第41話
インターホンを押して少し待つと、呆れた彼女の声が聞こえて、そのままの流れで自動ドアが開いた。芸能事務所を名乗るぐらいだから、オートロックは必須だな。
エレベーターに乗って、目的の階数で降りる。外観のわりに、内装は歴史を感じる。扉のすぐ横に設置されているボタンを押すと、すぐに彼女が出てきた。
「ようこそ」
貼り付けたような笑顔である。無論、それが本物の笑い顔であるなんて思ってもいない。
「なんでそんな嫌味っぽく言うんですかね……」
「そう? 無意識だったけど」
それなら、なおさらタチが悪いのだ。意図的にやってくれた方がまだ可愛い。いや、ワガママを言うなら最初からそんなことをしないで欲しい。
まぁいいや。ここで押し問答をするつもりもないし、彼女もそんな気はハナから無いはずだ。
「あの、お届け物です」
家にあった紙袋に入れた山元さんのコート。綺麗に畳んだつもりだけど、シワになったら申し訳ない。厚手だし、そう簡単にしおれないとは思うけども。
ソレに視線を落とした宮さんは、特に何も言わずまた俺の顔を見てきた。
「とりあえず上がったら?」
「えっ」
そんなつもりは無かったから、思わず出てきた言葉、というより感情そのものと言った方が良い。
「なに? 嫌なの?」
「い、嫌というか。別に届けに来ただけなので……」
「そう。ならそのお礼にお茶でもいかが?」
そこまでしてもらうことでもない。が、どうやら彼女は家に招きたいらしい。何をするつもりなのかは知らないが、いかがわしい行為じゃないことだけは確かだ。
となれば、やはり山元美依奈のことか。別になんてことない。もう会うことだってないのだ。だから俺としては、ここでオサラバ出来るのが一番の理想なのだけれど。
「ほら、早く」
なんで命令口調になるのだろうか。少しだけイラッとしたけれど、玄関先でずっと話していると周りの迷惑にもなりかねない。
このまま逃走すれば逃げ切れるだろうが、大人としてそれは気が引けた。でもそれは、あの日の山元さんを否定することと同義。それ以上は何も考えないことにした。
「……お邪魔します」
二度目だ。この前来た時と何ら変わっていない。部屋の匂いも、彩りも、彼女を送り届けたあの日と何ら。
キッチンへ消えていく彼女に促されるまま、この前と同じ椅子に腰を落とした。紙袋は自身の足元に置いて。ここで宮さん、そして山元さんの残像を切り捨てられない辺り、俺の中には確かに後悔の念が残っていた。
それに蓋をして、彼女が差し出してきた茶の香りを真に受ける。あまり紅茶は飲まないんですよ、とは言えなかった。
「――で、最近どうなの?」
俺と向かい合うように座った彼女は、頬杖をついて問いかけてきた。片方の手で紅茶を啜るその姿は、とても
「別に何もないですよ。暇してます」
「へぇ」
嘘は言っていない。この一週間は本当に退屈であった。逆に、これまでが忙しすぎたのかもしれない。彼女と出会ってからこれまで、ノンストップで駆け抜けた感覚がある。
そんな俺の言葉を、宮さんはすんなり受け入れようとしていない。分かる。これからこの人から根掘り葉掘り聞かれる流れなのだろうと。
分かっていた。分かっていたけれど、断ることが出来なかった。その理由は宮夏菜子に気を遣ったからじゃなくて――。
「ミーナちゃんと何かあった?」
痛かった。改めて言葉にされると、自分の心臓を掴まれたみたいで体が動こうとしない。
それはつまり「何もなかった」と彼女の言葉を否定できないという証拠でもある。
「何もないですよ」
それでも、自分を振り切って嘘をついた。
心が虚しくなるだけで、そんな嘘は何も生まない。でも、本当のことを告げる気にはなれなかった。
そうしてしまうときっと――彼女のことを切り捨てられなくなる。
「嘘」
宮さんの声は、俺の心に直接話しかけているみたいに響く。それこそ痛みが全身に広がるみたいで、口付けた紅茶の味が分からなくなるぐらいには。
俺の言葉を否定するだけの材料は何もないはず。そうは思ったけれど、この人は間違いなく俺よりも山元さんに会う機会が多い。イコール、俺よりも彼女のことを知っている。
これまでの
「随分と決めつけるんですね」
呆れてみせた。すごく。ため息なんて吐きながら、少しでも彼女の上に立とうとする子どものように。
揶揄うように、宮さんは口角を上げた。それはまるで、子どもを茶化す母親のようで。少しムカついた。
「ええ。だから来たんじゃないの?」
「……俺が?」
「そう」
言っている意味が分からない。俺はただ彼女の私物を返しに来ただけ。これも、マスターから押し付けられた仕事なのだ。俺の意思ではない。
でも。
「あ、いや、その」
――不思議な感覚だった。そんなわけがないと思っていても、ソレを言葉で否定することが出来なくて。だから、彼女を誤魔化すように視線を逸らしてしまった。
これだとまるで、言葉を肯定しているようなモノじゃないか。なのに、なのに。
「なに?」
追撃。それ以上は、問いかけないでほしい。お願いだから、俺の心に何も聞かないでほしい。苦しくて、今にも感情を吐き出してしまいそうになるから、だからどうか、今はこの紅茶の味に染まらしてほしい。
「――山元さん、は」
「ん」
「どんな、様子ですか」
俺の心は、呆気なく本能に従った。
彼女の名前すら口に出したくなかったのに、それなのに、自分でもムカつくぐらいにすんなりと出てきた。胸につっかえることすらせず、言の葉となってこの空間に消えていく。
「あからさまに元気無いわよ」
「……」
「ま、私の前では
「分かるんですか」
「楽勝ね。ずっと言ってるけど、二人とも分かりやすいから」
ここまで来れば認めるしかない。これまで何度も言われてきた言葉だが、今回は特に説得力があった。
あぁ、全然話していないのに頭が疲れた。紅茶にもほとんど口を付けていない。ため息を吐く。
ぶるりとテーブルを伝って揺れる。彼女のスマートフォンが明るくなった。メッセージか何かだろうと深く考えないことにした。
少ししてから、宮さんはまた呆れたように笑った。
「タバコ、吸っていいわよ。換気扇の下で」
「……マジすか」
「私も吸ってるし。気にしないから」
ここで遠慮するのが大人な対応かもしれない。だけど、今の俺はとにかく疲労感がすごい。タバコの一本や二本ぐらい吸わせてほしい、そう顔に書いてあったのだろうか?
「じ、じゃあお言葉に甘えて」
「どうぞ」
席を立って、おそるおそるキッチンに足を踏み入れた。人の家のソレを観察する趣味はない。ただ換気扇の下目掛けて向かうロボットと化してタバコに火を付けた。
肺に流れ込む煙を感じながら思う。本当はタバコが吸いたかったんじゃない。ただ、あの空間から逃げ出したかったのだと。
こんな感情は、生まれて初めてだった。それは換気扇の中に消えていく。やがて何も無くなって、この世に存在していたことすら忘れ去られるのである。きっとそう。
それはあくまでも、俺個人の願望だと分かっておきながら、そう願うことをやめられない。
(あ……そういや)
視線を落とすと、灰皿がある。宮さんのは電子タバコだ。だからそこにある残骸は、俺が吸う紙タバコよりも綺麗な形を残している。
それに水を張っているわけでもないから、ここに灰を落とすのは申し訳なかった。幸い、自分の携帯用灰皿を持参していたから、そこに向けてポンポンと叩いた。
それと同じぐらいのタイミングで、インターホンが鳴った。換気扇が動いていてもよく聞こえた。芸能事務所なのだ。来客の一人や二人来ても不思議じゃない。
「お客さんですか?」
「そうみたいね」
据え付けられた画面に映る来客を確認すると、彼女は何も言わずに解錠ボタンを押した。いずれにしても、俺が居るわけにはいかない。
だからその旨を言おうとした時――先に口を開いたのは宮さんだった。
「そうそう。早まったことを言い忘れてた」
「………何が?」
彼女はムカつくほどニタッと笑って。
「あの子のレッスン」
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