第56話


 カメラを向けられると、少しは背伸びした自分になれると思っていた。


 あの頃からずっとそうだった。初めてスポットライトを浴びたあの時からずっと、その瞬間だけは私じゃなくなる気がして。だから、背伸びをしたと表現するのがしっくりする。

 でもそれは、背伸びなんかじゃなくて。ただ浮き足立っていただけだと今さらになって気づいた。

 カメラの向こう側に居るであろう視聴者のことを考えて、若干顔が引き攣ってしまったからである。久しぶりのセリフということもあって、まるで力が入らない。それを監督は見逃さなかった。


 「らしくない」と一言だけ告げられた私は、ふと考えた。私らしさっていうのは、何なのだろうと。

 あの頃の私のことを指しているのだろうか。あんな浮き足立った私のパフォーマンスのこと。だとしたら、随分な嫌味だな。

 この監督は、サクラロマンス時代に何度も仕事したことがある仲だった。だから今でも「桃ちゃん」と呼んでくれる。良いか悪いかは置いといて、少しあの頃を思い出す。


 だからだろうか、彼は私の心を見透かしたみたいにあの人を連れてきた。キョトンとして、話についていけない間抜けな顔をしたあの人を。私の相手役に、と強く推している。


 たったそれだけで、ひどく胸が高鳴った。まさかこんなことになるとは、夢にも思っていなかったから。


「ね、?」


 嫌がる彼を説得している監督は、私に同意を求めてきた。桃ちゃんと呼ばなかったあたり、多分知り合いだと悟られたくなかったのかな。

 そんな隠すような関係とかじゃないけど、ここで知人面をしたら彼がますます嫌がると思ったのかもしれない。


「……知ってる人の方が、安心します」


 さっきまでのカメラマンさんには悪いけど、これは本心でもあった。多分ずっと前なら、やりづらいと思っていただろうけど。

 今は違う。彼の目の前で、渾身の演技をすれば、そうすれば、彼は――。


 私の髪に伸びる手に反応したせいで、その思考は途切れた。スタイリストさんの綺麗な細い指が髪、顔を辿っていく。まるでガラスを磨き上げるみたいに。

 チラリと彼に視線を送る。頭に目線カメラを巻き付けていて、普段とは全然違う姿に笑いそうになった。


「新木さん」

「ん?」


 名前を呼ぶと、手持ち無沙汰にしている彼は、どこか嬉しそうに目を少し開いた。


「ありがとう」


 何に対しての感謝なのか、彼は悩んでいるようにも見えた。今この瞬間のことについてなんだけど、色々と深読みしてたりして。

 ふふっ。そうだったら可愛いな。ほっぺたはほんの少し熟れていて、この冷たい夜風を跳ね返しているみたい。

 普段の彼なら、こうやって見つめていると目を逸らすのに。今はジッと私の心を見つめてくれている。すごく嬉しくて、すごく恥ずかしい。


「当然」


 でも、そうやって見栄を張った彼が可笑しくて可笑しくて。つい笑みが溢れてしまった。それをもどかしそうに見ている彼。

 ちょうどスタイリストさんたちはハケていったけど、監督が私の元に駆け寄ってきた。


「桃ちゃん桃ちゃん」

「はい?」


 そうやって声を掛けてきたこの人は、若干ニヤついていた。よからぬことを企んでいると察したけど、彼に背を向けているからきっと二人の内緒話だろう。


「もうあのカメラ回してるから」

「そ、そうなんですか?」

「だからやってみて」

「自然に、ですか」


 台本通りに演じるのがキャストの仕事。けれど、その方法は現場によって多種多様だ。

 一から十まで動きが決められていることもあるし、そのワンカットに至るまでの動きは自由なこともある。今回は後者になるわけだけど、となれば心構えも変わってくる。


 要は「好きです」のカットまで自由に動いていていいわけで。それまでの流れも、セリフも、完全に演者任せ。独り言を言ってもいいし、彼を巻き込んでしまってもいい。監督の言うことは、そういう意味だ。


「ほら、本気で口説き落とすつもりで」

「く、く、口説くなんてそんな……!」

「ははっ。それじゃ、自由に始めちゃって」


 監督は私の元から離れていく。そして残されたのは、彼の二人だけの空間。海風。ビル群の明かりが空気に反射して、まるで私たちを照らし出すスポットライトみたい。

 黒のダウンコートを脱いで、白のワンピースが風に舞う。家じゃ使わない洗剤の匂い。香水の香り。鼻を抜けて、自身の体温を上げていく。

 冷気で、ひんやりと体を灼く手すりの上に腕を乗せた。長袖ではあったけど、やっぱり伝わる独特の冷たさ。でも今は、それがすごく心地良かった。


「寒い?」


 見かねた彼が問いかけてきた。確かに人から見ればそう思うだろう。ワンピースの色も白。どうしても寒々しい印象を与えてしまう。

 ゆったりと流れる波に視線を泳がせながら、一つ小さく息を吐いた。3月になったけど、やっぱりまだ冷たいみたい。白い煙が私の口から出てきたから。


「寒くないよ」


 自分でもよく分からなくなっていた。

 つい数十秒前まではそれが本心だと確信していたけれど、白い息を見てしまったことで寒くなってきた気もする。でも、ここでそう言ってしまえば彼は撮影を早く進めようとするだろう。


「そっか」


 すごく優しくて不器用な人だから。

 お互いに言葉が見つからなくて、少しの静けさに包まれた。けれど、それもすぐに彼が切り裂く。


「こっちを向いてよ」


 体の奥からじわりじわりと、熱が表面に浮かび上がってくる。そんな感覚に襲われた。

 ドキリとした。彼からそんなことを言われた記憶がなくて、思わず素直に従いそうになる。だけど必死に我慢した。その代わり、緩む口角には無視をして。

 だって「君のことを見たい」って言われてるようなモノだったから。だから私だって――けれど、感情と理性が頭の中でケンカしている。


「どうして?」


 結果、理性の勝利だ。彼を揶揄いたいというだけで耐え抜いた感情。いま、この場面であれば普段とは違った答えが聞けるかもしれないと淡い期待を寄せて。


「撮影始まるから」

「それだけ?」

「……うん。他意はないよ」


 ばか。意気地なし。仕事だって分かってはいるけど、今は事実上二人だけなんだから、変なことの一つぐらい言ったっていいのに。ばか。

 星々が光り輝くこの夜空。海に映えるソレをゆらりゆらりと眺めていると、どこに眠っていたのか分からないこれまでの記憶が目を覚ましてきた。


 彼と初めて出会ったあの日。いや、本当は握手会の時から顔は知っていたけれど、彼はこんな私の茶番を許してくれた。彼の出方次第では、好き勝手に遊ばれてた可能性だってあるのに。

 この人は、丁寧に対応してくれた。自分が巻き込まれたことも、面倒だってことも分かった上で。その優しさは、彼に会うたびに心を侵食していった。


「………」


 偶然、コンビニの前で免許証を拾ったことが一番の分岐点だった気もする。アレがなければ、電話番号を知ることも出来なかっただろうし。

 もしかしたら、すぐ近くに住んでたりして。そうだったら、嬉しいな。


 彼のことを考えれば考えるほど、頭の中が痺れていく感覚を覚えた。そしてそれは、自身の胸の中まで広がっていって、やがてハートの血液を全身に送り込むポンプと化してしまう。



「すき」



 やがてそれは――言の葉となって空気中を舞う。舞って舞って、彼の元まで。届く前に消えてしまうぐらいの小さな声で。


「え?」


 むぅ。分かっていたけど、ちゃんと聞いていて欲しかった。こんなのは私のワガママだって分かっている。でも、あなただから聞いてほしいの。こんな私の、誰にも譲りたくない感情を。

 ようやく彼の顔を見ると、キョトンとした表情をしていた。可愛かったけど、今は少し厳し目にしておきたいな。ジッと彼の瞳を見つめる。私の中に吸い込むぐらいの沢山のハートに溺れてほしい。


「好き」


 二度目。でも、彼にとっては初めて。

 だから少し温度差があった。言った私は思いのほか冷静だった。けれど、彼の顔はみるみる内にりんごみたいになっていく。


「――へっ」


 撮影が始まっていないと思っているから、いきなりそう言われる意味が分からないんだろうな。うん。それで良い。今はそれで。


「好きです」


 ここで目線を彼の頭上にあるカメラに移す。こういうのはCDの初回特典とかでやったけど、一番上手く出来た自信があった。


 本当はもう一度、あなたの瞳を見つめたまま言いたかったんだけど。どうやら私の方も心臓が限界を迎えていたみたい。体に力が入らなくなって、ダラリと手すりにもたれかかった。

 監督のご機嫌な声が聞こえる。上手くいって良かった。また海を眺めながら安堵する。スタッフさんがダウンコートを着せてくれたけれど、この不思議な疲労感は消えそうもなかった。


 でもそれは、彼も同じみたい。

 顔を真っ赤にして、近寄ってきた藤原さんに揶揄われてる。


 もっと私を意識しろっ。ばーか。


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