6th
第45話
2月になった。寒さは一段と増し、まさに冬のピークを迎えている。だからと言って、仕事が休みになるわけでもない。今日も今日とて、いつも通りに出社して、見慣れたメンバーと打ち合わせたり色々だ。
「来客……ですか」
そんなことを考えていた昼休み目前のひととき。部長に呼び出された。と言っても、自席へ手招きされただけ。座ったままの部長を見下す形になったが、彼は何も言わずに背もたれに体を委ねている。
「そう。13時から」
「どなたがいらっしゃるんです?」
「いつもの
その言葉を聞いて察する。単なる営業活動だと。でもそれを俺に言ってきたということは、つまりそういうこと。
「相手をしろということですか」
「察しがいいな」
「分かりますよ」
第一、この人は俺以上に分かりやすい。会議中も何も考えていないような顔をして、本当に何も考えていないタイプだ。
何で部長になれたのかは知らないが、いざとなったらヤルらしい。常にエンジン全開でお願いしたいぐらいだ。
「本当は俺も出たいんだけどさ。部長会議とバッティングして」
「え、そんな面白い話なんですか?」
「ウチでCMやらないかって話」
コマーシャル。文房具メーカーが何を宣伝するのかという気にもなるが、安全性とか機能性とかアピールポイントは沢山ある。
ユーザー、いわゆる消費者に伝えなきゃいけないことでもあるが、小売店へ卸すにも重要な情報になる。つまり、弊社の製品が安定して売れることを周知しなければ、在庫を抱えるのを一番に避けたい小売店は渋る。
だが言われてみると、ウチの会社はコマーシャルを制作したことが無い。
確かにそれだけの資金は必要になるが、展示会が盛況だったおかげで、上層部はすこぶる機嫌がいいらしい。実際、収益という側面から見てもかなり良い線を辿ってる。そういう意味でも、可能性が全く無い話でもないのだ。
広告屋はよく見てる。それもそうか。ポスター効果を一番気にする立場と言っても過言じゃないわけだし。これが上手くいったから、次はコレ。そうやって裾野を広げていくのはある種、営業の鉄則でもある。
「でもそんな話を俺が相手していいんですか?」
「何言ってんだ。もう新木も中堅だろ。俺は信頼してるから」
「部長……」
「もし良い話なら改めて話を聞けば良い。急ぎの話題でもないんだから」
多分こういうところなんだよな。この人がそれなりに出世したのって。周りからの信頼は厚くて、とにかく人望がある。他部署の社員からも声をかけられることも多いし。もう少し仕事してくれたら完璧なんだけど。
「それと藤原を同席させてやってくれ。良い経験になる」
「分かりました」
部署内最若手の藤原。来春から営業へ異動することになった。俺はずっとそうしろと言っていたから、ようやくだ。当の本人は、入社以来ずっと働いてきたこの部署を離れることに寂しさを覚えているみたい。
だが、他社の営業トークを聞けるチャンスは中々ない。部長の言う通り、良い経験になるはずだ。
会話を終えると昼休みに突入していた。席に居た藤原にそのことを伝え、俺も自分の席に戻る。13時からなら、あまりゆっくりする時間もない。10分前には準備を終えていたいし。
「新木君、午後から打ち合わせなんでしょ?」
昼飯をどうしようか悩んでいると、同じ部署の山崎さんが声を掛けてきた。展示会会議の時よりも髪が伸びていて、落ち着きが増した印象を受ける。
「ええ。昼飯検討中です」
「それならさ、会社のすぐ近くにキッチンカーあるの知ってる?」
「キッチンカー?」
あまり意識して風景を見ることはないが、確かにそう言われるとあったような気もする。移動販売車は昼休みのOLが集うイメージがどうしてもあったから、どこかで敬遠していた。
「あー、なんかありましたね」
「実は昨日お弁当二つ予約してたんだけど」
「ええ」
「今日、マナちゃんが風邪でお休みになったでしょ? だから一つ余るの。よかったらどう?」
マナちゃんというのは俺たちと同じ部署の女性社員。俺はあまり絡みがないが、山崎さんと同期。二人揃って昼飯を摂る印象がある。彼女にそう言われて、今日休みだと気が付いたのは黙っておこう。
それは置いておいて、山崎さんの話は悪くない。それだけで足りるかどうかはさておいて、時間が無い俺にとってはこれ以上無い提案だった。
「良いんですか? 助かります」
「よかった。受け取ってくるから少し待ってて」
「あーいやいや。俺も行きますから」
流石に待つだけなのはちょっと。自販機で飲み物ぐらい奢らないと気が済まない。もちろん、弁当代だって出す。多分何言わなかったら山崎さんはご馳走してくれる。この人はそんな人だ。
席を立ってエレベーターの前に立つ。社員が出て行く時間より少し遅かったからか、俺と山崎さん以外に誰も居なかった。
「最近楽しそうね。新木君」
エレベーターに乗り込みながら、彼女がそんなことを言ってきた。一階のボタンを押して、扉が閉じるまでどう返答するべきかを考える。
「そうですかね」
「自覚なかった?」
「まぁ……そういうわけじゃないですけど」
「素直じゃないなぁ」
そう言われて頭に浮かぶのは、山元さんの表情。あの日。曇りのち晴れたあの空。それ以来、会っていなかった。
でもそれは、決してネガティブな意味じゃない。彼女は彼女で忙しくなってきたし、その邪魔をしたくなかった。だからメッセージで少しやりとりするだけ。それでも、心は躍った。本当は声を聞きたいけれど、今はこの距離感がお互いにとって大切だと言い聞かせて。
「山崎さんって、もう髪切らないんですか」
「うん。旦那が伸ばしてってうるさくて」
「ははっ。良い旦那さんじゃないですか」
「そうかな」
「そうですよ」
旦那がそう言うのは、彼女のことを女性だと見ているから。夫婦になって父親と母親になる。男女の関係だった二人がいつしか、互いのそういう目で見られなくなったというのは良くある話だ。
エレベーターを降りて、ビルを出る。快晴。2月の風はあの日よりも冷たく吹き付ける。太陽が出ているだけまだマシか。
キッチンカーは、本当に職場のすぐ近くにいた。オフィス街だが、一階のテナントには飲食店が多く入居していて、ここから見ても数十店は認識できる。
お洒落なカフェから定食屋まで幅広い。確かにここならある程度の消費者は担保されてると言ってもいい。それだけ家賃とか土地代やばいんだろうけど。
だから昼飯に困ることはないのだが、いつも俺はあの喫茶店まで歩いている。知らない店に入るより、精神的に疲れないから。保守的な考えかも知れないが。
「混んでるね。予約してて正解だった」
「ですね」
俺からすれば、たなぼたである。待つ時間を削減できて、その分ゆっくり食べられる。時計を見ると、12時10分。弁当を受け取って戻ると12時20分。パパッと食べれば、一服出来るんじゃねえかこれ。
うん、順調だ。コマーシャルの打ち合わせもなんだかんだ言って楽しみだし。どんな話が聞けるのか。もしかしたらウチの会社がもっとメジャーになるきっかけになるかもだし。
「ニヤニヤしてどうしたの?」
「いや。思い出し笑いですよ」
「あはは。変なの」
だが、今の俺は知る由も無かった。
50分後の打ち合わせが、とんでもない修羅場になるということを。
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