第87話


 ちょうどシャワーを浴びようかと考えていた時に、藤原から電話があった。連休初日から何かやらかしたのかと思い話を聞くと、どうやらそういうわけでもないらしい。

 いや、どちらかと言えばその部類に入るんだろうが、別に放っておいても問題はない案件である。と言うのも、彼の口から飛び出してきたのは意外なことに宮夏菜子の名前だったからだ。


 話を聞くと、二人で飲んでるという。あまりにも意外な展開に驚いたが、それだけじゃない。藤原は、あの彼女宮夏菜子が泣き上戸だと言うのだ。そんなわけはないと笑いながら言ったが、彼は俺の言葉に被せるぐらいの勢いで否定した。


「私なんてもうダメなんだよぉ……なーんにも思いつかない人間なんだよぉ……」


 藤原の電話そのものは、俺に助けを求めるモノだった。ただ泣き崩れ、顔を伏せ切っている彼女を実際に見てしまうと、彼の気持ちもよく分かる。

 やたらと雰囲気の良いバーだった。時間も遅いせいか、宮さんが泣いていたところで周りは気にする素振りすら見せていない。深酒してるが故のだろうか。


「いったいどんだけ飲んだんだよ」


 藤原の隣に腰を落としながら、呆れた様子を醸し出しつつ問いかける。


「ここではビール三杯ですよ。でもなんていうか、この人どこかで飲んできたんじゃないですかね」


 確かにそう考えるのが自然だ。俺が知っている宮夏菜子は、ビール三杯でこんなになる人間じゃない。となれば、藤原と会う前に一人で相当な量を飲んでいたと推察出来る。


「んー……おい新木ー。何しに来たんだよー」


 騒がしさに違和感を感じたようで、彼女はムクリと体を起こした。随分とである。それが酔いのせいであるのを証明するように、彼女の瞼は情けなくなるぐらいに開こうとしない。


「どうも。寝ててくださいよ」

「うるせー。喋らせろー」


 空になったグラスに口付けたものの、当然大人が大好きな黄金色は流れてこない。それがムカついたらしく、彼女は分かりやすく舌打ちした。

 けれど頼むまでもなかったらしい。代わりに藤原が頼んでくれたであろうお冷を美味しそうに流し込んだ。


「あんたはー! 当事者なんだしぃー!」

「相当酔ってるなコレ……」

「良かったっす。新木さんが来てくれて」


 「おらこっち来い」酔っ払いがそう言うもんだから、藤原を差し置いて彼女の隣に腰掛けた。「帰って良いぞ」と彼に言うと、想像していなかった言葉が返ってきた。


「いやいや流石にそれは出来ないっす。お付き合いしますよ」

「……お前なんだかんだ良い奴だよな」

「最初から周知の事実ですよ、それ」


 藤原も飲んでいるらしいが、まだ余裕があるようだ。そうじゃなかったらこんな気が回らないか。それに二人を連れて帰るのは流石にしんどい。こうやって呼び出しに応じる俺も中々に良い奴じゃないかと心から思う。


「もうほんとダメだよ私は……もう……」

「どうしたんですか。らしくない」

「らしくないなんて決めないでよ」


 チクリと針で刺されたみたいな痛みが走った。俺のその言葉がと気づけたのは、頭の中にアルコールが居座っていないからだろう。

 言われてみると、俺が普段から見ている宮夏菜子が本当の姿だとは限らないわけで。あの様子が虚栄に近いものであるのなら、相当なストレスを抱え込んでいたとしても不思議ではない。

 スポーツ選手とかによくある、自分にプレッシャーをかけて結果を求めるアレに近いのだろうか。その結果が出る前に心が潰れることだって、なきにしもあらずだ。


「無理しちゃダメですって。自分が潰れちゃったら、困るのは彼女美依奈ですよ」

「そうしなきゃダメなのよ。あの子の輝きを最大限に生かすためには……私次第なの」


 カウンターに左肘を乗せて話を聞いている。藤原もなんだかんだ気になるらしく、俺と同じ姿勢で残ったビールを飲んでいる。あまり美味しそうにしていない表情が、彼の心の中を映し出しているよう。


 ただ、彼女が言う言葉の意味を理解しているのは俺だけだろう。悩み。苦しみ。その根源にあるのはきっと、作曲のことだ。

 作曲家としての宮夏菜子は、マスター北條輝とは違って名が知れているわけではない。それでも実績がゼロというわけでもないから、それが余計に心を押し付けている。

 言い方は悪いが、中途半端な実績。下手に言い訳の効かない状況であるが故の苦しみである。


「……あの。だったら依頼するって手もあると思うんです」


 そう言ったとは俺じゃない。隣に座っていた藤原だった。虚ろながらに俺の目を見ていた彼女の瞳が、するりするりと動いていく。


「あなたからそう言われると思わなかった」


 ぼんやりとつぶやく。力の無い、夜の空気に一瞬で溶けていく言葉。悲しそうで、でも、後悔しているような声。


「何の話してるのか分かるのか?」

「分かるっていうか、自分で言ってたんで」

「作曲のこと?」

「はい」


 宮さんにしては脇が甘いと思った。それぐらい頭がパンクする寸前だったということだろうか。誰にだってそういう時はあるから、彼女を追い詰める気にはなれなかった。

 それに藤原であれば顔見知りだし、コイツは彼女に恐怖心を抱いている。下手に言いふらすことはしないだろうと、心が緩んだとしたらそれも仕方のないことだ。


「……依頼か。今ならまだ」


 違う。そんなことを望んでいるわけがない。マスターにあんだけ強気で言ったのも、きっと自分にハッパをかけただけ。

 そして、心の底からプロデュースしたい相手が出てきた。本当に大切だからこそ、悩み、苦しみ、もがいている。その気持ちは俺にも分からないわけじゃない。


「一旦、自分が思う通りにやってみてくださいよ」

「随分と知った口を叩くのね。少し話したぐらいで」

「少し話したぐらいだからこそ、言えるんですよ。こんな無責任なこと」


 藤原も言い返している。恐怖心を抱いているようには見えないぐらいにハッキリと。なんだかんだ、コイツも酔っ払っているんだろうな。

 だが俺も、彼の意見に賛成だ。作曲をしたこともないし、しようと思ったこともない。

 だからこそ、闇雲に背中を押すしか出来ないのだ。藤原のように、無責任だと認めつつも。実際、宮夏菜子が欲しているのは彼が言ったような言葉なのではないか。


「ムカつくわね。あなた。新木君以上に」


 さりげなく傷つくことを言われたが、そう言う宮夏菜子の口元は柔らかい。明日にはこの記憶もおぼろげになっているかもしれないと思えば、それはそれで儚い。


 一人のファンとしては、宮夏菜子と北條輝の曲を歌う山元美依奈が見たい。その曲を聴いてみたい。二人の曲で、七色に輝く彼女を。

 結果は蓋を開けないと分からない。例え自信作でも鳴かず飛ばずかもしれないし、自信がなくてもヒットするかもしれない。実際問題、この段階で頭を抱えても仕方がないのだ。無論、宮夏菜子はそのことを理解しているだろうが。


「宮さんなら大丈夫じゃないですか?」

「また適当なことを……」

「だって、誰よりも山元さんのことを考えてるじゃないですか」


 藤原が帰らなくて良かったと思う自分が居た。彼が居なかったら、トンネルの先にある僅かな光まで辿り着けなかったと思う。


「それに、魅力を最大限に引き出すのは山元さんでもあるんですよ」

「……そう。そう、ね。うん。確かに」


 クリエイターは、タレントが持つ魅力を生かそうとする。一方で、クリエイターが作った作品が持つ魅力をマックスまで引き出すのがタレントである。

 なるほど、と素直に感心した。宮夏菜子もそうだが、俺は藤原のこともよく理解していなかったらしい。俺なんかよりも全然頭が回るじゃないか。同じ部署の時はマジで脳筋だったのに。それを仕事で生かせと言いたくなったが、ここで言うのは野暮だろう。


「あーあ。酔っ払った。はぁ……」

「寝ちゃダメですよ。帰りましょう」

「さっき寝てて良いって言ったじゃないー」


 俺とのやり取りを見て、藤原が笑っている。この不思議な夜も、もう少しで終わり。


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