第81話
「――え、いや……」
意図せずして否定から入ってしまった。
そもそもの話、人間はこういう突発的なアクシデントには弱い生き物である。それは分かっていたんだけど、あまりにも核心を突いてきたソレに動揺する以外の選択肢は無かった。
「答えられないんですか?」
問い詰めてくる彼女の顔を見ることが出来ない。その代わり、差し出してきたスマートフォンに映る俺と美依奈をチラリチラリと確認しては、逃げるように灰皿に視線を落とすしか出来ない。
というより、彼女は一体何者なのだ。その疑問がまず頭に浮かんだ。美依奈の名前を知っている時点でだいぶ限られてくるとは思うが、それでも見当がつかない。
まさか――週刊誌の記者とか。実際、その可能性は高い。あの報道の後、ずっと張られていたっておかしくないし。だとしたら、俺の行動はこれ以上ないぐらいに軽率なモノであった。
「そ、その前にあなたが何者なのか教えてくれませんかね」
思いのほか冷静な自分が居た。突発的に関係を漏らしてもおかしくないぐらいに動揺していたけれど、胸の中に居座っている美依奈の顔を見るとグッと堪えることが出来た。
状況的にも「無関係です」と言うのは無理があるだろう。となれば「友人」と誤魔化すか、「仕事関係者」と嘘をつくか。あるいは――「恋人」だと本当のことを告げるか。
どう考えても問い詰められる未来しか見えないのは事実としてある。問題はその先にあるわけで、俺の答え次第では彼女をスキャンダルの渦に陥れることにだってなるのだ。宮夏菜子にも許してもらったばかりなのに、ここでまた週刊誌に載るなんて最悪中の最悪だ。
「――その前に自分が名乗るのが筋じゃないのかい?」
コーヒーを淹れ終えたマスターだった。彼女の前に煙るソレを差し出しながら、空気を切り裂くようにそう問いかけた。
「……あなたには関係のないことだと思いますが」
「いやいや。彼は常連だからね。迷惑そうにしてるのを見過ごせないんだよ」
彼女の言うことももっともだが、マスターの言葉は素直に嬉しかった。迷惑と言えばその通りなわけで、彼が声を掛けてくれなかったらボロが出ていたかもしれない。
俺の隣に座っているこの人は、呆れたように息を吐いた。長い髪がタバコの煙に飲み込まれないか不安になる。別にどうでもいいんだけど、なぜかそんなことを考えてしまった。
「言えないのかい?」
いつの間にか立場が逆転していた。さっき俺が言われた言葉を、まさにマスターが彼女に言い返している。たぶん彼はいつも通りのテンションなんだけど、今はそれがひどく頼もしく見えた。情けない話だけどね。
「――別にそんなんじゃ」
小さな声であったが、確かに俺の耳に届いた。それはまるで、俺の予想を大きく覆すような言葉。あまりにも力が無くて、すぐに握りつぶしてしまえるぐらいの。
その横顔しか見えないけれど、とても綺麗な子だと思った。駅で話しかけられた時も同じことを考えたとはいえ、さっきよりもハッキリ見えるこの場所でもそれは変わらなかった。
(……なんか聞いたことある声だな)
彼女を見た時から纏わりついていた既視感。その原因は彼女の特徴的な声にあった。落ち着きのある大人びたモノ。それだけでは大して記憶にも残らないだろうが、俺が知っているその人は見た目とのギャップがあるから鮮明に知っている。
でも目の前の彼女は違う。まず髪型。記憶の女性はこんなに伸びてないし、むしろショートカットと言っていいぐらい短い。それに髪色も明るめの茶色だったはずだ。ずっと。
「ならお客に突っかかるのはやめてくれるかい? 誰でもプライベートは邪魔されたくないだろう?」
マスターのその言葉に、彼女はピクリと体を反応させた。何に引っ掛かったのかは分からないが、痛いところを突かれたらしい。完全に彼の言葉に踊らされている。となると、やはり記者ではないのか?
「……なによもう。人の夢を――」
何か言っているが、小さすぎて俺の耳には届かなかった。
マスターのおかげですっかり意気消沈の彼女。別に悪いことをしたわけではないが、露骨に俯かれると申し訳なくなるな。
いやいや。俺と美依奈の関係を勘繰る奴にロクなのは居ないはずだ。ここは毅然と無視しておくのが一番良い。とにかく不安になりたくないから、手元に置いていたタバコを一本取りだして、割と勢いよく吸う。
「この店、タバコの匂いが強い」
「全席喫煙可能だからね。そういう客しか来ないから、壁にこびりついてるんだよ」
「……そういうこと。なら」
彼女はおもむろに、カバンから小さめのケースを取り出した。ソレをパカッと開けて出てきたのは、なんと紙タバコだった。思わず声が漏れた。あまりにも意外過ぎて。
いや、そんなことを言える間柄ではないことぐらい分かっている。けれど、彼女のルックスはそういったモノとは無縁だと思っていただけに。
少しおぼつかない手つきで火を付けて口に運んでいる。宮さんが喫煙者だから女性がタバコを吸うのも見慣れている。ただ、彼女とはまた違った雰囲気を纏っている。
「若い女の子がタバコなんて珍しいね」
「……案外大勢いますから」
いつの間にか、彼女の話し相手はマスターになっていた。俺は全然構わないんだけど、注文したカレーがなかなか来ないからソワソワしているだけ。と言い聞かせてはいるが、要はここで話し掛けて彼女の意識がこちらに来るのが嫌なだけである。
本当に情けないとは思うが、いかんせん週刊誌の記者かもしれない人間に話しかけられたのも初めてだった。故に、その対応は何とも言えないモノになる。「よーいドン」で何もかも上手く出来るほど、俺は器用じゃない。
「………なにか」
「あぁいや」
チラリと彼女の横顔を眺めていた。時間にして10秒もないぐらい。そこで運悪く目が合ってしまったから、慌てて目線を逸らして手元のタバコに視線を落とした。しかしこれまで霧の中に居たような彼女に近づいたような気がした。
目元のホクロが印象的で、丸眼鏡がよく似合う。そして落ち着きのある声。
「――――あれ」
ビリリと体の芯に電流が走ったような感覚だった。記憶の断片が繋ぎ合わさって、一つの形を成すような。
既視感の話に戻る。俺が知っているあの子も、確か目元に印象的なホクロがあった。そしてこの声。髪型や身長は違うけど、あまりにも類似点が多すぎた。
ただ、その子が俺を追いかける理由はない。あるとするなら逆で――山元美依奈の方だろう。
いやいや。そんなわけがない。だとしたら、こんなところでタバコなんて吸わないだろう? イメージが大切な仕事なのに、タバコなんてそんな。ついこの間二十歳になったばっかりのあの子がさ。
「
独り言のつもりだった。別にリアクションなんか求めていない。ただ頭の中に浮かんだ疑念を溜めておきたくなくて、吐き出しただけに過ぎない。
それだというのに――隣に居た彼女は「アチッッ!!」とタバコを手元に落としている。誰の目から見ても明らかな動揺であった。
あぁそうそう。華ちゃんはこんなキャラだったなぁ。クールぶっているけど、実は少し抜けていて天然な部分がある。しっかり者なんだけど、雪音ちゃんとペアでいい味を出していた。
――って思い返している場合じゃない。仮に本当にそうだとしたら、俺は今とんでもない事実を知ってしまったような気がする。それこそスキャンダルになりかねない。
「ほ、本当に華ちゃん……ですか?」
「……さ、さぁ? 初めて聞く名前ですねぇ」
その露骨に下手なリアクション。決して演技派とは言えない村雨華そのものじゃないか。いやいや、こんなことあるか? 普通に考えて。俺は困惑してるよ。素直に。
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