第68話


 彼女の言うカフェは、商業施設を出て交差点を渡ったらすぐ着いた。道路沿いにあるまさに都会の喫茶店。落ち着いた雰囲気と若者向けの煌びやかさが綺麗に混ざり合っている印象を受けた。

 実際に、店内は若い人からベテランのサラリーマンまで幅広い客層がくつろいでいる。


「予約してたですけど」


 あ、予約なんてしてたんだ。なんて思ったのも束の間。歩み寄って来た女性店員にそう告げる。するとそのまま奥の方へ案内された。

 その席は、壁で遮られた半個室みたいになっていた。少し離れたところに女性が一人座ってるだけで、実質私たちの周りに人は居なかった。その方がありがたいのはそうなんだけど。


「いつの間に予約なんて」


 雪ちゃんは腰を下ろして、リュックサックを空いている席に置いた。私もそれに続きながら疑問をぶつけると、彼女は苦笑いしながら答えた。


「実ははなちゃんと来る約束してたんです。でも仕事が押して来れなくなっちゃって」

「あ、そうだったんだ」


 彼女の言う華ちゃんには覚えがあった。それもそうだ。その子もまた、サクラロマンスの現役メンバーである。

 それに私が居た頃から二人は仲良しだった。年は雪ちゃんの方が二つ上だけど、しっかり者なのは年下の華ちゃん。その構図がファンにも受けて、年齢が逆の姉妹なんて呼ばれることも少なくなった。


「ソロ活動も増えてきたんだね」


 私がそう言ったのは、すごく単純な理由。これまではサクラロマンス全員での活動がメインだった。だけど今は、雪ちゃんが目の前に居るのに、華ちゃんは仕事。それはつまりそういうことだ。誰でもそう思うこと。


「はい。私は全然ですけどね……あはは……」


 笑っているが、内心は悔しいに決まってる。私が同じ立場だったらそう思うし。

 それに、夏乃雪音という女の子は良くも悪くも普通なのだ。優しい子で、性格が尖っているわけでもない。何か特筆する武器があるわけでもない。ただ可愛らしい女の子。それをずっと気にしていたのを知っているから。


「雪ちゃんには雪ちゃんの良さがあるよ」


 だからそんなことを言ってしまった。私にそんなことを言われたくはないだろうけど。だけど、やっぱりサクラロマンスだった頃の記憶は消えることはない。


 ――そういうのが嫌になったんじゃん。


 心の中で何かがうごめいた。

 そうだ。最年長としての立ち振る舞いに疲れて、自分が理想だったアイドルになれないと悟ったから。ダラダラと27歳まで続けてしまったが故に、もう伸び代はないと感じた。そして、ファンや彼女たちを裏切った。最悪の形で。


 でも夏乃雪音は、私が思っていた反応とは真逆の態度を見せた。


「……やっぱり優しいですね。愛未さん」


 マスクを外してはないけれど、目尻が少し垂れている。微笑んでくれているようだった。

 特徴が無いという評判は嘘だ。こうして目の前に居る彼女は、私から見ても光り輝いている。実際、握手会に来たファンの人を一番満足させるのはこの子だし。ネットの書き込みはあまりアテにならなかったりする。そして、彼女自身の思い込みも。


「そんなこと……ないってば」


 少しだけ目を伏せてそう言う。恥ずかしくなったとは言えなかった。「ふふふっ」と笑う彼女の声が聞こえる。


「変わっていなくて、安心しました」

「……そうかな」

「そうですよ。やっぱりは美依奈さんです」

「マネしてる?」

「はいっ」


 今度は悪戯っぽく笑ってみせた。ほんの少しだけ色っぽくなってる気がする。本当にちょっぴりだけど。


 呼び方も、今日初めて本名で呼んでくれた。サクラロマンスのメンバーは全員が芸名である。私みたいにフルネームだったり、雪ちゃんのように苗字だけというケースがある。

 夏乃雪音の本名は佐藤雪音さとうゆきね。可愛い名前だと思うけど、私たちに共通して言えるのは全員の苗字がシンプルだということだ。ま、別に今はどうでもいいんだけど。


「あ、そうだ」


 ふと聞こえたその声に意識がいく。彼女のリアクションを見て、なんとなく察した。

 さっきから話すことに集中していたせいで、飲み物を注文し忘れていたことに気づいたのだ。だから雪ちゃんは私の前でメニューを広げて「何にしますかー?」と後輩女子のように可愛く聞いてくる。

 テーブルの下にやったスマートフォンの画面に触れる。時間は10分程度しか経っていない。うん、ならコーヒーの一杯ぐらいは飲めそうだ。


「私はミルクティーにします。美依奈さんは?」

「アイスコーヒーにしようかな」


 特に何も考えず、流れるようにコーヒーを選んだ。すると雪ちゃんは「えっ」と驚いたような声を漏らした。


「どうしたの?」

「あ、いや、大したことじゃないんですけど」


 そんな前置きをされると余計に気になる。大体そう言う時点で彼女の中では「大したこと」なのだから。

 このまま受け流すのも気持ちが悪いし、その言葉の先を促してみた。雪ちゃんは少し考えて。


「美依奈さんってコーヒー飲んでる印象なくて」

「……それだけ?」

「わ、私には一大事に映ったんですっ!」

「そんなこと言われてもなぁ……」


 口ではそう言うけど、サクラロマンス時代を思い返してみれば案外彼女の言う通りかもしれなかった。

 仕事中は基本的に水がお茶しか飲まない。匂いとか色々気にしてたし。今になって思えば、流石に気を遣いすぎた感も否めない。だからか。

 ……だとしても、そこまで驚かなくてもいいのに。仕事中は飲まないだけで、プライベートでは普通に口にしてたわけで。


 痺れを切らした店員が私たちの席にやって来た。驚いている雪ちゃんを横目に、私はミルクティーとアイスコーヒーを注文する。その間、彼女はジッと私の横顔を見つめている。分かる。凄い視線が刺さってるんだもん。


「今の美依奈さん、すごく綺麗」

「ちょっ、いきなりどうしたの」

「あ、いえ。素直に思ったから」

「……そう。ありがと」


 その好意は素直に受け取っておく。否定するのも違う気がしたし。


 話にも熱がこもってきたから、さっきよりも空気が柔らかいモノに変わったと思う。それを察した私の心は、ずっと奥に隠していた感情をチラリチラリと見せ始める。

 どういうことかというと、私が辞めるきっかけになったこと。――熱愛疑惑の報道が出た時、どう思ったのか。


 別に聞く必要は無いのに。聞かなくてもこの先の仕事にひどい影響が出るとかは無いと思う。

 けれど――避けては通れない道。私とサクラロマンスは一応、同業者ということになる。辞めといてソロアイドルとして活動するのは、彼女たちから見たら不義理そのものだ。


「あの、さ」

「はい?」


 聞きづらい。でも、聞くしかない。

 あの子たちのことなんかどうでもいい。それを捨てて、自分が理想とする道を突き進めば良い。そう心を鬼にして、喉に留まっている言葉を空気中に投げる。


「私が辞めた時、どう思った?」


 雪ちゃんは戸惑っていた。彼女に聞くべきことではなかったかもしれない。言っておいて後悔する。申し訳ない。

 でも、私の胸には彼女たちの存在が少なからずある。まとめなきゃいけないという強い思いが、今にも千切れそうな細い線になっても残ってる。これを断ち切るには、こうするしかない。


 さっきまで笑っていた彼女から、微笑みが消えていく。変わる表情。でもそれは、怒りではなく、悲しみに近い何かであった。


「その時も言いましたけど、ショックでした。正直」

「うん」

「……でも」


 否定形。それを聞いて、少し安堵した自分が情けなくて吐きそうだった。


「なんとなく予想はしてました。無理してるんだろうなぁって」

「……」

「実際、私たちは美依奈さんに甘えっぱなしでしたし。だから、少なくとも否定するつもりはないです。むしろ、また同じ世界に戻ってきてくれて嬉しいぐらいですから」


 それは素直に受け取っていいのだろうか。雪ちゃんは嘘をつくタイプじゃない。こう見えて、嫌なモノは嫌だとハッキリ言える性格。だから本心なんだろうけど、その言葉に甘えてしまうのは違う気がした。


「――ただ」


 また否定形。今度はさっきのような安堵感は無い。いや、今はそれで良い。彼女たちの声を聞くことが出来るのなら、それで。


「他の3人は、あまり良く思っていないと思います。特に華ちゃんは、美依奈さんのこと本当に尊敬してましたから」

「……辞めておいて、また芸能界に戻るから?」


 その問いに、彼女は何も言わなかった。それが肯定だと言うのは、誰の目から見ても明らかだったのに。


 さっきまでの暖まった空気は消え去っていて、運ばれてきたアイスコーヒーの苦味すら感じない。

 この独特の感情は、この先も消えないんだろう。それぐらい、自分が捨てた彼女たちは大きな存在だったのだ。

 多分。ここに来て初めて。いや、ようやくと言うべきだろうか。自分がやったことの罪深さというモノに気づいてしまった。


 私が捨てたソレは、今やトップアイドルの階段を駆け上がっている。そんな彼女たちと同じ舞台で戦うのだ。たった一人で。私しかいないステージ上。流れる音楽に飲まれて失笑されたって不思議じゃない世界で。


「――美依奈さん」


 俯きかけた私に、彼女は声を掛けてきた。思った以上に優しい声だった。聞き返すと、声と同じぐらい柔らかく笑った。


「今日、華ちゃんが来れなくなって、偶然会えました。でもきっと、これはお互いにとって良い偶然だと思うんです」

「そんな……」

「また、連絡してもいいですか?」


 その好意に、即答出来ない自分が居た。ありがたい話なのに。まだ気に掛けてくれている。

 もう一度、味のしないコーヒーを口に含んで、精一杯の作り笑顔を彼女に見せた。


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