8th
第64話
新年度になった。最近やたらと絡んでいた藤原も新部署で奮闘しているらしい。あっちの方が向いていると思っていたが、いざ居なくなると静かで寂しいモノである。別にいつでも会えるんだけども。
4月の二週目。山元美依奈に会いたくてたまらないんだけど、そういうわけにもいかなかった。
別にビビっているとかじゃなくて、ポスターに続いてウェブコマーシャルがヒットしたのだ。
そうなってくると、俺たちより彼女の方が慌ただしくなるのは明らかなわけで。メッセージをした時に言っていたのが「色んなお仕事が舞い込んできた」ということ。
コマーシャルの仕事が終わったから、彼女と会う口実も無い。そもそも、今の彼女にそんな時間は無いと思うが、やはり寂しいモノである。
「桃花愛未」の芸能活動再開には、色んな声があった。無論、その名前じゃなく本名での活動になるんだが、それでもネットニュースでは桃ちゃんの名前が使われることが多かった。
熱愛疑惑から脱退、そのまま消えて行くとばかり思っていたオタクたちは、複雑なようだ。サクラロマンスのネット掲示板ではそんなスレ民たちの声で溢れている。
ただ、俺が思っていた以上にネガティブな意見は少なかった。ポスターの時もそうだったが、むしろ「綺麗になった」とか「オーラが出てきた」なんて声も多い。
だからこそ、俺が触れるべきじゃないのだ。
今度彼女に熱愛疑惑が出てしまえば、それこそ支障が出る。一度目よりも二度目の方が、そのダメージは大きい。今回の件に限った話ではないが。
そんなのはずっと前から分かっていた。だから、だから。
「もしもし。美依奈?」
「う、うん。どうしたの?」
夜の9時過ぎ。彼女は電話に出てくれた。話を聞くと、ちょうど打ち合わせを終えて帰ってきたらしい。これからご飯とか風呂とか済ませると言うから、あまり長々と話すのは気が引ける。
家、かぁ。あの日のことを思い出すな。彼女の匂いに包まれた空間。そんなことを考える余裕なんて無かったけれど、感覚というのは素直なモノである。昨日のことのように思い出す。
(……聞こえてないよな)
弱気な愛の告白というのは、これでもかと言うぐらいに虚しい。相手に伝わらなきゃ意味がないのに、言葉にして満足する自分が心のどこかにいる。
こんなにも分かりやすい自己満足は無い。彼女に、山元美依奈に伝わらなきゃ、この想いは光り輝かないというのに。本当に勿体無い。
「いやその。声が聞きたくなって」
「へっ」
「なに?」
「あ、い、いや。へ、へぇ、そうなんだ。ふ、ふーん……」
そのせいで好意が露骨になった気がする。
あの日、伝えることが出来なかったから、だから、こうして心の穴を埋めようとして。
自己満足で終わりたくないことぐらい、俺も理解していた。だからこうやって、世間のイメージを逆撫でするような行為をしている。
もう、そうしてしまうぐらいには、君に惚れてしまったんだ。分かってくれるかな。
「体調は大丈夫? 無理してない?」
「うん。ありがとう。疲れてたけど、今、元気出たよ」
胸が鳴った。普段なら何とも思わない言葉だったけれど、すごく、すごく深読みしてしまって。
それはまるで、俺が電話したから元気になったって意味みたいじゃないか。それを君は
「そ、そっか。あはは……」
雲の上に居るみたいな感情のせいで、気の利いた事は何も言えなかった。単語は頭の中に浮かんだんだけど、パズルみたいに上手く組み合わせることが出来なくて、ただ誤魔化し笑いをするしかなかった。
「えへへ。照れてる」
「う、うるさい。照れてない」
「ふーん」
「何さその口ぶり」
「ううん。別にぃ」
ぜったい揶揄ってるな。分かる。この調子の良い声は間違いなく、俺のことをクスクスと。
でもなんだ。すごく嬉しいんだ。君と何気ない会話をして、こうやって揶揄われて。でも、彼女も悪気があるわけじゃなくて。
君が隣に居てくれたら、どんなに幸せだろうか。
「……新木さん?」
「えっ、あぁ、ごめん。少し考え事」
「む。掛けてきたくせに」
「ごめんごめん」
少し黙ったぐらいでそんなこと言わないでよ。でも、これぐらいが可愛かったりするんだよね。
耳に当てたスマートフォンを肩で抑えて、器用にタバコに火を付ける。手先は全然そんなことないのに、こういうところは変に上手いからムカつく。
煙で思考を誤魔化してるみたいで、あまり良い気分にはならなかった。吸わなきゃ良かったと思ったのは、いつぶりだろう。君の前では素直で居たいと思えるようになったから。
「タバコ吸ってるでしょ」
「え、うん。分かる?」
「分かるよ。ライターの音聞こえたもん」
「そっか」
タバコの匂いに染まらせるのは、あまり良くないよな。体にいいモノではないし。だから君の前で吸うのはもう――。
「新木さんのタバコなら平気だよ」
「……何も言ってないじゃないか」
「だって、あまり美味しそうに吸ってないって思ったから」
「エスパーかよ」
そう言うと、彼女は笑った。
うふふ、と上品そうに。
「そうだよ。私はエスパー」
「そっか。なら嘘はつけないね」
「うん。嘘はつかないでね」
嘘をつくというのは、人に対する裏切り行為だと分かる。彼女はそれを嫌っている。
なのに、これまでの俺は自分自身に嘘をついてきた。必死になって恋心を隠し通そうとしていた。そんな俺の姿は、彼女の目にどう映ったのだろうか。今になって思えば、ひどく情けない話である。
「そっか。なら、単刀直入に言うよ」
「へっ」
ここまで引っ張ってきたのだ。回りくどいことはしたくない。でも、電話では君に言えないや。本当の気持ちを。
だから、せめて。この言葉だけでも、今の君に届けたい。それを告白だと捉えてもらってもいい。また直接言い直すから。だから――。
「君に会いたい」
喉が熱くなっていく。まるでマグマが通った後みたいに痛くて、でも、でも。
忙しいことは分かっている。時間が取れないことも分かっている。それでも、君の隣に居たい。許してくれるなら、こうして一人吸っているタバコを、君の隣で。
少し考えて、言葉を飲み込んだり。少し考えて、言おうとしていたり。彼女は、すごく揺れている。メトロノームみたいに、カチカチと音を立てて感情を揺さぶっている。
「――も」
消えてしまいそうな声は、語尾だけ俺の耳に届いてみせた。何と言ったのだろう。聞き返すべきだろうか。でも、ヤケドしたみたいに喉が熱くて、言葉がつっかえて出てこなかった。
いつもなら絶対聞き返していたじゃないか。何も考えずに。それなのに、どうして肝心な時に狼狽えてしまうんだ。やっぱり俺は、情けない。
「私も会いたい」
でも君は、言い直してくれた。俺に聞こえていないと分かっていたからか、心からの本心を自分の言葉にしてくれた。
あぁ、胸が熱い。喉から落ちていくマグマは、やがて俺の全身を熱で包み込む。これを消す術は無い。
彼女が隣に居る限り、ずっと。でもそれでいい。いや、それがいいんだ。
「そ、そ、そっか……」
タバコの灰が落ちる。吸うことすら忘れてしまって、火が消えてしまった。
反対に、心の炎は燃え上がる一方だ。彼女への恋心。誰にも渡したくないという独占欲。これはもう止められない。
あぁ早く。早く。言ってしまいたい。君が好きだと。君の瞳を見つめて。はっきりと。
「……えへへ。照れてやんの」
照れてないよ、と言えなかった。
だって、頬はこんなにも赤くなっているのに。それに、嘘はつかないって約束したからね。
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