第47話


 打ち合わせが終わって、すぐ喫煙所に駆け込んだ。この混乱を落ち着かせるにはタバコしかない。それ以外に良い方法があるのなら教えて欲しいぐらいだ。


 ドアを開けようとした瞬間、呼び止められた。


「新木さん、一本貰っていいっすか?」

「お前吸わないんだろ?」

「いますんごく吸いたいんです」


 それは全然構わないが、あまり気乗りしない。吸いたい気持ちは痛いほど分かる。だが吸わないに越したことはないからだ。渋い顔をして察して欲しかったが、藤原は「どうしても」と引き下がらない。

 仕方ない。コイツも大人だ。自分でそう言ってくる段階で色々分かっているだろう。一本差し出してライターを手渡す。思いのほか慣れた手つきで火を付けた。


「苦いっすね」

「これでも5ミリだぞ。初めてか?」

「いやいや。ホントたまーに吸うんです。甘いヤツ」

「へぇ。知らんかった」


 こうして後輩と喫煙所トークをするのは久しいな。思えばいつも一人だったから。山元さんのことを考える時に誰か居ると気が散るし。

 けれど、今はありがたかった。あの惨劇を知っている者同士、分かり合える気がして。煙が体の中に染み渡っていく。でもそれは、さっきの記憶をより鮮明にする。


「……さっきのなんだったんですかね」


 藤原が言葉を漏らす。ちょうど煙を口に含んでいたから、優しくそれを吐いてから答えることにした。


「わからん。新手の脅しかもな」

「やっぱりヤクザ……?」

「そうかも」


 あの二人がヤクザねぇ……。もちろんそんなわけないんだが、やってることはえげつないせいで打ち消すだけの材料がない。それに見た目も美しいし。


「ま、まぁ流石にそれはないでしょうけど」

「自分から言い出したろ」

「そうですけど。新木さんも否定してくださいよ」

「なんだそれ」


 藤原のそれは、まるで自分に言い聞かせているようだった。自分自身が感じた恐怖を誤魔化すために、俺の言葉が欲しかったようだ。

 俺がコイツほどにビビっていないのは、多分慣れたからだろう。人間怖いな。どんなに苦しくても、辛くても、最後は慣れるのだから。仕事にしても何にしてもそうだ。

 タバコを吸い終わったら部長に報告しないとなぁ。話の内容はあまり記憶にないが、幸い資料は貰っている。なんとかなるだろう。その前に甘いものでも食べたい気分だ。


「ずっと踏まれてたんすか?」

「ん? あぁ、まぁ」

「よく耐えましたね」

「逆に言えるか? 足踏んでますよって」

「……あの場じゃ躊躇ためらうっす」


 結局そうなのだ。場の空気がオフィシャルなものだから、俺のそんな一声で雰囲気を壊したくなかった。結果的にそうなってしまったが、それはあまりにも彼女が強く踏みつけてきたから。


「なんかしたんですか? あの人に」

「んなわけないだろ。謎だよ謎」


 二人が広告屋と一緒に来社したのも驚いたが、彼女の態度にはもっと驚いた。ニコニコとしているのに、俺に対しては何故かひんやりとした印象を与える。俺には分かる。彼女のことを前よりも知っているから。

 コイツの言うように、俺が何か気に障ることでもしたのかと考えた。だけどこの前メッセージした時は普通だったし、何も怒らせるようなことはしていない。

 となれば、虫の居所が悪かっただけか。そうだとしても俺に当たるのは勘弁願いたいよ。本当に。


「でも考えてみると、可愛い女の子に踏まれるのってご褒美ですよね」


 あまりにも唐突だ。何バカなことを言ってんだ、なんて言おうと思ったけれど。心のどこかで共感してしまった自分がいた。


「なんだ急に」

「そう思いません?」

「………まぁ」


 本来なら首を横に振るべきなんだろうが、あいにく俺もはご無沙汰だ。本能が否定することを許さなかった。


「山元さんみたいな美人、新木さんには荷が重いですかね」

「人間、顔じゃないだろ」

「そうは言いますけど」


 分かっている。俺だって本当はそんなこと思っていない。もし恋人にするなら美人に越したことないし、性格も良い方がいい。

 逆もしかりで、彼氏にするなら顔が整っていて、優しくて、強い男の方が良いに決まっている。

 山元さんの好きなタイプって、どんな人なんだろう。気になるけど、怖くて聞けない。俺と正反対だったらと考えただけで胸が苦しくなる。


「構ってほしかったとか」

「なぜ?」

「それは分かりませんケド。なんつーか。あの人楽しそうでしたし」


 脳筋であることには変わりないが、時折この藤原には驚かされる。俺が思っている以上に人のことをよく見ていて、冷静に分析している。

 やはり営業に異動になったのは正解だ。コイツなら下手くそなトークでも相手の心を動かすことだって出来るはずだ。


「藤原っていま付き合ってる子とかいるの?」

「ええ。います」

「へぇ。いいじゃん」

「それに関しては、新木さんより先輩っす」

「一言多いんだよ」


 最近こういうのを気軽に聞けない、とボヤく声もチラホラ聞く。けれどそんな気になることでもないだろう。自分が好きな人以外の恋愛なんて。

 だから藤原に聞いたのも、話の流れで。それ以上でもそれ以下でもない。でも恋人が居ると聞いて、どこか納得した自分がいた。


「結婚とか考えてないんですか?」

「……まぁ相手が居ないし」

「山崎さんとか」

「人妻じゃねえか」

「良いっすよね。人妻」

「不倫でもして週刊誌出てみるか?」

「なんか出たことある言い草っすね」


 思わず吹き出した。自分で言っておきながら、そんなツッコミが来るとは思わなかったからだ。二人しか居ない喫煙所。笑いで包まれる。

 気がつくとタバコも根元まで吸ってしまってた。火を消して、一つ息をつく。まだ仕事に戻りたい気分ではなかった。サボりだと言われても何も言えない。別にそう思われても良い。藤原も俺と同じタイミングで火を消していた。


「もう一本吸っていくわ」

「……俺も良いっすか」

「サボりじゃないのか」

「来春から異動するんですよ? これぐらいいいじゃないですか」


 その理論はよく分からない。だがタバコを吸っている親が喫煙者の我が子に「禁煙しろ」と言えないのと同じで、俺がどうこう言えた口ではない。タバコをもう一本手渡すと、彼は嬉しそうに受け取った。

 火をつけて、二度目の煙を含む。一度吸って満足気味だったせいか、少し重い。だけど口寂しさは綺麗に消えていく。心地が良いぐらいに。


「コマーシャルの件、どうなるんですかね」

「んーなんとも言えないな。動画サイトのネットCMにしても、嫌われるだけだろうし」

「そうっすよね。俺もイラつきますもん」


 そもそもコマーシャルというのはそういうモノである。嫌われる、ウザがられるというのを承知の上で流すだけの効果を期待して企業は金を出す。だが実際は、消費者の頭に残るだけの結果を生み出すのはごく僅かだ。

 そこで、タレントの力だ。企業が宣伝したい製品などを有名人にアピールしてもらう。芸能事務所側としても所属タレントの宣伝になるし、企業側としても広告になる。まさにWin-Winの関係と言っていいだろう。


 まぁ、それも100%の効果を期待できるかと言われれば怪しいところではあるが。


「ポスターのバズり具合みると、可能性はあると思いますけどね」

「まぁ……確かにな」

「とにかく上層部がどう思うかですね」

「俺たちのプレゼン次第ってとこか」


 とりあえず部長には報告するが、それで感触が良ければ上層部へのプレゼンテーションになる。もちろんその前に、もう一度広告屋と話をすることにはなるが。


「山元さんに足踏まれてたこと言いますか?」

「言ったらこの話無くなるかもね」

「いや、逆に上層部にウケるかも」

「お前はおっさんたちの何を目覚めさせようとしてんだ」

「結局エロが勝つんですよ」

「一周回って哲学的だな」


 とにかく、この話はまだまだ分からない。

 部長に報告する前に、甘いものを食べよう。近くのコンビニで何か買って。


「チョコ食べたいです」

「何も言ってないだろ」

「ほら、もうすぐバレンタインですし」

「彼女から貰えよ」


 やはりコイツは、一度週刊誌に出るべきだと思う。本当に。


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