第73話


 今の今まで吹き付けていた風が止んで、ただただ二人が溺れる夜を照らし出す。

 月よりも光り輝いている君は、赤い赤い感情の波を抑えようとすらしているように見えた。それがとても可愛くて、綺麗で。今すぐに手を伸ばしたくなるほどに甘美な香り。


「………あ……え、えっと……」


 沈黙の中にポツリと現れる彼女の言葉。意味を成さない言霊は、風が無いのにどこかへ飛んでいってしまいそうなほど、弱くて儚い。

 そんな君から目を逸らしたくなくて、ジッと見つめる。瞳がガラス玉のように揺れているのがここからでもよく分かった。

 誰かに見られたらどうしようとか、色々考えるであろうこの状況。でも俺には、君しか見えていない。だから周りがどうとか関係ない。


「君が好きだ」


 何度でも言える。君が飽きるまでずっと。

 不思議なものだ。一度カタチを成した想いは、いとも簡単に自分の喉をすり抜けていく。

 いま思うと、たったこれだけのことを言えないがために、もどかしい感情を抱き続けていたわけだ。


 揺れる。大きなダイヤモンド。君の瞳はゆらゆら世界を照らす。

 彼女のリアクションは、俺が思っていた以上にウブなものだった。まるで生まれて初めて告白されたような。君ほどの美人。決してそんなことはないだろうに。


「……美依奈?」


 ただあまりにも沈黙が長かった。堪え切れず、君の名前を呼ぶ。

 するとハッとした様子で、赤く熟した顔のまま苦笑いをしてみせた。でもクシャッと頬を崩した君は、俺の胸をしっかり掴んで離さない。


「ご、ごめん………び、びっくりして」

「お、おう……」


 謝られた時点でドキッとした。でもそういうわけではないらしい。ならOKというわけでもない。彼女の口からはっきりと聞くまでは分からない。

 告白なんて随分久しぶりだ。こういう時、した側は何を言うのが正解なんだろうな。「答えを聞かせて」なんて急かしたくなる気持ちを抑えて、冷静に考える。


「びっくりした?」

「……うん。すっごく」


 オウム返しになったけど、彼女の気持ちを少し落ち着けるには良い効果があったらしい。問いかけに答えるその声は、俺がよく聞く彼女の声になっていた。

 でもまた静寂。この夜は何も言わない。彼女の代わりに言葉を投げかけてくれることもしない。ただジッと俺たちの行く末を見つめている。


 美依奈は俺が見惚れていた瞳を伏せて、一人考えていた。ずっと見ているのも申し訳なくなったから、そっと横を向いた。視界に入るのはマンション入り口の壁だけ。剥がれかけた塗装を見つけて、遣る瀬無くなる。

 チラリと横目で彼女を見る。口を少し開けては閉じ、開けては閉じ。言いたいことをグッと堪えているように見えた。

 葛藤。それは不思議と悪い気はしない。なぜなら、彼女はきっと俺のことを考えてくれているからだと分かったから。自分の感情よりも、俺のことを思って答えを導き出そうとしている。


 悪い気はしないが、それが俺の望みではない。


「……答えを聞かせて」

「え……?」


 どうやら俺の読みは当たっていたようだ。

 真っ先に頭に浮かんだ言葉。でも「答えを聞かせて」だとそんな反応はしなかっただろう。

 やっぱり優しい子だ。俺も子どもじゃない。一時の感情で君のような美人に告白なんてしない。考えに考えて、堪えられなくなった感情に飲み込まれただけの大人。世間はそれを子どもと言うだろうが、別に良い。


「私の……答え?」

「うん。正直な気持ちを聞かせてほしい」


 この場合、イエスかノーの二択になる。俺自身それで良かった。状況的には「天国か地獄」に見えるけれど、そういうわけでもない。

 たとえ君にフラれたとしても、俺は君のことをずっと推していく。ファンとして。それが彼女の決めた答えであるのなら、ここで引かないといけないのは俺だ。


 だって、推しの幸せが俺の幸せなのだから。

 君が嫌だと言うのなら、素直に引き下がる。今すぐにでも自分のモノにしたいのは本当だ。でも、それはかえって君を傷つけてしまうだろう。


「――は」

「ん?」

「それは――アイドルとしてって、こと?」


 そんなわけはない。一人の女の子としてだ。

 素直に告げようと思った。何も隠す理由はない。むしろここは本音をぶつける場面だ。けれど――少し考えた。

 火照った頭。思考。冷ますように夜風を願うも、何も揺らがない。


 彼女の問いかけは、さっきの俺の言葉にも通ずるモノがあった。と言うのも、さっきまで紡いでいた感情はまさに、彼女の言うことが根本は存在する。


 推しの幸せだとか、引き下がらないと傷つけるとか。山元美依奈をアイドルとして見ているからこその感情じゃないか。

 あぁ、くそ。どうしてこんなことにも気づかなかったんだ。「好きだ」と伝えることが出来て満足していた? 違うだろう。俺が望むのは、伝えることじゃない。たった一つだけじゃないか。


「――関係ないよ」

「えっ……」

「君がアイドルとか、どうでもいいんだ」


 彼女は少し驚いて、悲しそうな表情になった。このままだとあらぬ誤解をされる。急いで言葉を探した。


「俺はただ、君の隣に居たい」

「あ……」

「ずっとずっと、一番近くで見惚れていたいんだ。君が好きだから。だから――」


 伏せていた瞳が、いつの間にか俺の目を覗き込んでいる。美しくて飲み込まれることも嫌にならない。ただただ、込み上げて来るハートのときめきを受け入れるだけ。

 潤む君の目。言葉を続けないといけないのに、詰まる。もう言うことは一つだけなのに、ここに来て動揺である。そんな俺を見て、君は笑った。優しく。暖かく。


「プロポーズみたい」

「なっ……!」

「ふふっ」


 唐突に揶揄ってきやがった。全く。ウブだと思っていたのに、このやろ。


「そう捉えてもらってもいいよ」

「うっ……。ばか」

「大ばかだよ。俺は」

「……ばーか」


 先に仕掛けてきたのはそっちなのに。でもいいや。君のその言葉は、何度でも聞きたくなるぐらい愛おしい。視線をプイッと逸らして拗ねてますと言わんばかりの横顔。それすらも綺麗で仕方がない。


「――でも嬉しい」

「美依奈」


 思わず名前を呼んでしまった。特に意味なんて無いけれど、心臓は高鳴る。


「一人じゃなくなる」

「ああそうさ」

「泣いちゃう時もあるよ」

「慰めるさ」

「怒る時もあるよ」

「ご機嫌取るさ」

「甘えちゃう時だって……」

「抱きしめるさ」


 震えていく君の声。もうすぐ。本心が聞ける。心の奥底に眠っていたダイヤモンド。それが目の前に。だから俺の、僕の隣に居てくれないか。ずっと。ずっと。



「――僕と、お付き合いしませんか」



 アイドル。告白した相手の仕事。ご法度なのに、そう言った。でも、後悔は全くない。むしろ言えて良かった。

 横顔の君。頬を流れていくのは一筋、いやもっとの涙。どうして泣くの? なんて野暮なことは聞かない。いまはただ、ありのままの君を受け入れる。受け止める。だから、精一杯に言葉を紡いでくれていいんだ。


「あなたが居てくれることが、こんなにも幸せなんだって、心から思うの」

「うん」

「こんな私でも、いいの?」

「もちろん」

「迷惑かけちゃうよ」

「迷惑だなんて思わないよ。一緒に背負おう」


 山元美依奈。気にするだろうな。俺に迷惑がかかるかどうか。仕事にも何かしらの影響が出る可能性もゼロじゃない。


「君の苦しみを半分にしよう。僕の幸せを半分あげるから」

「新木さん……」


 君が揶揄ってきたプロポーズのようだ。でもそれぐらいの気持ちはある。そうじゃなきゃ、ここまで来ていない。それは君が一番分かっているだろう?


 涙を流しているのに、笑っている。美しい。

 揺れる。空気が、ゆっくりと。風の気配。それは君の言葉に乗ってやって来る。



「私も、あなたが好き。あなたの、たった一つの幸せになりたい」



 春風は、こんなにも暖かいのか。夜。桜の香りが流れてくるみたいに、鼻を抜けて、全身に広がっていく。

 あぁ、そうか。高鳴る心臓。ハートの波。空気を震わせて、一歩、また一歩。


 もう幸せをくれたよ。僕の愛しい恋人よ。

 これからは、僕が君を幸せにする。


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