閑話(4)


 トイレから戻ってくると、さっきまで新木さんが居た場所には違うスタッフが立っていた。

 あの人もお手洗いだろうかと思ったけれど、すれ違った記憶もないし。だとしたらどこに行ってしまったのだろうか。

 そんな疑問は、案外すぐに解決した。視線の先に、煌びやかな彼女の目の前に立っている彼を見つけたからである。


「全く。好き勝手やってくれるわね」

「うげっ」


 聞き覚えのある声を聞いたせいで、社会人としてあるまじき声を出してしまった。そして、それに反応したは、俺の顔を見てあからさまに見下した表情を見せた。


「あら、お久しぶり」

「……ど、どうも」


 宮夏菜子。あの日、山元美依奈と一緒にウチの会社へやってきた敏腕社長である。あの頃より髪が少しだけ伸びている印象を受けたが、口には出さなかった。

 変な声を出したことは謝らない。それ以上に変なことを言われたから。あの日、脅された事実は消えないし、俺が消させない。たとえ彼女が裏社会の人間だろうと。俺は負けない。


 とはいえ、やはりタレントの仕事ぶりは気になるみたいで、まるで母親のような視線を彼女に送っている。

 俺としては、それ以上に気になることがあるんだけども。


「あの監督、自由なの。決まり事なんて守らないことで知られてて」

「へぇ。そうなんですか」


 随分と語弊のある言い方のような気もする。それに気づいたようで、宮さんは「あぁ」と言って言葉を付け足した。


「もちろん常識の範囲内でね」

「分かってます」


 俺の素っ気ない返事に、彼女は不満そうだ。けれど、だったらなぜ企画段階で指摘しなかったのかとなる。じゃなきゃ、さっきの自身の言葉の意味が通じなくなる。


「ならどうして拒否しなかったんですか?」

「まぁ、単純な理由。あの子とも仕事したことあるし、知らない顔よりは良いでしょって話なだけ」

「……そういうもんですかね」

「あなたは違うの?」


 思いがけない追撃だった。大して深く考えていなかったせいで、つい狼狽える。けれど、彼女は答えないと逃してくれないだろうな。なんとなくそんな人だと思う。


「楽しくないですか? 新しい出会いって」

「仕事上の付き合いは長い方がやりやすい」

「でも、きっかけになりますよ」


 二人きりになった彼らを、二人並んで見ている。客観的に見ても、すごく不思議な状況だった。本当なら隣に居た人が、今この場所の主役の隣に立っているのだから。

 ここからだと、新木さんの顔は少し引き攣っているように見える。流石に緊張するだろうな。セリフもあったりして。それだときっと、めちゃくちゃ棒読みになって撮影進まないな。


「きっかけ。何の?」

「そんなの分かんないですよ。彼女自身の何かじゃないですか?」

「随分適当なのね」

「新木さん譲りっす」


 ここで彼のせいにしておけば、色々と丸く収まるだろうと考えた。案の定、宮夏菜子はため息をついて何も言わない。

 それはそうと、撮影は再開したのだろうか。二人が仲良さそうに話しているみたいだけど。山元さんは後ろ姿しか分からない。でも、楽しそうなのはなんとなく読めた。


「アイドルが恋をするのって、どう思う?」


 ふと彼女が漏らした言葉は、やけに俺の頭の中にこびりついた。それはまるで――山元美依奈がそうだと言っているみたいに聞こえたから。

 それにしても寒いな。彼女はあんな薄着で寒くないのだろうか。あんなに細くて、硝子のように脆そうなのに。まぁいいか。


「良いんじゃないですかね」


 潮風の匂いはあまり好きじゃなかった。高校生の頃、好きだった女の子にフラれたことを思い出す。生まれてはじめての告白だったから、心の中にムカつくぐらい爪痕を残していた。

 それもいつか笑える日が来る、なんて言う人も居る。けれどいつまで経ってもそれは変わらない。甘酸っぱくもないし、ただただ苦いだけ。それだけあの子のことが好きだったから。


「どうして?」

「んーまぁ、人間ですし」

「アイドルだよ」

「一緒じゃないっすか?」


 人と人が絡み合うと、どうしても予期せぬことが起きるモノだと思ってる。

 もっと具体的に言えば、好きになるはずないと思っていた相手に限って、話せば話すほど沼に嵌まっていくみたいに恋焦がれたり。れっきとした相手が居るのに、よそ見したり、ふらついたり。


 それは全て、人同士が何かしらで繋がってしまうから。ずっと一人だったら、そんなことにはならないだろう。けれど、人間一人では生きていけないから、必ずどこかで不具合が起こる。そんなジレンマの中に居るわけで。


「そもそも、俺は気にしないんですけどね」

「何を?」

「ほら良くあるじゃないですか。アイドルの熱愛発覚とか、芸能人の不倫とか」

「あるわね」

「どうでも良くないっすか?」


 自分でも、思いがけず口が乗ってしまった。少し言葉の威力が強まって、宮さんの元へ向かっている。彼女は溢れる笑みを堪えようとすらしなかった。撮影の邪魔にならないよう口元を押さえている。


「それはあなたが興味を持っていないから」

「まぁ、それはそうですけど」

「なら、君が好きな芸能人でもなんでも良い。その人に浮ついた話があったらどう思う?」

「……なんか随分詳しく聞きますね」

「深い意味は無いから」


 心当たりがあるから聞いてるんだろうな。あんま深く聞くと、色々と面倒なことになりそうだ。また脅されるのは勘弁だし。

 生憎、テレビをあまり見てこなかった。だから好きな芸能人とか聞かれても断言出来るだけの知識がない。

 だけど自分の好きな子に「実は彼氏がいた」と知った時は、それは悲しいだろう。アイドルのファンというのは、そんなにものめり込むものなのだろうか。


「推しが幸せならそれで」


 イントネーションは、どうしても他人事のような感じになってしまう。実際そうなんだけど、あまり興味がないと思われるのもな。

 でもそれはただの杞憂で、彼女はクスッと微笑んでみせた。その反応は意外だったから、思わず宮さんと顔を見合わせる形になる。


「彼と同じことを言うのね」

「……これも新木さん譲りっす」

「ふふっ。そう」


 無論、流石にそこまでは知らない。ていうか、あの人もそんなキザなこと言ってたんだな。俺の知らないところで。


「ファンっていうのは不思議でね。自分に不都合なことが起こるとひどく攻撃的になるの」

「それはファンと呼べないですよね」

「……そうね」

「すごく虚しいですよ」


 ふと言葉が漏れた。意図せず。

 俺の目の前に居る二人は見つめ合っている。まるで恋人みたいな雰囲気で。

 あー。きっとそうなんだろうな。この人が聞いていた理由が何となく理解できた。ホント、なんとなくだけど。


「それで推しを否定するのって、それまでの自分自身を否定することじゃないですか」


 一生懸命、その子のことを応援していたのに、一つのニュースがきっかけでアンチに変わる。そんな世界だとは理解しているけれど、そんなのは虚しい以外何でもない。

 これまで掛けた時間も、お金も、想いも。全て無かったことにしてしまうってことだろう。落ち込むのは良いけれど、それで叩くのは違うと思う。

 そう考えると、新木吾朗という人間はしっかりしている。その結果、自身の推しと良い感じになってるのだから。神様とやらは、案外ちゃんと見ているのかもな。


「……君って意外と達観してるのね」

「そうっすかね。まだ25ですけど」

「若さゆえの思考、かしら」


 そう言う宮夏菜子は、一体いくつなのだろう。全然気にしてなかったけれど、若々しいのは事実。でもそれは「思っていたより歳を取っている」前提の思考であるわけで。


「あ、あの」

「なに?」

「失礼を承知で聞いてもいいですか」

「……あまり気乗りはしないけど。どうぞ」


 思わぬ了承であった。固唾を飲んで聞いてみる。


「宮さんって、おいくつなんですか?」


 俺の言葉は、乾いた空気に良く響く。周りにも聞こえてるんじゃないかってぐらい。彼女は苦そうに笑って、ため息をついた。


「別に何歳でもいいでしょ?」

「いや、ふと気になって」

「そう。なら、いくつに見える?」


 その聞き方自体が、おば――。いややめとこう。これを言ったら絶対怒られる。ブチギレられる。必死に飲み込んで、代わりの言葉を探す。

 でも、どう言ったところで怒られる未来は変わらない気がした。その瞬間気づいた。俺はとんでもない地雷を踏んでしまったのだと。


「……怒りませんか?」

「もちろん」


 にっこり笑ってるけど、その笑顔が怖い。黙ってれば美人という言葉が良く似合う人だな。本当に。そして分かる。これは先生の「怒らないから言ってごらん?」と同じ展開だ。


「ごじゅう――ごふっ!!」


 言い切る前に腹にパンチが飛んできた。容赦ないそれは、まさに俺の体を捻じ曲げるぐらいの痛みである。


「そんなイッテないから」

「ほ、ホントに……?」

「なに? ケンカ売ってんの?」

「い、いえ……」


 絶対50代だと思ってた。ということは、まさかのアラフォーとか。それか、49才でギリギリなのか。どちらにしても、これまでの論理展開が間違っていたみたいだ。

 宮夏菜子は「若々しく見える」わけではなく「年の割には老けている」ということだ。新木さんにも伝えないと。こんな面白いことはない。


「あ、そうそう。言いふらしたら潰すから」

「………」


 やっぱりヤクザかなこの人……。

 とりあえず撮影も終わったみたいだし、新木さんのことを茶化しに行こう。あと、この人から逃げたいし。


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