太陽は冬の太陽と呼ばれる。理由は光や熱が弱いこと、冬に良くみられるからである。故に一柱。
アルカヌムを形成しているテネブレ教団は、太陽が二つあるのと同様に月も二つあると考えた。彼らは月と、月の化身の2柱が救いの扉を開くと信仰している。彼らは渦巻きや蝸牛(カタツムリ)を大事にする。蝸牛は月の使い月の満ち欠けを表し、神と人を繋ぐ媒介者だ。光る道筋は銀河、宇宙的な空間と人を繋ぐものだといわれている。しかし、テネブレ教団はアルカヌムからあまり外へ出ていない。故に、アウローラには縁のない話なので一柱である。
城は3つの大きな翼で形成されている。それぞれ太陽翼、月翼、星翼と呼ばれる。
アウローラの洗練された建築様式は繊細で、質実剛健を行くルテオラとは違った様相を見せる。
デイジーの部屋があるロの字型の四棟が、太陽翼といわれる。その両側から翼が延びている。3つの翼全体を繋げると、コの字型になっている。太陽翼を挟んだ両翼は、月翼と星翼と呼ばれる。中央に位置する四棟の外側、つまり太陽翼の左翼である月翼の西には山、森が広がり、右翼である星翼の東には川が流れる。城と街の間には吊り橋がある。城は街の北西部に位置し、東側の街とは川で隔てられている。
街は城の東側と南側に発展している。
街の東端、切り立った崖の真下は紺碧の海が広がる。崖の上にはところ狭しと家が乱立し、街並みは崖から遠く離れた山裾まで広がる。街の北と南には平野部が広がり、街の端には砦が張り巡らされている。
城と街に通じる門には、門兵が配置される。
両翼の中央に二人の男が歩いている。兵の交代のためか、夜の番の眠気覚ましか。
背の高い方の男が徐に口を開く。
「なあ、聞いたか」
「ああ、ビデンス様だろ?」
「星翼お使いになってるんだってな、羨ましい限りだ」
はあ、と男がため息をつく。それは落胆というよりは感嘆に近かった。小さな方の男が頭を掻く。
「白兎の塔出身で出世間違いなしだしな。女もよってくるだろ」
現実をみろ、と背の高い男を窘める。
「噂じゃアンジェラもだってさ。俺も白兎出身なら今ごろはなぁ」
「お前、頭悪いだろ。それにお前の顔じゃな。ビデンス様はお顔も良いからな。ほら、妹も美人だろ」
小さい男がそう引き合いに出すと、大きな男の方が明らかに鼻の下を伸ばす。小男はぎょっとした。
「そうそう。俺もあのこ、かわいいと思ってるんだ」
「議員の誰かも、同じようなこと言ってたな」
「まじかよ。でも彼女、あの年で夫も彼氏もいないだろ?理想高そうだよな」
議員と歩哨では勝ち目の無さそうなだと自覚しているのだろう。大男が悔し紛れに毒づく。かわいいと言いながらその変わり身のはやさに、小男は呆れた。
「お前、そういうのやめとけよ。俺のまわりはフェンネル様の奥方の方が人気だがなぁ。ほら、奥さんって感じがしなくて、初々しくて」
「ああ。そっちも良い。良いよなぁ人妻なのにかわいいとか罪だ」
「お前節操ないな」
小男が半眼になる。大男は慌てたように、しかし拗ねた口調になる。
「俺は愛に生きたいの。お前はいいよな、かわいい嫁さんがいてさ」
「はいはい。お前の筋肉マッチョを好きな女子、きっといるさ」
歩哨は黙るという規則もないので、彼らは恋話に花を咲かせながら、中庭から回廊の方へ立ち去っていく。
その彼らが通りすぎた茂みが、がさりと音を立てる。恋に夢中な彼らには聞こえようもない。
「何も夜に出る必要ないんだけどね」
呟きは驚くほど闇に溶けて消えた。
歩哨に抜け出したことがばれれば、面倒なことになる。イエライは地面にある隠し通路の出口を葉や草で隠し、植え込みから出る。
森は天然の要塞だ。奥に入るほど磁場が狂う。森の中に入ることは、実は推奨されていない。森にはマーガが住むのだと言う噂もある。
マーガとは、ユルという力を操り、妖精術を使う一族の呼称だ。その力は未知数で、人々から恐れられている。特にはぐれマーガは人の生き血を啜るとか。そういったマーガが、森の地場を狂わせて、人を誘い込むのだと。
イエライが恐れず森を探索できるのは、迷わないからだ。昔から、地理は得意だ。何度か薬草を取ってていたことが露見して以降、他にも理由は色々あるが、特に咎められたことはない。とはいえ、危険があるかもしれないので、国のお抱えマーガ、補佐官であるイーフェの守りを受けている。
城内にマーサはいないとイエライは踏んでいる。マーサがいれば、とっくにデイジーの部屋に連れ戻されているだろうから。
イエライは一ヶ月ほど前、森に逃げ込んでいるマーサを連れて帰ったことがあった。マーサが城にいない場合、逃げ込めるのはこの森だけだ。
耳飾りに手を触れる。耳飾りをはずして目の前に翳し、森に入った。耳飾りにはイーフェの守り意外にも、明かりとして使えるよう意匠が凝らされていた。お陰で重宝している。
暗闇に光が灯る。梟が静まり返った森に声を響かせ、虫の声が協奏する。僅かに人か獣が通ったような踏みしめがある大地を進んで、小さな湖がある少し拓けた場所に出る。
空には満天の星が広がり、湖面に星がうつりこんでいる。そこに座り込んで、一息つく。
月の細い光が、際立つ。
湖面には髪の一部を緩く三つ編みにした少年もうつっている。首もとを覆う布を外して髪をかきあげる。屈んだせいで細い三つ編みが前に落ちてきた。
「マーナガルムは」
ぽつり、呟く。
「まず作物を荒らした。けれど飢えは満たされない。人間を荒らした。けれど満たされない。物はなくなり人は消え、国が傾きかけた。そしてとうとう《月》を食べてしまった」
髪をかきあげて、首を晒す。
そこには、痣がある。彼は三日月の形をしたそれを、拭う。それで消えるわけではないと知っている。ほんのりと月の光を受けて、痣が青白い光をうっすらと放つ。
ーーーー ーーーー様は、ご立派ですな。ご自分をーーになさってお役目を果たされるのでしょう。ーーーー
下卑た顔で笑う議員が、イエライの脳裏を掠めた。頭を振って誤魔化す。
「しかし、《太陽》は食べられなかった。《太陽》は欠けない、不滅なのだ。マーナガルムは鎮められ、やがて、人々は戻ってきた。全てが戻ってきたのだ」
ベラが話そうとしていた続きを諳じて、息を吐く。
「全てが戻ってきた。《月》も?」
湖に浮かぶ月は、何も答えない。当たり前かと、ころりと寝転がる。と、がさり、茂みが揺れた。慌てて起き上がり、布で首もとを隠す。
イエライは誘い込まれるように、茂みに向かった。
「マーサ?」
呼び掛けてみる。
音のした方に来たつもりだが、何もいない。外れだったか、そう思いながらも周辺を屈んだりしながら、イエライは歩き回る。ふと、一際大きな木が眼に入った。何となく惹かれ、引き寄せられる。
「ここかな」
屈むが、何もいない。さっきと同じ、そう思って踵を返して他の木々の方へ視線を向ける。
「いるわけないか」
そう呟いた瞬間、茂みに引きこまれた。
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