推しと仕事と桃色と

9th

第75話


 カーテンを抜けて太陽が差し込む。それは今まで感じたことがないぐらい暖かいモノだった。

 夢じゃない。あれは現実であった。自身の記憶に彼女が居てくれて、ホッとする。

 もう昼だ。こんな時間まで眠っていたのはいつぶりだろう。枕とベッドに沈む体は、疲れていたわけじゃない。いや、俺が知らないところで疲れていたのかもしれない。


 山元美依奈は、俺の恋人になった。

 その事実だけで心が晴れ渡る。同時に、ここから動きたくないぐらいの余韻に浸っていた。今日が日曜日でよかった。

 思い切り背伸びをしてスマートフォンを手に取る。12時を過ぎていて苦笑いするしかない。加えて、愛しい彼女からメッセージが飛んできていた。


『おはよ。昨日はありがとう。すごく嬉しかったよ。今日もお仕事頑張るね』


 ぐふっ、と気持ち悪い笑みを浮かべる。

 今のこの顔はあの子に見せられないな。ドン引きされるぐらい顔が崩れている。目は垂れ下がって、乱雑に整えられた眉毛が気持ち悪さを増長している。


 メッセージは、どこか夢心地の自分に、改めて現実を見せてくれたよう。彼女のその言葉は、ずっと夢を見ていて良いと言ってくれているみたいで。

 体を起こして、もう一度背伸びをする。パキッと背骨が鳴る。どこか詰まってる気がして、もう一度。でももう鳴らなかった。

 スマートフォンを片手に立ち上がって、滅多に使わないキッチンに足を向ける。よく見たらホコリっぽくなっていることに今ようやく気づいた。


 タバコに火をつけてキッチンフードの音に耳を傾ける。乱暴で無機質な空気音。美依奈への返信を考えているつもりだったけど、どうも良い言葉が思い浮かばない。


(………これからだよな)


 そう。恋人になれたからヨシとするのはきっと俺たちだけ。これからが彼女にとって大切なのだ。

 アイドル歌手として。一人の女性として。幸せの欲張りセットを手に待っているあの子を、世間は認めてくれるだろうか。

 隠し通すことも考えた。けれど、それはバレた時のダメージが大きすぎる。だからと言って正直に言っても、スタートダッシュに水を差すのではないか。


「うーん……」


 何が最善なのか考えれば考えるほど、自身の思考が絡まっていくのがよく分かる。タバコの煙では解けるわけもない。虚しくて細い糸は、俺が思っていた以上に強靱なモノである。

 いずれにしても、黙っておくつもりはなかった。言うべき人間にはしっかり報告するのが大人として、男としての義務だと思う。迷惑をかける可能性が非常に高い案件には違いないから。


 となれば、俺がまずすべきことは一つ。宮夏菜子への報告だ。ここに至るまで、あの人には色々と迷惑をかけたし、かけられた。文句の一つぐらい言いたいのが本音だが、そんな強気で行くメリットはまずない。

 ありのままの事実を伝えるだけの理由が、彼女にはあった。なんだかんだ言って、俺たちのことを見守っててくれた重要な人であることには変わらない。


 美依奈への返信もそこそこに、俺は電話帳にある宮夏菜子の名前を探す。その手つきは、自分でも感心するぐらいに慣れたものである。

 通話ボタンを押して、耳に当てる画面はほんのりと熱を帯びている。変なドキドキ感を表しているみたいで、気持ちの良いものではない。


「――なによ」

「なんで喧嘩腰なんですか……」


 彼女の声は誰が聞いてもそう思うぐらいの強さがあった。機嫌が悪いらしい。大人ならそれを隠して欲しいのが本音だが、そんな気を遣うつもりはないようだ。まぁ俺としても変に遠慮されると調子が出ない。これまでの経緯を考えれば特に。


「ん、まぁ、ちょっとね」


 ――と思ったが、妙に歯切れが悪い。ほんの少し弱くなった声。衣擦れの音が聞こえるぐらいに静かな場所に居るらしい。


「忙しいですか? そうなら掛け直しますけど」

「ああ、いや。別にそういうわけじゃないから」


 「はあ……」頷いたものの、何かしっかりこない。もしかしてマジで気を遣わせたのか? そんなキャラじゃないだろうに――なんて失礼なことを思う。絶対に口には出せないな。

 根元が近くなったタバコを一度吸って、電話越しに聞こえないよう煙を吐く。俺なりの気の落ち着け方である。


「何か用?」


 ギギッと音がする。妙に聞き覚えのある音だ。俺もよく聞いたことがある。少し考えると、記憶から正体を炙り出すことができた。

 椅子にもたれたような音。今どこにいるんだろう。自宅か?


「えっと、まぁ、はい」


 歯切れが悪いのは俺も同じだった。

 用がなければ電話なんてしない。恋人でもなんでもない彼女にわざわざ。それはこの人も分かっているからそう問いかけるのはごく自然なこと。だからこそ、そんな俺の態度で何かを察したらしい。


「なによ。ハッキリ言ったら?」

「あぁ、なんていうか……電話では言いづらくて」

「どういうつもり?」

「いえだから、事務所に顔出したいなぁ……と」


 別に電話でも伝えることは出来る。けれど、不思議とそうするつもりにはなれなかった。

 何か、まるで結婚の挨拶に行くみたいだ。自分でもそう思うぐらいかしこまっている。それぐらいの覚悟があると宮夏菜子に伝えたいのは本音だが。


「ふーん……」


 怖い。そういう反応が一番心にくる。

 誰が聞いても明らかなぐらい怒っているわけではない。でも嬉しそうでもない。ただただ抑揚のないイントネーション。カラオケの採点だと何の加点も無いぐらいの。


「い、忙しいなら出直しますけど……」


 無理にでも押し切って良い場面である。それが出来ない自分が居る。彼女に想いを伝えることが出来たとは言うけど、根本が変わったわけではない。

 いや、あの子のためなら何にでもなれるけれど。現金な奴だと思われても別に良い。恋人を大切に出来ないよりは遥かにマシだろう。


「ま、いいけど」

「良いんすか……」

「なに? 別に来なくても良いんだけど」

「い、いや行きますから!」


 何を思っているんだろうな。多分だけど、俺の口ぶりからもう気づいている気がする。

 こんなの分かりやす過ぎてもう伝えたも同然だ。俺が彼女の立場なら口を滑らせていた付き合うことになったのか?かもしれない。そういう意味では、宮夏菜子はやっぱり大人なんだろう。


「今日の14時ぐらいなら居るから」

「わ、分かりました」


 随分と素っ気ない。でも今は変に絡まれるよりは良い。俺が頷くと、そのまま電話を切る流れになった。

 スマートフォンを握ったまま、ダラリと腕を垂れ下げた。疲労感がやって来る。横になれば一眠り出来るぐらい。だけど今それをやったら、すっぽかすに決まってる。それこそ宮夏菜子は何をするか分からない。眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。


 ぶるりと震える。スマートフォンが。

 顔のところまで上げるだけなのに、いつもより力を要した。疲労感のせいだ。きっと。


『えへへ。ありがと』


 でゅふ、と溢れる感情を我慢するつもりは無かった。俺の返信に何て可愛いリアクションをするんだろう。この子は。あぁもう、可愛すぎて何でも許しちゃう。ずっと見ていたい。君のことを。


 疲労感なんて、一瞬で吹き飛んだ。



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