第85話


 「休みが合えばデートしよう」と彼から連絡が来た。突然でびっくりしたけど、世間的にはもうすぐゴールデンウィークだ。その事実に気づいて「なるほど」と納得する。

 そのお誘いは心躍るぐらいに嬉しかった。でも一般社会とはリズムが違うから、仕事の予定が入っていた。心苦しいけど、断わざるを得なかった。

 残念がっていたけど「だったら仕方ないか」と素直に引き下がってくれた。それが嬉しくもあり、悲しくもある。こうやって心が離れていくのかなって、ネガティブな自分自身がムカつきながら。


「着実に知名度も上がってきてるわ。怖いくらいに順調よ」

「ネガティブな声もありますけどね」

「それはそう。割り切りなさい」


 私の目の前に座っている夏菜子さんは、ノートパソコンの画面を見ながらそんなことを言う。

 おそらくだけど、彼の会社のウェブコマーシャルを見ているよう。動画サイトにアップされたそれは、気づけば10万回近い再生回数を叩き出していた。

 少しでも広告としての役割を果たせたことが嬉しかった。マイナスな意見も無いわけじゃないけど、ほとんどが良い声。グループ時代より綺麗になったとか、すごく嬉しい言葉を書き連ねてくれる人も少なくなかった。

 二人きりの事務所。私以外に所属タレントが居ない本当に小さな小さな芸能事務所。所属して結構経つけど、私にはこういうのが合うらしいと最近よく思う。


「ゴールデンウィークは本当にいいの?」

「えっ、何がですか?」


 聞き返すと、夏菜子さんは少し目を見開いて驚く。


「何って、彼のことよ。放っておいていいの?」


 そんな気はサラサラ無かったけど、世間的には見ればそういう風に映るのだろうか。

 でもここで仕事を捨てて会いに行くのは、それこそ本末転倒な気がしてならなかった。だから心を苦しめてまで断ったのだから。そして、彼もそれを望んでいないと信じている。


「彼も理解してくれました。だから今は邁進まいしんするだけです」


 すると夏菜子さんはクスクスと笑った。


「そう。それが聞けて安心した」

「きっと彼だから、背中を押してくれたんだと思います」


 アイドルという存在に理解があったからこそ、私のことを尊重してくれているのだ。そして、ソレを踏まえた上で私に愛を伝えてくれた。どんなに覚悟が必要かなんて、今さら聞き返す気にもならない。こんな私のことを大切にしたいと言ってくれるだけで、心がぽかぽかと暖かくなる。


「足並みが揃っていないと、いずれ綻びが出来るの。そしてそれは、あっという間に千切れてしまう。そんな儚いモノよ。恋愛なんて」


 そんなしみじみと語られると、変に不安になっちゃうのに。彼女はソレを狙っているみたいに、私と目が合うと悪戯っぽく口角を上げた。


「脅さないでください」

「そんなつもりは無かったんだけど。事実を言ったまでよ」

「経験談ですか?」

「さあ? どうかしらね」


 そうなんだなと飲み込んだ。別に夏菜子さんの恋愛事情を聞き出すようなことはしない。誰にだって聞かれたくないコトの一つや二つあるはずだから。

 彼女にとってソレ色恋沙汰が聞かれたくないコトに当たるのかは分からないけど、ここで触れるのは少し勇気が必要だった。


「順調であることには違いないんだけど。気になることも多いわね」

「……華ちゃんの件、ですか」


 インスタントの紅茶に口付けながら、彼女は頷いた。それには同意だけど、遅かれ早かれこうなることは目に見えていたのだ。驚きよりも憂鬱さの方が大きい。


「彼のことを知られたのが面倒にならないといいけど」

「華ちゃんは人を売るようなことはしない子です」

「同じメンバーだったからじゃないの?」

「それは……そうかもしれないですけど」


 村雨華は最年少メンバーであったけど、サクラロマンスの中でも一番仕事に熱心な子でもあった。真摯に向き合う姿勢は私も見習わないとって思ったぐらいに、かなりストイックな女の子。彼女が高校生の頃から知ってるから、とても最年少には見えないぐらいに堂々としていた。


「第一、どうしてあなたじゃなくて彼に近づいたのかしら」


 夏菜子さんの疑問に、私は答えることが出来なかった。それは彼にも分からなかったことだし、私も全くと言っていいほど見当がつかなかった。

 単純に、彼に興味があったとしたらどうだろう。どんな人間か知りたくて、色んな意味で誘惑しようとしたのなら――。

 いやいや。華ちゃんに限ってそんなことは無い。第一あの子はまだ二十歳なんだから、吾朗さんも彼女になびいたりするはずも。


「彼がモテると思う?」

「……人の恋人を馬鹿にしないでください」

「あら。それは悪かったわね」

「もうっ。揶揄わないでくださいよ」


 夏菜子さんがそう言ってくるということは、顔に出ていたようだった。ずっとそうだ。上手く隠すことが出来ない。機嫌が分かりやすいから、きっと彼女たちには心配をかけていたに違いない。

 それはそれで、人から見たらそうかもしれないけど、私が見たら世界中の誰よりも輝いて見える人なんだから。ばか。


「――ねぇミーナちゃん」

「はい?」


 彼女は紅茶の入ったグラスを丁寧に置くと、息を吸い直して言の葉を紡いだ。誰の目にも明らかなぐらいに空気が変わったから、私も一度咳払いをして呼吸を整えた。


「本当は、戻りたいんじゃないの?」

「………えっ」


 空気を舞ったのは、私が思ってもいない言葉だった。

 冗談でもなんでもない、ただの本音。それはサクラロマンスのことを指しているんだと気づくのに時間はかからなかった。

 思考を巡らせた。色々な可能性を考えた。けれど、宮夏菜子がそう言い出したきっかけが分からなくて、ただ視線を泳がせるしか出来ない。

 ――いや。そうやってウロウロしてしまう時点で、私の中にはまだあるのだろう。やり残したこと。もっとやりたかったこと。未練。後悔。サクラロマンスに置いてきたかつての自分を羨ましいと思う身勝手な感情が。


「どうしてそんなことを聞くんです?」

「……どうしてかしらね。よく分かんない」


 「嘘だ」そう思ったけれど、私の喉は言葉にするのを許さなかった。きっとそれは、夏菜子さんの神妙な面持ちを見てしまったから。

 ……私は、この人のことを全然知らないや。どんな人生を送ってきたのかも、どんな感情を抱いてきたのかも。何もかも知らない。だから、安直に否定するのも違うような気がしてならなかった。


「華ちゃんの話を聞いて、確かに懐かしくなったのは事実です。でも、戻りたいとかじゃなくて」

「なくて?」

「今はただ、夏菜子さんにプロデュースして欲しいんです。その……上手く言えないんですけど、私に賭けてくれた想いに応えたいし、私も理想のアイドルに近づきたいから」


 その言葉に嘘はなかった。今、私がサクラロマンスに戻ったとしても光り輝ける未来が見えないのが本音だった。

 そして何より、この人と一緒なら見たことのない世界を見ることが出来るんじゃないかって、漠然とした光景が頭の中に浮かぶ。グループに居た時には無かった感覚だった。


「……そう。ありがとう」

「あの、お疲れなんじゃないですか」

「そうね。でも、ミーナちゃんの方が頑張ってるんだから」


 そうは言ってくれるけど、彼女の顔は明らかに疲労の色が強い。よく見たらいつもより化粧も濃いし、目の下のクマを隠してるんじゃないかって疑いたくもなる。


「ごめんね。変なこと聞いて。さ、打ち合わせしましょ。もうすぐレーベルの人も来るから」

「……はい」


 CDデビューに向けて、少しずつ動き出したというのに。このままだと、夏菜子さんも倒れちゃうんじゃないかって不安になる。

 私に心配をかけまいとすればするほど、体調が良くないということだ。

 だからとにかく、出来ることを精一杯やらないと。夏菜子さんの期待に応えるためにも、全力で。


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