第82話
あんなに格好つけてタバコを吸いだしたくせに、俺が村雨華の名前を出した途端慌てて灰皿に押し付ける少女。これはもう肯定以外の何物でもないだろう。
加えて、分かりやすく顔を背けている。あんなに大人びて見えたのは一体何だったのかと自分を責めたくなるぐらいに、目の前にいる現役アイドルは年相応の雰囲気を醸し出していた。タバコ吸ってたけどね。
村雨華。サクラロマンスの現役メンバーで歳は二十歳。確かついこの間誕生日だったような。あの手つきを見ると、二十歳になる前からタバコを吸っていたのかもしれないな。うわぁ見たくなかったなぁ。
と言うのも、デビューした時は現役高校生だった彼女なのだ。こんな風に大人の階段を上っている現実を目の当たりにして冷静でいられるはずもなかった。
「知ってる人なの?」
「えぇ、まぁ……」
マスターは少しにやつきながら問いかけてくる。本当は断言したかったが、グッと堪えて遠慮気味に肯定する。「へぇ」と納得しているのかしていないのか分からないリアクションだったが、それ以上の追求は無かった。
「そういやカレーだったね」と思い出したように厨房へ消えていく彼の背中は、さっきみたいな棘は無くなっているように見えた。となると、この場に残されたのは俺と彼女の二人だけになるわけだが……。
「最悪……迂闊すぎるのよ本当に……」
「あ、あの……」
テーブルに額がくっつくんじゃないかってぐらいに頭を抱えている。独り言だろうが、俺の耳にもはっきり届いている。俺への愚痴というよりは、自分自身の行動を悔いているらしい。
こういう時なんと声を掛けるのが正解なのだろうか。いや、そもそも声を掛けること自体が愚かな行為なのかもしれない。ここは何も言わずにやり過ごすのが一番だろう。
うん、そうだ。第一、この人が本当に村雨華とも限らないし。うん、今日のことは忘れてしまおう。
いつもなら
「………あなたの言う通りです」
「へ?」
唐突に顔を上げてそんなことを言い出した。俺には横顔しか向けてくれていないが、おもむろに髪に手をやって、それで――。
「うぇっ!?」
思わず声が出た。ヒュルリと
「二人を見かけて、ここまで来てしまっただけです。今日のことは忘れてください」
華ちゃんはそう言うと、随分残っているはずのコーヒーを飲み干す勢いで口づけた。「ぷはぁ」と息を吐く仕草が妙に色っぽい。「本当に二十歳か」と突っ込みたくなる気持ちを抑える。今それを言ったところで何にもならない。
それはそうと、どうして白状する気になったのだろう。普通に考えれば、もう誤魔化しが効かないと判断したんだろうが。
「忘れてって言われてもなぁ……」
さすがに無理がある。桃花愛未に呼び出された時もそうだったが、この衝撃を記憶の片隅にすら置けないのは誰だってそうだろう。
「俺、一応ヲタだったから無理がありますね……」
「しかもファンって……。地に落ちたのね。あの人も」
空気に亀裂もなにもないと思っていたが、たったそれだけの言葉がこの空間を切り裂いたのは気のせいじゃないらしい。
華ちゃんはおもむろにタバコに火を付けて、呆れたように「すぅ」と息を吸って見せた。挑発されているみたいであまり気分は良くない。
「そんな言い方は無いんじゃないですかね」
「事実を言ったまでです」
違う――。咄嗟に形を成そうとしていた感情を飲み込んだ。
そう言ってしまえば、俺と彼女の関係を
「でも人気が上がってるじゃないですか。今のサクラロマンスは」
だから話の論点をズラすことにした。
けれど、俺が言葉にしたそれこそ事実。桃花愛未が抜けて人気が出てくるなんて皮肉なことではあるが、今の俺的には別にどうでもよかった。一番可愛いのは今でも桃ちゃんだし山元美依奈である。これは誰が何と言おうと譲るつもりはない。
「そう見えているんですね。ファンの方には」
華ちゃんの言葉には含みがあった。それはマイナスな意味で。誰が聞いても明らかなぐらいにネガティブで、地面を向けた言葉である。それを隠すつもりがないことが、この場では一番問題な気がするが。
「……違うんですか」
問いかける。平然を装っているが、俺の心臓は違う意味でバクバクと鳴っていた。心のどこかでは、まだサクラロマンスのことが好きだった自分が居たらしい。
その聞きたくなかった内情に、自ら足を踏み入れてしまったことを後悔した。アイドルグループは仲良しで当然、なんて決めつけのおかげで。
「あの人が抜けてから、グループは変わりました」
「そう、なんですか」
相づちのつもりだったが、彼女は口を閉ざしてしまった。冷静になったらしく、タバコを一吸いして溜息と一緒に煙を吐き出した。
ファンといえど、見ず知らずの俺にそんなことをベラベラと話す意味はない。情報漏洩として吊るし上げられるかもしれないのだ。この辺で一線を引いておかないと、自分たちの人気を自分の手で陰に落とすことになる。
そういう意味で言えば、山元美依奈がかつて俺に接触してきた行為自体はアウトだろう。相手が相手ならとんでもない事件になっていたかもしれないし。俺で良かったと声を大にして言いたい気分だ。
「すみません。ファンの方にこんなこと」
「いえ……」
やはり冷静になっているようだ。口調も落ち着いていて、正直な話、今は山元美依奈のことで頭が一杯なのだ。かつてのように胸を張ってファンだとは言い切れないが、それでも応援していた事実は消えない。俺に限らず、誰にでもそういう存在は居るに違いない。
「えっとその……タバコはいつから?」
恐る恐る言葉を投げてみた。これじゃまるで俺が週刊誌の記者みたいじゃないか。別に女性アイドルがタバコ吸っていたっていいだろう。二十歳を超えていたら誰でも吸える嗜好品なのだから――と、言い聞かせて。
「……二十歳になってからです」
「ホントに?」
「なんですか」
「あぁいや……別に他意は無いです」
妙な間があったから、てっきり高校生の頃から吸っているのかと思ってしまった。いやいや、華ちゃんは真面目な子だと知ってるからそんなことはありえないよ。うん。
「別に言いふらしていいですよ。隠すつもりはないので」
「俺はそんなことしませんから。推しは売らないです」
「私推しだったんですか?」
「握手したこともありますよ」
「ふーん……」
美依奈が体調不良で欠席した時だけなんだけど。なんか妙にガチ推しみたいなトーンになってしまった。まぁ別にもう会うこともないだろうから、どうでもいいんだけどさ。というか、互いのために会わない方が賢明だと思う。
「あの人の恋人になっておいて、よくそんなことが言えますね」
「なんで決めつけるんですか……」
「違うんですか?」
そうなるよな。俺の返答が曖昧だった時点でそう聞き返されるのは分かっていた。なんて答えよう。正直に言ってしまうべきか。
頭を回転させていた時、運よく彼女のスマートフォンが鳴った。一回じゃ止まなかったから、電話らしい。彼女は俺に向けていた視線をソレに落とすと、露骨に嫌な顔をして見せた。
「はい、もしもし」
俺から離れようともせず、その場で電話を取った。さすがに会話は聞かないように意識したが、その口調は穏やかなモノではなかった。
彼女が喫煙者なら別にいいだろうと、遠慮なくタバコに火を付けて頭の回転を速めようと努力する。が、当然付け焼刃にもならない。何も変わらないままに彼女は電話を終えていた。
「仕事が入ったのでこれで。お代はここに置いておきますので」
「いや俺店員じゃないんだけど……」
「分かってます。渡しておいてください」
なんで俺がそこまでしなきゃいけないんだ。世話の焼けるというか、ワガママな子だな。見たくない顔を見てしまって、正直ショックと言えばショックだ。
彼女はウィッグを起用に着けなおして、タバコの匂いを誤魔化すように消臭剤をパシャパシャと自身の服に吹き付けている。ため息が聞こえてくるぐらいには憂鬱そうだった。
「……お騒がせしました。では」
嵐のようにやって来て、風のように去っていく。村雨華の後ろ姿にしては、とても華々しさがあるとは言えない。まるで現実に戻るのを嫌がっているようで。
「――辞めたいの?」
自分でもよく分からないうちに、感情が宙を舞っていた。そのまま華ちゃんの耳に届くのを防ぎたかったけど、時は巻き戻せない。
でもそうなのだ。彼女の背中を見ていると、習い事に行きたくない子どものように見えてきて仕方がない。証拠に、華ちゃんは背を向けたまま立ち止まった。
ほんの2秒ぐらいだったと思う。結局、何も言わずに店を出て行ってしまった。残されたのは彼女が吸っていたタバコの香りと、厨房から漂うカレーの味。
なぁ、美依奈。どうやら君は、思っていた以上に必要とされていたのかもしれない。
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