閑話(5)



 星空が消える夜に あなたを眺めて

 水平線 遠く遠く 離れていく

 恋模様 あなたに奪われて



 出来は置いといて、筆を取ろうと思うようになったことが一番の驚きだった。

 乱雑だった書斎。僕の周りにある雑音を消すように元々のカタチを取り戻しつつある。姿形だけ見れば、それはかつての文豪のよう。

 三十年若返った気分だ。この空間だけは、あの頃と何も変わらない。住む場所は変われど、僕がいま座っているここだけは、トキメキを生んでいたあの時のまま。

 日付が変わっている。この日もまた、僕の周りは慌ただしく巡り巡っていた。運命の中心になっている。普段そんなことを思うことはないけれど、これだけ重なればそう思わざるを得ない。別に悪い気分ではない。


 万年筆の先が原稿用紙に触れると、インクが滲み出てその輪を大きく広げていく。言葉を紡ぐことは無い。ただ染みとなって感情になる筈だったカケラを見つめるしか出来ない。


(…………恋)


 あまりにも美しくて、儚くて。

 見ている僕が青春を思い出す。それはきっと、アイツもそうなのだろう。


 アイドルを育成したいと言って、ちょうど二十年前、僕のところにやって来た。今みたいにSNSがある時代ではない。それなのに「割と簡単に会えた」と笑っていたのが懐かしい。

 今みたいな金髪のショートカットじゃなく、長く伸びた黒髪が印象だった。話を聞くと、高校を卒業したばかりだと言っていた。すごく美しい女の子だなと思った。


 確か、今はもう無い芸能事務所の一室で話をした記憶がある。


『――先生の歌詞が好きだから』


 あの頃は、まだ先生と呼んでくれていたな。今では僕を尊敬している影もない。


 話を聞いたけど、彼女の考えていることがイマイチ理解出来なかった。僕はアイドルに歌詞を書いたことはあるけど、プロデュースをしたわけではない。

 そもそも彼女の目的ならば、僕のところに来る必然性は無い。

 なのに、僕に頭を下げた。高校卒業したばかりの子どもが、僕に教えをうた。その光景はあまりにも滑稽こっけいで、僕は彼女に何と言って突き返そうと思ったぐらいだ。


 あの頃の僕は、正直荒れていた。良い詩が書けなくなって仕事のオファーも目に見えて少なくなっていた時期。彼女の素直な尊敬の念も、あの時の僕には馬鹿にされているようにしか思えなかったのだ。



 虹色 風を彩ってあなたに届く

 笑ってくれない 寂しくて一人の夜

 やっぱり消える 星々と恋心



 だから突き放した。子どもにあんなコトを言うのは大人としてクズだと思ってはいたが、それでも僕はそうせざるを得なかった。

 作詞家としての活動に限界を感じていた。ワンフレーズも浮かんでこない。泥の世界に埋もれてしまったみたいに、単語の一つ一つに輝きを見出せなくなっていた。


『私が良い詩と思ったら、良い詩なんです』


 僕から突き放された彼女は、堂々と言ってのけた。若干、十八歳の若者がだ。まるで世界の中心に立っているんだと言わんばかり。我の強さは昔から変わっていないな。本当に。

 それが若さというモノだろう。恐れることなんて何もない。ただ自分の夢に向かって突き進む度胸。行動力。今の彼女を見ていればよく分かる。


『お願いします。いつか私が連れてきた女の子に詩を書いてあげてください』


 仕事にもならない口約束だと思っていた。正直、いつになるかも分からない夢を語られても僕に言えることは無い。だから聞き流していた。何も言わず、ただ彼女に背を向けて。


『私もビッグになります。そのために沢山勉強して、いつか必ず先生を説得してみせます!』


 右手に持っていた万年筆が止まらなかった。滑らかに動いて動いて、僕の心の中に眠っていた感情を呼び起こそうと躍起になっているよう。

 それにしても、随分と懐かしいコトを思い出した。忘れていたわけではない。ただ考える理由が無かったから。

 二十年経って、彼女は僕の元にやって来た。アイツは定期的に僕の店へ生存確認に来る。余計なお世話だ。あの日もそうだと思った。


『約束、覚えてますよね』


 そう言われた瞬間、記憶がフラッシュバックした。同時に否定した。「別に約束をしたわけではない」と。お前が一方的に言ってきたコト、だから僕には関係の無いコトだと続けて。


 アイツがデビューさせようとしていた子は、僕もよく知っている女の子だった。同時に、思ったよりも近くに居た子。不思議な感覚だった。

 彼女は恋をしている。僕はその相手も知っている。だから余計な肩入れをしてしまったと後悔していたのも事実としてある。けれど、彼らの幸せを願うこの純粋な想いは本物だ。


 それに、今のあの子はとても輝いている。世界中の誰よりもきっと、人々を暖かく包み込んでくれる雰囲気を纏って。これはきっと、恋をしていなかったら生み出せなかっただろう。


 世間は君たちが思っている以上に辛辣な反応を示すかもしれない。けれど、君は一人じゃないだろう? 君はあの子を守るのだろう?

 そうだな。それが条件だ。どんなことがあっても逃げず、あの子のことを守り抜くというのが、僕からの条件。



 花火が鳴って振り返る

 心を覗き込むあなた

 感情を風に乗せて ふわふわと

 あなたの胸に呑まれる夜に



 負けたよ。宮夏菜子。スタイリスト。芸能事務所の社長。いや――どれも違うな。


 そうだろう? とあるよ。随分と僕のことを待たせるじゃないか。

 君の音に乗せよう。僕の言葉を。そして――山元美依奈の想いを。


 だから行け。新木吾朗。君が彼女を守ってくれるのなら、僕は喜んで言葉を紡ごう。


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