第46話


 オフィス街の空気というのは、どうも苦手だ。喧騒感とでも言うのだろうか。明らかに全然澄んでない感じ。その中で働いている人は本当にすごい。みんな生きるためなんだろうけど。

 それにしても、お昼時は混む。窓際の席で行き交う車を見ながらふと思う。彼は普段、この世界を生きている。ポスター撮影の時はお世話になったけど、まだまだ知らない彼が居る。この胸の高鳴りを抑えるのは、少し野暮。


「人間観察?」


 向い合っている夏菜子さんが、そんな私に声をかけてきた。チラリと視線を移して、軽く頷く。別にそういうつもりは無かったけど、この独特の感情を上手く言葉にする自信がなかった。

 今日の彼女は、いつもより落ち着いた服装をしている。黒のジャケットにパンツ。サラリーマンのスーツ、というわけではないけれど、その中に遊び心があってお洒落な着崩し方だと思う。


 いま、私たちはこのオフィス街に似合わないカフェで時間を潰していた。理由は一つ。これから営業活動をするため。私と広告代理店の人三人で、売り込みに行く。だから私も、普段着の中で一番シンプルな格好をしていた。

 夏菜子さんからは「自由にコーディネートして」なんて言われたけど、そこまでする勇気は無かった。分かるんだけどね。売り込むのは私自身なんだから、あまり地味だとパッとしないことぐらい。


「それとも、彼を探してたのかしら?」


 唐突にそんなことを言われたから、コーヒーを吐き出しそうになった。


「い、いきなりなんです?」

「あら違ったの?」

「違いますよっ!」


 これから彼の働く会社へ行くのだ。別に今探す必要なんてない。それは夏菜子さんも分かっているのに、時折こんなことを言ってくる。

 分かってる。この人なりにただ揶揄ってるだけ。でも隠しきれないのだ。私の感情そのものがここから少し離れた場所に居る彼を想っている。

 アウターを返してもらった日から、一度も会っていない。互いの距離感が離れたはずなのに、不思議とそんな気はしなかった。彼はいつでも私の味方でいてくれる、なんて希望的観測に過ぎないけれど、不思議とそう。


「最近のあなた」

「はい?」

「すごくイキイキしてる」

「……そうでしょうか」

「そうよ」


 自分ではよく分からない。だけど、この人は揶揄うことはあっても、基本的に嘘はつかない。だから彼女の目から見て、きっと本心なのだろう。

 紅茶を啜るその姿は、このオフィス街によく似合う。まさにキャリアウーマンという感じ。


「夏菜子さんってずっと独身なんですか?」

「なに急に」

「それは夏菜子さんだって」

「……それもそうね」


 ふと気になった。今のこの姿を見て、仕事以外の彼女のことを全然知らないと思ったから。だから問いかけた。

 案の定、夏菜子さんは答えようとしない。普段人にはどんどん聞くくせに。悔しい。


「ミーナちゃんはどう思う?」


 その回答は否定だと、直感がそう言う。

 私より一回り以上離れているけど、若々しいし金髪ショートカットが似合う女性はそう居ない。だから元々の顔が綺麗なのだ。

 モテなかったはずもない。男の一人や二人ぐらい簡単に引っ掛けてたに違いない。


「……バツ2とか?」

「なんで2回なの」


 自分で言っておきながら、思わず吹き出した。失礼すぎたとは思ったけど、それを訂正する気にもなれず。いつも茶化されてばかりだから、これぐらいは良いだろうとすら思ってる。


「ふふっ。ごめんなさいっ」

「全く……。まぁいいけど」


 自分から聞いておいてなんだけど、これについては彼女が教えてくれるのを待ってればいい。いや別に無理やり聞き出したいとかじゃないんだけど。


「そういえば、もうすぐバレンタインね」

「ああ、そうですね」


 コーヒーを啜る。家で淹れたモノよりも深みがあって美味しい気がする。

 視線を上げると、夏菜子さんと目が合った。ニヤついているわけではないけど、心がそうであることぐらい分かる。今、この人が考えていることが。


「あげないの?」

「あげても良いんですか?」

「別に止めないけど」


 揶揄われたら揶揄い返す、とでも言わんばかりの会話。それに正解なんてない。そもそも、ここで時間を潰しているのがその証拠だから。

 彼女にも、こうやって軽口をきけるようになってきた。社長なんだけど、私を娘のように見てくれているから、甘えてしまう自分がいた。


 再び視線をビル街に向ける。

 大きなガラスの向かうは喧騒。昼時のサラリーマンたちが行き交う。ビル風に吹かれながら、その冷気すら感じさせないぐらいの熱気を纏って。


「――あ」


 視線を奪われた。片側二車線道路の向こうに、確かにある彼の姿。スーツ姿。あまりはっきりとは見えないけど、キッチンカーの前で待っている。

 何も不思議じゃなかった。彼の職場はすぐ近くだし、お昼時。普段は「スウィート」に行くことが多いと言ってたけど、今日は違うみたい。でも違和感はない。人間たまには違うことをしてみたくなるし。


「あ――」


 でも、それはすぐに違和感になった。

 誰かと一緒だった。あの人。女の人だ。

 同僚だろうか。この距離だと顔まで分からない。だけど、オフィススカートを履いているから間違いなく女性。ソレと彼が、二人並んでいる。歳も近そうで、絵になる。

 笑っている。彼の顔はよく見える。太陽の光のおかげで。私が見たことない表情をしている気がした。


 思い返せば、彼が他の女性と話しているところを見たことがない。夏菜子さんを除いて。

 いや、見たことはあるのかもしれない。ただ私の見る目が変わったから、そう思うだけで。いずれにしても、胸が痛い。心が苦しい。


「恋人だったりして」


 それなのに、この人は追撃してくる。バツ2と言ったことを根に持っているのか。それなら謝るから何も言わないでほしい。

 苦し紛れに視線を夏菜子さんに戻す。私の顔をジッと見つめて、子どもをあやすような優しい目元をしていた。


「――こ、恋人居る人が他の女に優しくするのはおかしいと思います」

「他の女っていうのは、あなた?」

「…………例えばの話です」


 視線を落とす。半分以上減ったコーヒーへ逃げるように。口付けたソレはすっかり冷めていて、ひんやりと唇に触れる。キッスの味だとしたら、あまり良いものではない。


「別に恋人でも良いじゃない」

「だめですっ!!」


 気が付いた時、彼女はニヤけていた。

 「ふーん」とアゴを上げて、私の胸の中を覗き込もうとしていたから、咄嗟に口元を押さえて誤魔化そうとした。


「どうして?」

「う……。そ、それは……その」


 でも、そんなんで誤魔化せるわけがない。でもこの感情を素直に吐露してしまえば、今後の売り出し方にも影響する。そこまで分かっていたのに、体が反応してしまったのだ。

 言い訳になってしまっても、仕方がない。ここで文句の一つや二つ言われても、私に言い返す資格はない。アイドルになろうとしている年増。ただでさえ時間が無いのに、そんなことにうつつを抜かしていいのかと。


 でも――夏菜子さんは違った。


「良い顔してる」

「え……?」

「アイドルに一番必要なことって、なんだと思う?」


 ルックスの良さ、歌唱力、ダンス力。挙げればキリがない。だけど――そう聞いてくるということは、そうじゃないんだと思う。首を傾げたら、夏菜子さんは微笑んだ。


「キラキラしてて、吸い込まれていく」

「……」

「それが私が思う理想のアイドル」

「理想……ですか」

「あなたはもう、そこに片足を踏み入れてるの」

「私は何も……」


 スキルで言うなら、サクラロマンス時代の方があると思う。でも彼女がそんなことを言うから、変に身構えてしまう。

 キラキラしてて、吸い込まれていく。そんなアイドル、アーティストになることが出来るのだろうか。今の私に。アイドルを投げ出した私に。


 道路の向こうにいる彼を見る。楽しそうに笑ってる。ムカつく。あんな顔しちゃって。私の前じゃオドオドしちゃうくせに。


「――彼がいま、目の前に居たらどうしたい?」


 ムッとした表情をしていたから、多分面白がって聞いてきたんだと思う。だけど、このイラつきを吐き出すには良い機会だと感じたから、答えるのには躊躇ちゅうちょしなかった。


「思いっきりつねってあげたいです」


 夏菜子さんは笑った。キラキラしてるね、なんて言いながら。よく分からないけど、彼と二人きりになれるといいなぁ、なんて考えて。


 道路の向こうの彼は、居なくなっていた。


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