第52話


 彼女と約束をした次の日。仕事を終えた俺の携帯に一本の電話が掛かってきた。その相手は嫌いじゃないが、出来ることなら話したくない。そんな人。

 いつもみたく嫌味を言われるとばかり思っていたが、やけに真剣な声で「今晩空いているか」と聞いてきた。明日も仕事だから気乗りしなかったけれど、妙に断れなくてそれを受け入れた。


 それで指定された場所までやって来た。そこはどこにでもある大衆居酒屋だった。初めて来たけど、中々に良い雰囲気である。

 彼女の名前を受付で言うと、女性の店員が愛想よく案内してくれた。絶対忙しい時間帯なのに、ある意味プロ根性か。

 と思ったけど、店内は俺が思っていた以上にガラガラだった。それもそうか。明日も平日だし、ただ単に暇だったわけだ。


 2階に上がると、そこは個室だけのフロアだった。その一室の前で立ち止まって、中へ促される。周りからあまり声はしない。ほぼ貸切状態のようだった。

 引き戸を開けると、俺を誘った張本人である宮夏菜子と目が合った。片手にはビールジョッキを持っていて、おっぱじめていた。


「あれ、山元さん?」

「あ……」


 何より驚いたのは、俺が座ろうとしていた彼女の向かい側に、すでに先客が居たこと。そしてその人は、今とっても会いたくて会いたくない人。俺と目が合った途端、彼女は逃げるように俯く。


「ま、座って」

「はあ……」


 色々と説明してほしいが、とりあえず歩き疲れた。宮さんの隣より山元さんの隣の方が良かったから、俯く彼女をいいことに何も言わず腰を落とした。

 残っていた店員が飲み物を聞いてきたから、とりあえずビールをお願いする。宮さんもおかわりするらしい。よく飲むよ。ほんと。

 そして、注文したモノはすぐにやって来た。よっぽど暇らしい。黄金色の上に乗る雲みたいな泡。うん、美味そうだ。


「――今日はどんな御用ですか」


 乾杯もせず、三分の一を喉に流し込んだ。その勢いのまま、彼女に問いかける。宮さんもまた、ビールを美味そうに飲んでいる。駆け抜けていく炭酸の味。爽快感とは裏腹に、妙に身構えている自分が居た。

 隣の彼女は、相変わらず何も言わない。そうやって黙られるとやましいことがあったみたいに思われる。


「心当たり無い?」


 ほら来た。説教の常套句。まるで悪いことをした子どもに親が怒る時みたいだ。そんなモノは無いし、俺には通用しない。


「無いですね。微塵みじんも」


 断言。正々堂々と言い切ってみせた。だって狼狽える理由すら無いんだもの。当然の対応である。すると彼女は、おもむろに自身のスマートフォンを取り出した。


「あなた、SNSとかやってる?」

「最近はあまり」


 それこそ、桃ちゃんを応援するため、加えて情報収集のためのアカウントならある。俺と彼女を結び付けたあれなら。

 だけど、桃ちゃんは隣に居るし、そもそも今は表立って活動していない。となれば、別にSNSを覗かなくても生活で困ることはないのである。


 宮さんは「へぇ」とよく分からない反応を示した。いつの間にかビールから電子タバコに持ち替えていて、入ってくる視覚情報から俺の中に吸いたい欲が出てきた。


「面白い投稿見つけたの」

「そうなんですか」


 だからなんだ、と言おうとしてやめた。ギリギリのところで踏みとどまった感覚だ。チクッといじったつもりでも、相手から返ってくる口撃はマシンガンレベル。ここは適当にあしらっておくのが賢い。


「◯◇駅前のコンビニでドラマみたいな場面に遭遇した」

「………」


 ん? 流れ変わったな。


 ビールを流し込んでいたせいで、むせそうになった。だが何とか耐える。ここで吹き出してしまえば、色々と不味いと俺のシックスセンスが鳴っている。もう少し静かに鳴いてくれ。


「男の人が女の人の肩を抱いてプロポーズしてた。◯◇駅前コンビニで」

「………」

「男が女に「もう泣かせない」って言うのアツイよね。ちなみに◯◇駅前のコンビニで起きた実話です」

「………」

「コンビニ内でラブロマンス。草。見てるこっちが恥ずかしいんだが? でも目が離せないんだが?」

「………」


 公開処刑ですかね。僕が何をしたって言うんだ。ただ彼女の悩みを聞きたくてそうしただけなのに、こんなネット民に揶揄われて。悪いことをした気分だ。

 そして、それを淡々と読み上げる宮さんが怖い。抑揚なんて一切ない。ただ並べられた文字列をエーアイAIのように音に出しているだけ。怖すぎる。


「昭和なこともあるのねー」

「そ、そうみたいっすね……あはは……」


 おそらく、というか間違いなく宮さんは確信している。その登場人物が俺たちであると。でもたかだかSNSでの発言。その根拠は画像でもなきゃ示せないだろうが、今回の場合、数の暴力がある。同じ時間帯に数人が発言しているだけで信憑性が高まるわけで。

 なにより、◯◇駅前のコンビニというのは俺の会社から近く、昨日山元さんと一緒に居た宮さんだからある程度の察しはついたのだろう。


 俺の誤魔化し笑いに便乗して笑っている彼女。でもそれは仮面的なモノに過ぎないと俺でも分かった。


「どうしてくれるのかしら?」


 目元は笑っていない。むしろ圧すら感じる。このまま黙っていると認めることになるから、何とかして誤魔化す必要があった。

 山元さんは相変わらずだ。俯いたまま俺の言葉を待っている。あぁそうか。きっと彼女もこうして詰められていたんだろうな。全くひどい人だ。ムカつくな。


「人違いです――イッ!?」


 その言葉を言い切ろうとしたまさにその時。隣の彼女が俺の太ももを思いっきりつねってきた。思わず体を跳ねさせてしまう。そのついでに山元さんの方を向くと、今日初めて目が合った。

 座高も俺の方が高いから、彼女のことを見下す形になる。逆に言えば、彼女の上目遣いが直撃するわけである。

 瞳を少し潤ませて、俺に何か言いたそうにしているこの子は。桃花愛未として、たった数秒の握手に命をかけてきたあの子なのだろうか。


 くそ、あの頃より全然可愛いじゃねぇか。


「女心が分かってないわね。新木君」

「そ、そんなこと言われましても」

「人違いなの?」

「……それは」


 認めないことでこの場を切り抜けられると思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。むしろ逆のようだ。

 どうしてそんなことになったのかは分からない。けれど、張本人がそう思わせる行動をとったわけで。

 ……あぁいや。少し冷静になって考える。すると彼女の気持ちが少し分かった気がした。

 人違いだと言ってしまえば、あの日、あの時、あの場所で言った言葉を否定することになる。俺が吐き出した本心そのものを、彼女の前で無かったことにしてしまう。それは――。


「……いえ。俺たちです」


 それは、違う気がした。一度言ってしまったことは取り消せない。政治家が「発言を撤回する」と言ったところで、言われた方も「はいそうですか」とならないみたいに。

 言われた方は覚えているモノだ。どんなに時が経とうと、良いことも悪いことも。


「はぁ。全く。軽率すぎる」

「……すみません。俺の責任です」

「ち、違います! あれは私が――」


 責任の擦りつけ合いをするつもりはない。あんな行動をとったのは俺だ。責任は俺にあるだろう。

 けれど宮さんは、怒鳴り散らすわけでもなく呆れたように笑ってみせた。


「ま、写真がアップされたわけじゃないし。別に良い」

「え……」

「最近、あなたたちを見ていると、になれないのよ。社長失格かもね」


 言葉足らずだ。分かりそうで分からない言葉。その意味を問いかけようとしたけれど、先に彼女の耳に届いたのは山元さんの声だった。


「そんなことありません! 夏菜子さんは……私の恩人なんです」

「………」

「だから……すごく申し訳なくて。今の私は、こんなんで、フラフラ揺れてて、アイドルなのに……なのに」


 その言葉の意味は、ひどく理解出来る。それなのに、必死に耳に入れないようにしていた。彼女の本心を聞くのが、すごく怖くて。だから思い切りビールを流し込んで思考を誤魔化した。


「いいの。あなたはそれで」

「でも……」

「今のミーナちゃんは、あなたが思っている以上に綺麗よ。大丈夫。たくさん悩んで、ときめいて、大切な人の隣に居ていいの」


 宮さんは俺の方を見て、少し笑う。


「そう思うでしょ。新木君も」

「……推しの幸せが、俺の幸せなんで」


 どうしてそんな言い方をしたのか、自分でも分からない。ただ揺れ動く彼女に影響されて、ついこぼれそうになった本心を誤魔化しただけなのだろうか。

 少しだけムッとした彼女を見て、思わず視線を逸らした。そんな綺麗な顔で見つめられると、どうしても――。


 君に好きだと言いたくなるじゃないか。



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