第60話


 リビングから入ってくる明かりを頼りにして、彼女の顔を見る。素顔は何度見ても、俺の心をくすぐるぐらいに綺麗であった。

 ただずっと見つめるのも彼女に悪かったから、リビングの明かりを消した。そのまま寝室に戻って、ベッドに寄りかかる形で背を向けた。腰を落とすと、一気に疲れが出てきた感覚がする。

 静寂。外の空気が揺れる音すら聞こえてきそうなぐらいに。暗くなったこの部屋で、俺は彼女と二人きりである。


(……ぐっすりだ)


 一定のリズムで寝息を立てている。どんな夢を見ているのだろうか。薬が効いてきたのかもしれないな。いずれにしても、眠れないよりは断然マシだ。


「ん……」


 寝返りを打ったみたいで、衣擦れの音が響いた。それがすごく色っぽくて、思わず固唾を飲む。この状況、実はかなりマズいのである。

 伏せっている彼女を襲う気にはなれないが、胸がはち切れそうなぐらいに高鳴るのは仕方がない。だがそれが苦しくて、ここに座っているだけで体温が上がっていくみたい。


 今日はこのまま泊まるしかないか。宮さんに残ってもらうのが一番理想だったけど、彼女を一人にして帰る気にはならなかった。

 リビングで一人横になることも考えた。でも、宮夏菜子との会話を終えてから無意識に足を運んでしまった。彼女の隣に居たかった。ただそれだけ。


「……美依奈」


 宮さんの言った条件というのは、多分。俺のことだと思う。自惚れでもなんでもなくて、彼女にとっても俺の存在が色々と大きくなりすぎたんだと思う。

 それは俺としても同じで、彼女に恋をしてしまった。アイドルとしてではなく、ひとりの女の子として君を見てしまった。

 例え、山元美依奈が俺を受け入れてくれたとしても、世間はどうだろう。そんなアイドルを受け入れてくれるだろうか。……いや。もてあそぶ格好のマトである。


 熱愛疑惑で辞めたアイドル。それなのに。俺の存在が世間に知られたら、彼女はどんなバッシングを食らうか分からない。

 アイドルとして復帰しなければ、こんなことにはならないか。と言われれば、それも少し違う気がした。第一、彼女はアイドルに対するこだわりが強いらしい。一度心が折れたとは言え、やり残したことも多いと聞く。


 その辺は本人から聞かないといけないから、今の俺にはなんとも言えないんだけど。


「新木……さん……」

「ん?」


 唐突に名前を呼ばれたから、振り返って彼女の顔を覗き込んだ。でも、瞼は閉じたままで俺の言葉に反応する雰囲気がない。


「寝言かい」


 思わず笑みが溢れた。子どもみたいで、可愛らしい彼女のその姿に。頭を撫でたくなったけど、奥手の俺には出来なかった。

 再び背を向けて、一つ息をついた。ほんの少し眠気が強くなった気がする。それもそうか。さっきまで仕事してたわけだし、普段ならもう寝てる時間帯だ。


 ふわりとあくびをして、涙目になった瞳を拭う。今日はこのまま寝かせてもらうしかないな。1日ぐらい横にならなくてもなんとかなるだろう。32才だし。


(明日の仕事、行きたくないなぁ)


 朝から家に帰って、シャワーを浴びて出社か。考えるだけで面倒だ。仕事が無ければ、いくらでもここに居たいんだけど。

 うん。そう。とにかく俺は、山元美依奈の隣に居たい。その感情は変わらない。だから、手を引けと言われても引きたくない。むしろ、このまま君を奪い去りたいぐらいだ。

 アイドルに戻らなくてもいいから、俺と一緒に駆け落ちでもしようよ。なんて言い切れたら、今こんなに悩んでいないんだけど。


「……本格的に眠くなってきた」


 独り言。そのまま消えていくだけの虚しい言葉である。

 でも、アイドルとして輝く彼女を見たいのも本音だった。良い曲を歌い上げるパフォーマンス。ステージ上を彩るオーラ。その全てを見つめていたいのに。


 ……だめだ。眠気のせいで頭が回らない。今にも首がだらりと下がってしまいそう。このままソレに身を委ねてしまおうか。

 そう思っていた。人が一番無防備になっていた時に、頭の中に浮かんできた言葉。記憶の欠片は、今一番望んでいるモノを炙り出すのである。


 ――好き


 全く。あんなことを言われて、落ちない男は居ないって。台本通りだったかもしれないけど、ダイヤモンドのように輝いた瞳が今でもハッキリと脳裏に浮かぶ。

 そのまま口づけでもしたくなる。綺麗で甘い、天国へ導いてくれるようなキッスを君と。――なんて、ワガママは彼女に言えないや。


 恋をしてしまうと、どうしても独占したくなる。アイドルとして彼女がチヤホヤされるのは、非常に複雑であった。

 それに色々な出会いだってある。俺なんかよりカッコよくて、品があって、教養もある人間と出会う機会が。


(……あぁ)


 嫌だなあ。そんなの。想像するだけでムッとしてしまう。そんな小さい男でも、彼女は受け入れてくれるかな。そうだといいな。

 胸の中から、感情が溢れていく。全身を巡る。これまで言うつもりもなかった言葉が、形を成そうとしている。彼女が眠っているのをいいことにして。


 止まらない。この感情。君への恋心は。



「俺も君が好きだ」



 ずるいだろう? 背中を向けていて、なおかつ君が眠っている時にしか言えないんだから。

 だって君の顔を見てしまうと、臆病になってしまうんだ。君にとっての幸せを考えてしまうから、俺の本心なんかぶつけない方が良いって思っちゃうんだよ。


 それなのに、笑えるな。

 台本のセリフに、自分の本心を返すなんてさ。君が聞いたら、笑ってくれるかな。それとも――ときめいてくれるかな。


 なぁ、美依奈。もっと君のことを知りたい。そしたらきっと言える。

 あなたの目を見て、この想いを伝えられる。だから、ずっとずっと俺の隣に居てくれよ。


 ……あぁ、ねむい。ごめんね。可愛いミーナ。普段ならもっと色々考えられるけど、今はそれが難しい。

 俺も眠らせてもらうよ。大丈夫。ここに居るから。だから、安心してぐっすり眠っていていいから。


 じゃあ、おやすみ。また明日。


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