第88話


 宮さんの酔い具合は大層なモノで、一人で帰すのは少し心許ないのが本音だった。俺と藤原、そして彼女の三人で並んで立っているが、起きているのか寝ているのか分からない表情をしている。かつての美依奈を見ているようで、少し可笑しい。

 幸い彼女の事務所は知ってるし、俺が送り届ければ良いだけの話なんだけど、そうさせなかったのは藤原だった。


「そこまで面倒見てもらうのは申し訳ないんで、俺も行きますよ」

「先に帰っていいぞ」

「いやいや流石に甘えすぎかなと。お供させてくださいよ」


 別に藤原から飲もうと言ったわけじゃないのだから、そこまで気に掛ける必要は無いんだけどな。やっぱりコイツは変なところで優しい奴である。まぁ素直に帰ると言われるよりはマシだしな。

 店を出て国道沿いに立つ。人気ひとけが消え失せかけている時間だ。終電はもう無い。


「家、知ってるんですか?」

「一応な。事務所兼ねてるんだわ」

「あぁなるほど」


 そんな会話をしながら通りかかった流しのライトに手を伸ばすと、ハザードランプを点滅させながら俺たちの前に停まった。深夜料金を示す「割増」が無駄に視界に入る。

 とりあえず後部座席に乗り込んで、その隣に宮さんに座るよう促す。藤原は助手席のドアを開けて、一人乗り込んだ。まぁ大人三人、後ろに座るのは少し無理がある。

 具体的な住所は分からなかったから、とりあえず最寄り駅を告げて走り出す。具体的な道のりはそれから示せばいいんだから。


「でも安心しましたよ。なんか」


 藤原が揚々とした声でそう言う。車内のラジオを掻き消すぐらいの十分すぎるボリュームで。


「何がだ?」

「宮さんっすよ」


 そう言われるが、イマイチ言葉の繋がりが理解出来ない。コイツも中々に酔っているようだ。まぁ今の宮夏菜子に比べたら全然だが。


「どういう意味だ?」

「いやーこの人も人間なんだなって思いましたよ」

「まるで人間じゃないみたいな言い方だぞ」

「そりゃそうでしょうよ」


 チラリと横を見る。窓に寄り掛かって瞼を閉じていて、少し安堵した。これを聞かれていたら間違いなく藤原は死んでいただろうな。

 それにしても、いつも以上に声の高揚感を感じるのは気のせいだろうか。昨日二人で飲んだ時よりもテンション高めだ。一体どんな会話を繰り広げたのか気になる。


「そう思ってしまうぐらいに話したってことか?」

「まぁ……えぇまぁ……」

「……やけに歯切れ悪いな」


 どうやら俺には言いづらいらしい。悪口とか言われてたりして。所属アイドルと恋人関係になった馬鹿野郎とか。言われてても文句は言えないよな。そりゃ。


「色々聞いたんすよ。仕事のこととか」


 「具体的には?」と聞きそうになったが、おんまりがっつくのは気が引けたからグッと堪える。一度咳払いをして、窓の外に光るビルの灯りに意識をやる。導き出した言葉は、もう喉を通り過ぎている。


「そうか」

「……興味ないんすか?」


 別にそういうわけではない。俺なりに気を遣ったつもりだったが、コイツにはそれが逆効果だったらしい。というか、何で後輩の藤原に遠慮しているのかとツッコミたくなる。

 いや、コイツじゃなく、隣で眠っている宮夏菜子に気を遣っているのだ。彼の口から繰り出されるのは、きっと本音。弱音。彼女らしくない言葉を聞いてしまったら、どこか心に染みる痛みが出てくると思ったから。


「そういうわけじゃない。結構突っ込んだ話したのか?」

「ええ。と言っても、彼女にとってどれぐらいの重さかは分かりませんけど」

「まあそれは。やっぱ色々抱えてんだな……」


 詳しく聞こうと思っていた時、運転手が「駅の近くに着いた」と口にした。ここからは俺が道のりを指示しなくちゃいけない。あぁ変に気を遣わなければよかったな。全く。

 藤原も、事務所までの道中は何も言わなくなった。彼なりに気を遣っているようだ。俺とは全く違うな。質が。情けなくなるよ。

 数分もすれば、目的のマンションが見える。運転手にその旨を告げると、玄関の前にピッタリ停めてくれた。


「宮さん。着きましたよ」

「あーはいはい……」


 意識はあるようだ。自動ドアが開くと同時に降りていく。残された俺は運賃を支払うことにする。これぐらいの出費は良い。痛くないわけではないが。

 藤原も財布を出していたが、軽く制止すると分が悪そうに助手席のドアを開けた。


「すみません。何から何まで」

「気にすんな。てか乗ってて良かったぞ?」

「お供しますって。送り届けて帰ります」

「変なところ律儀だなぁ。ま、ありがとうな」


 俺が逆の立場ならそのまま帰ってただろうな。ここから帰るのも面倒だし。


「ほら宮さん、帰りますよ。鍵出してください」

「あぁ、はいはーい」


 肩を支えるまでは行かないが、足取りがおぼつかないな。やっぱり降りて正解だった。転倒して怪我でもさせたら美依奈にも悪い。

 鍵を差し込んでオートロックを解除する。そのまま流れるようにエレベーターまで足を進めて、一階に待機していたソレに乗り込んだ。

 目的の階に着くと、慣れた様子で部屋の前まで歩く。どんなに酔っていても間違えることはしないタイプか。鍵を差し込んで、ドアノブを回す。


 真っ暗な廊下を予想していただけに、目の前に広がった光景は思わず目を疑った。


「あれ、誰か居る?」

「……一人暮らしなんですか?」

「そのはずだけど」


 靴を脱ぐ宮夏菜子をよそに、ドアの前で部屋の中を覗き込む俺と藤原。顔を見合わせて、その不可解さに気づくのに時間はかからなかった。

 そんな俺たちをよそに、彼女はドカドカとリビング目掛けて歩いている。そりゃそうだよな。自分の家なんだから。なのに誰か居る状況はどう考えても可笑しいだろう。もしこれが不審者だったりしたら――。


「一応見に行きますか?」

「だな」


 靴を脱いで、彼女に続く。万が一に備えて、いつでも通報できる状態にしておく。

 宮さんがリビングの扉を開ける。すると聞こえる女性の声。宮夏菜子じゃなくて、俺が聞き慣れた声。


「夏菜子さんー。そんなに酔って」

「あらミーナちゃーん。来てたのー?」

「仕事終わりに寄ったら留守だったので。掃除とかしておきましたよ」


 不安は安堵に変わる。後ろにいる藤原に「大丈夫だ」と言うと、彼もまた一つ息を吐いた。

 そして、足音が終わらないことに美依奈も気づいたらしく、廊下を覗き込んだ彼女と視線が合った。


「ご、吾朗さん? それに……」

「藤原です。ご無沙汰してます」


 俺としては美依奈が居ることが不思議だが、彼女からしたら俺たちが一緒なのが意外といったリアクションだ。それもそうか。仕事じゃなく、プライベートで会う機会なんて考えづらいし。


「どうしてお二人が?」

「それは藤原から」

「簡単に説明するとですね――」


 彼がこれまでの流れを話し始めた。一人で飲んでいたところに彼女が来たこと。酔い潰れてどうしようもなくなったから、俺を呼んだこと。そして三人でここまで来たこと。丁寧に順序立てているから、分かりやすい説明である。


「あはは……大変だったんですね」

「お互い様です。楽しかったですし」

「美依奈こそ、なんでこんな時間まで」

「何か帰るのも申し訳なくて。多分、明日夏菜子さんには怒られるかな。早く帰ってなさいって」


 簡単に想像出来て、思わず笑みが溢れた。

 それで、肝心の宮さんの姿がない。辺りをキョロキョロ見渡していると、放り投げられたカバンだけが視界に入る。


「夏菜子さん、寝室に行っちゃったみたい」

「まぁそうなるよな……。あんなになってるの初めて見たよ」

「うん。私も」


 そんな会話を二人でしていると、藤原が少し笑いながら背中を向けた。


「俺、帰りますね」

「一緒に帰ろう。タクシー呼ぶから」

「いいですって。お二人の邪魔したくないですし」

「あはは……」


 気を遣われてばかりだな。今日は。俺が面倒を見ているつもりだったけど、どうやらそういうわけではないようだ。

 今の姿、ゲームの友人キャラみたいだぞ。マジで。それを言ったらどんな反応が返ってくるか気になったけど、やっぱりやめた。


 藤原を見送って、リビングに戻る。美依奈が宮さんのカバンをソファに丁寧に置き直している。ソレが済んだら一緒に帰ろう。タクシーを呼ぶ準備をしていると、彼女が話しかけてきた。


「吾朗さんは飲んでないの?」

「うん。シラフ」

「そっか。ならさ、少し話して帰ろうよ」

「……おう。俺もそうしたいって思ってた」


 スマートフォンの画面にあるタクシー会社のホームページ。嘘をついているわけじゃないから、ポケットにソレをしまう。隠しているつもりはない。ただ、夜に沈めただけだ。

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