10th

第84話


 4月の末が近づくにつれ、周りの人間がソワソワとするのは毎年のことだ。

 仕事ばかりの毎日から解放される数少ない期間。お盆と年末年始とは違った意味で心躍る、俗に言うゴールデンウィークが目の前になっていた。

 休みまであと3日と迫った昼時。少し浮き足立っているオフィスを抜け出して、オアシスと呼んでも良い喫煙所で一人タバコをふかしていた。

 年々喫煙者が減っているのが顕著なぐらいにガラリとしている。いよいよ会社が「全面禁煙」を言い出さないか不安に駆られるほどである。


「お疲れ様でーす」


 勢いよく扉が開いて、体格の良い男が入ってきた。一目見て、懐かしさで思わず声が漏れた。


「おぉ藤原。元気か?」

「おかげさまで」


 営業に異動した藤原だった。会社に顔を出す機会が極端に減ったおかげで、内勤の俺はコイツのことをしばらく見ていない。1カ月も経っていないが、これまで毎日見ていた顔だけに、ひどく懐かしさを覚えた。


「タバコ吸うようになったのか?」

「いいえ。新木さんの姿が見えたんで」

「男に言われても嬉しくないな」

「確かに。自分で言ってキモいなって思いました」


 この尊敬しているのかナメているのか分からない態度もまた久々だった。別に不快ではないから良いんだけど、それを取引先にやってないか不安になる。ま、にポスター起用の依頼をした時はちゃんとしてたし、大丈夫だろう。


「一本吸うか?」

「いただきます」

「うい」


 俺が差し出したタバコを片手に、慣れた手つきでライターで火を付けている。確か前に時々吸うとか言ってたけど、それは本当らしいな。


「仕事はどうだ? 順調?」

「辛いっす。慣れてないのもありますけど、めちゃくちゃ気を張ってますね」

「営業はそうだよなぁ」


 異動してもうすぐ1カ月と考えると、そろそろ一人で周り始めているころだろう。どの仕事にも言えることだが、やはり慣れを感じるまではストレスを感じるのは仕方ない。俺もそうだったし。

 どことなく覇気の無い目は、消えていくタバコの煙を眺めているだけ。性格は営業向きだから心配はしていないけど、中々にしんどいらしい。


「どこかで飲み行くか」

「マジっすか。行きましょうよ」


 善は急げと言う。そうと決まれば早い方が良いだろう。だが、近い休みはそれこそ大型連休の始まりでもある。


「そういや、ゴールデンウィークはなんか予定あるの?」


 話の流れでそう聞かざるを得なかった。休みに入る前日の夜なら問題なさそうだが、プライベートに影響が及ぶのなら遠慮したいのが本音である。


「いやフリーっす。笑ってください」

「笑わねえから……」


 そんな自虐的になることもないだろうに。俺だって――ふと思考が止まった。

 これは美依奈を遊びに誘うべきなのではないか、と。冷静に考えてそうだよな。付き合って1カ月が経とうとしているのに、恋人と過ごさない選択肢は無い。付き合いたては特に。


「新木さんこそ予定ないんすか?」

「なんで無い前提なんだよ」

「え、まさかあるんです!?」

「お前が俺を相当さげすんでるのはよく分かった」


 「冗談ですよ冗談」笑いながら煙を吐いているが、全くそう聞こえないのが腹立たしい。まぁ、戯れの一種だとは分かっているけど。なんだかんだ可愛い後輩であるのには変わりない。

 だいぶ短くなったタバコを灰皿に押しつけて、二本目に手を伸ばした。藤原に一本あげたせいで今日一日持つか不安だ。後で買わないとなぁ。


「あの子誘えばいいじゃないですか」


 揶揄いながら聞いてくる藤原だったが、あいにくタバコと美依奈のことで頭が一杯だった。今日のこれからの行動を考えていたせいで、変に思考が真面目なカタチを成している。つまり軽快な返答ではなく、俗に言うマジレスモード。


「ん、まぁ、そうなんだけどさ」

「えっ!?」

「今度は何だよ」


 タバコを落とすぐらいの勢いで、彼は俺の顔をまじまじと見つめてくる。お前じゃなくて美依奈だったらどれだけドキドキしただろうな、なんて口にはしないけども。


「いやいや! なんでそんな素直に答えるんすか?」

「………え?」

「これまでなら絶対否定してたじゃないですか」


 そう言われて初めて気づいた。ひどく呆気ない顔をしていると思う。証拠に藤原は僅かに口角を上げながら、俺を揶揄う準備を整えていた。


「まさか……進展したんすか」

「あー……いやまぁ……」


 適当に誤魔化すのが手っ取り早いのは事実。けれど、ここで嘘を吐いたところで後々バレると余計に厄介だ。

 だがストレートに「付き合うことになった」と言い切るのも勇気が必要だ。これまでの恋愛とは一味も二味も違う。華ちゃんの件もある。どこが火種になるのかイマイチ読み取れていないのが本音だった。


「ひどいです。俺がフラれたのを横目に」

「八つ当たりって言葉知ってるか?」


 普段なら面倒な返答だったが、今はそれがありがたくもあった。回答する時間を与えてくれているみたいで、妙な安堵感。

 タバコに逃げて煙を全身に巡らせる。それで思考が加速するのならこんな苦労しない。でも本数は増えていく一方だ。


「でもそうかぁ……なんとなくそんな気はしてたんですけどね」

「何も言ってないだろ」

「分かりますって。俺、一応プロの営業ですよ?」

「ルーキーだろうが」


 調子の良さは相変わらずなのは分かる。妙な勘の鋭さも健在らしい。これが彼なりの空気を読む技術だったりして。可能性はゼロじゃないが、単純に興味本位だろう。


「まぁ、その。藤原のことは信頼してるから」

「あ、ありがとうございます?」


 疑問形になるなよそこで。素直な気持ちなんだから、それこそ素直に受け取って欲しかった。まぁいいんだけど。

 ただ少しして、藤原も俺の言った意味が分かったらしく「あぁ」と頷きながら笑った。


「あの、俺はマジで応援してるんで」

「お、おう。ありがとう」

「言いふらすような真似は絶対にしません。否定しないってことは、俺を信頼してくれた証ですもんね」

「ま、そうだな」


 適当で調子の良い奴だが、悪い奴ではない。だからこうやって話にも付き合うし、飲みに誘うのだ。良い加減な奴なら、入ってきた瞬間に喫煙所を出て行くぐらいの行動を取る。


 タバコの火を消して、軽く背伸びをする。深呼吸をしたい気分だったが、ここでソレをしてしまうとむせてしまう。


「良いなぁ。俺も恋したいっす」

「宮さん行けよ。あの人、多分独り身だぞ」

「誰も年増おばさんが好きとは言ってませんよ」

「……チクッていい?」

「すみませんやめてくださいお願いします」


 タバコも吸い終わったし、ここを出たいのは山々だが藤原が出ようとしない。単に話したいだけならここじゃなくても良いのに。

 ていうか、宮夏菜子は思っていた以上に若いんだよな。それこそ俺の少し上ぐらいで。だがまぁ……藤原から見ればおばさんだな、うん。


「欲しい欲しいって言ってる間は、出来ないんですよね。無欲になってる時、ポッと現れたり」

「確かにそうかもなぁ」


 その理論なら、お前はしばらく出来ないだろうな。仕事に没頭して、自分自身を誤魔化してみればいい。それか、俺みたいにアイドルを推してみるとか。それで上手くいったんだから、説得力があるだろう? まぁ、それこそ奇跡的な確率なんだけども。


「とりあえず飲みに行きましょう。聞きたいことだらけなんで」

「分かったから。休みに入る前に行くか。予定ないんだろ?」

「新木さんと同じでありません!」

「予定ぶち込んでやろうかこのやろ」


 「嘘です嘘です!」なんて笑う。藤原以外に言われたら口も利きたくないが、そう思わせない辺り、コイツの後輩力に脱帽だ。


 とりあえず、美依奈に声を掛けてみるか。仕事が休みの日、二人でどこかに出かけたい。

 それ以前に、俺たちのスタンスも決める必要がある。バレてもいいのか、バレないように過ごしていくのか。まずはそこからだ。


「山元さんのこと考えてました?」

「悪いかよ」

「いいえ。幸せそうで何よりです。今度奢ってくださいね」

「はいはい」


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