第65話


 彼女と会うと言っても、中々都合が合わないのが現実問題としてある。平日を除けば、俺はいつだってあの子のために飛んでいく。

 その旨を伝えると、美依奈は嬉しそうに笑ってくれた。空きが見つかれば、すぐに連絡すると言ってくれて。すごく嬉しかった。彼女の予定を独り占めするみたいで、柄にもなく毎日ソワソワして生活することになった。


 電話した二日後、俺は一人でいつもの喫茶店に居た。休日の午前中。もし連絡があった時のことを考えると、家に居るよりは動きやすいと思ったから。


「高校生はタバコ吸っちゃダメだぞ」


 マスターが突拍子のないことを言ってきたけれど、それは嫌味だとすぐに分かった。


「これでも、32年生きてきたんですけどね」

「見てるこっちが照れる」

「あぁそう。なら別にそれで」

「僕なんかと話す気にはなれないってか。ひどい男だねお前も。女が出来るとすぐそれだ」


 藤原みたいなことを言うな。この人も。


出来てないから」


 無意識にそんなことを言ってしまった。本当に何も考えていなかった。ただ彼の言葉を無視するのは気が引けたから、咄嗟に出てきた思考をそのままの形に紡いだだけ。


 だが、それが彼には可笑しかったらしい。


「まだ、ねぇ」


 嘲笑あざわらうような顔で、俺の表情を汲み取ろうとする。そしてその意味は、俺の頭の中にすぐに浮かんできた。同時に、口走ってしまったことを理解する。


「あぁ、いや。変な意味じゃなくて」

「へぇ。ならどんな意味さ」

「……まぁ言葉のままだよ」

「なんだそれ」


 俺が言い返してくると思っていたらしく、その反応に拍子抜けしたらしい。別に言い争いをしたいわけじゃない。このソワソワ感を何とか誤魔化したくて、このタバコとBGMに身を任せているだけだ。そこにマスターの茶化しは入っていない。


「覚悟決めたんだね」


 そんなことを言ってくるから、すっかり短くなったタバコを口にして、思い切り煙を吸い込んだ。感情を吐き出す代わりに、煙を空気中に吹いて。


「ん、まぁ」


 否定するのは違うと思ったから、素直に飲み込んだ。恥ずかしさを揉み消すみたいに、タバコを灰皿に押しつけて。ジュワリと音を立てて崩れていくソレは、俺の心とは正反対な気がした。


「あの子、可愛いよねぇ」

「……急にどうしたんすか」

「いやいや。知らない子じゃないし、素直にそう思っただけだよ」


 いきなり否定形から入るということは、何か思うところがあることじゃないのか。まぁいいけど。

 思えば、彼女と仕事の話をしたのもこの場所だ。アレがなかったら、今のこの瞬間は無かった。そう断言出来るぐらいには、ターニングポイントだったはずだ。


「長居するんならコーヒーのおかわりでもしてくれ」

「はいはい。分かったよ」


 長居するも何も、今日の予定は無い。彼女だって仕事だろうし、こうして暇を持て余している。これから何をするか考える時間と捉えてもらうのが一番だな。

 マスターの要求を飲んだというのに、彼はため息をついている。他に客居ないんだから別にいいだろう。ただ口論したくないから何も言わない。

 そんな彼と同じように顔をドアの方に向けた。カラリと鳴ったベル。来客を知らせる音色だったからである。


「……え?」

「あら」


 姿を見せたのは、俺もよく知っている人物だった。同時に、どうしてこんなところに来たのかと疑問が頭に浮かぶ。


「はぁ。また来たのか」

「歓迎されないのね。私って」

「お金落とすなら何も言わねえよ」

「あら、そんな態度には見えなかったけど」


 宮夏菜子は、俺と二人分間隔を空けて座った。カウンター席である。マスターと軽口を叩く様子を見る限り、知り合いなのだろうか。それとも常連か? 俺も結構な常連だが、顔を合わせたことはない。一体何なんだ。


「はい、おかわりコーヒー」

「あぁ、どうも」


 二杯目ではあるが、鼻を抜けるこの香りは飽きないな。無論、口に入れるとその味は体の奥に染み渡っていく。


「新木君は常連なんでしょ。ここの」

「ええ、まぁ。宮さんはどうして?」

「単純にコーヒーが飲みたかったからよ。それに、タバコも吸えるし」


 確かにそれはよくある理由だと思う。でも会話を聞いていたマスターが顔をしかめたから、多分違うんだと思う。この人はマスターにどんな嫌がらせをしているのだろうか。

 タバコを吸える喫茶店なんて、調べれば割とたくさん見つかるのに。ここじゃなくて良いだろうとツッコみたくなる自分が居た。


「……ねぇダメなの?」

「だから何度も言ってるだろう。今の僕にそんな力は無いと」


 二人の会話に聞き耳を立てるつもりは無かったけど、耳を塞いでいるわけでもない。仮に塞いでいたとしても、聞こえるぐらいの声の大きさである。

 宮さんもそうだけど、マスターの語気は割と強めだ。何の話をしているのかは知らない。でも彼があんな態度をしているのを初めて見た気がしたから、少し可笑しかった。


 お邪魔なようだし、このまま帰りたかったけど、二杯目のコーヒーはまだ冷めそうにない。あまり熱いモノに強くもないこの舌には、少し酷な状況である。

 マスターは俺の方をチラチラ見てくる。聞かれたくない内容なのかもしれない。人間一つや二つそんなこともある。だからコーヒーを持ってテーブル席に移ろうとしたけれど、彼女がそれを遮ってきた。


「新木君は知ってるの?」

「……何をですか?」


 宮さんの問いかけに、マスターは盛大なため息をついた。ということは、彼に関連する何かのことだろう。

 生憎、何にも知らないと言っていい。長く通ってはいるけれど、名前だって知らない。ずっとマスターで通っているから、別に本名で呼ぶ必要性を感じなかったのだ。


「おい」

「ごめんなさいね。でも、彼は知ってても良いと思うんだけど」

「……面倒なことを連れ込んでくるな。相変わらずお前は」

「最高の褒め言葉ですよ」


 やはり知り合いなのだろうか。それも、ずっと昔から知っているみたいな会話である。

 それを具現化するみたいに、宮さんはクスクス笑って言葉を紡いでみせた。


「お願いをしてたの」

「お願い?」

「そう。ミーナちゃんのデビュー曲。その歌詞を書いてくれないかってね」



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