第25話
「はぁ……」
何事もなく年が明け、仕事始め。年末休みでなまった体を仕事モードに切り替えるのは何年経ってもしんどい。
仕事が再開して初の金曜日。その昼休みに、俺は行きつけの喫茶店に居た。イマドキ珍しく分煙をしていないせいか、お昼時なのに客足は鈍い。
「年明け早々、そんなため息ついて」
「マスターこそ、客足さっぱりじゃんか」
「お客様の心はここにありますから」
「……どういう意味?」
「分からないならそのままで結構」
俺以外に数人個人客が居るぐらいで、本当に儲かっているのかと疑いたくなる。だが俺が社会人になってからずっと通っているから、潰れてしまうのはあまりにも寂しい。
だから、マスターとも10年の付き合いになる。白髪がよく似合うダンディーな男性だ。ここに店を出してもう20年以上になるらしい。だが客足が賑わったことは一度も無いという。
以前「どうして店が持ってるのか」と聞いたことがある。その時は「宝くじに当たったから」とはぐらかされた。まぁ貯蓄が無ければまず潰れているのは間違いない。一人の客として見ても、決して儲かっているようには見えないから。
「分煙しないと」
「僕も喫煙者だからね。要らぬ気遣いだよ」
「経営者として大丈夫なのかその思想」
マスターは俺のよりも一回り、いやもっと年上だが、随分と若々しい。昔はブイブイ言わせてたと本人は言ってるが、本当かどうかは知らない。
昔の純喫茶のように、この世界だけは全席喫煙が認められている。マスター自身が吸うから、という理由だけで。経営者としては最悪な理由かもしれないが、喫煙者としては最高だ。
「今日は連れ無しかい?」
「連れ?」
「あの可愛い子」
「あぁ」
タバコの灰を落としながら、マスターに視線をやる。シャツを捲って洗い物をする姿も様になっている。カチャカチャと食器がぶつかる音が店内のBGMすら掻き消そうとする。
「連れじゃなくて取引相手だよ」
口に当てたタバコを吸いながらそう言う。言い終わって吐き出した煙は天井にある空調に吸い込まれることなく消えていった。
マスターとの付き合いが長いといっても、双方のプライベートにはあまり踏み込んでいない。何というか、謎多き雰囲気が凄いから聞きづらいのが本音である。
それに、ここで山元さんとの関係を言うこともない。付き合ってるわけでもないが、友達だと告げても良いことはない。あらぬ噂を立てられても嫌だし。
まぁ、マスターが言いふらすなんてことはしないだろうけど。だからポスターの話もここでしたわけだ。
「また連れて来てよ」
「何でさ」
「そりゃ……可愛いからだろう」
あの時の山元さんは薄化粧だったっけ。それでも親父にこう言わせるのだ。親父キラーというか、少なくとも年上受けは抜群だな。まぁ……そう言う俺もなんだけども。
「第一、あの子がこんな喫煙者のための喫茶店に来ると思う?」
「経営者ながら思わないな。だから口説いてくればいいじゃないか」
「それは勘弁して。俺と釣り合うはずないだろ」
「だな」
もちろんマイナスの意味で。分かってはいるが、即答されるのは非常に癪である。あんたが言ったから合わせたのに。まぁいいや。
辺りを見渡しても、チラホラ居る客は全員がマスターよりも年上っぽい年配者だ。まさに昭和を生きてきた人にとっては、すごく懐かしい雰囲気なんだろう。みんなタバコ吸ってるのは、この現代では異様かもしれない。
山元さんは結局どうするのだろうか。
年末、勢いで電話して以来話していない。メッセージで新年の挨拶をしたぐらいで。年が明けて1週間が経とうとしている今、そろそろ結論を出していても不思議じゃない。
「そうは言いながら、顔に出てるぞ」
「えっ、何が」
「ニヤニヤしてるってこと」
反射的に口元を押さえたが、それはまるで肯定しているようである。そんなつもりは全然無かったのに。マスターは俺を見て鼻で笑っている。カレーは美味しかったのに、その後味が消えてしまうぐらいには恥ずかしい。
「コーヒーでいいか?」
「……お願いします」
「はいよ」
敵に回すと色々と厄介な人である。つい敬語になってしまったが、当の本人は気にしていない。10年の付き合いになれば、年上でも親戚の叔父のような感覚になる。彼もタメ口で話されるのは気にしていないとのことだし。
カレーを食べた後のコーヒーがまた美味しいのだ。喫煙できるのも大きな利点だが、単純にフードも舌に合うから常連にならないはずもない。
カラン、とドアに付けたベルが鳴った。同時にコーヒーが俺の手元にやって来たけれど、客が来ること自体珍しいから、つい視線は来客の方に行ってしまう。
「あ――」
一目で分かった。黒のバケットハットを被ってはいるが、あの子は――。
「いらっしゃい。ウチ、喫煙席しかないけどいい?」
「あ、はい。前に一度来たことあるので」
「あれそう? べっぴんさんのことは忘れないんだけどな」
「そ、そんな……」
「人少ないから、窓側のテーブルにどうぞ。そこがタバコの煙から遠いから」
「お気遣いありがとうございます」
マスターめ、女性の扱いに小慣れてやがる。何かムカつくな。
それはそうと、あの子は間違いなく山元さんである。俺が言えた口ではないが、どうしてこんな場所に。
「あの、オススメってありますか」
「カレーかな。食後のドリンクとセットで」
「でしたらカレーで。ホットコーヒーも」
「かしこまりました」
カウンターに戻ってきたマスターは、俺の顔を見るなりニヤニヤと嘲笑っている。わざと俺に聞こえるように話してたな。
「噂をすればだな。ウチの店も捨てたもんじゃない」
「俺の営業のおかげだろ」
「まぁ、そうだな。後でお礼してやるよ」
「はいはい。期待してる」
小声で話し終わり、呆れながらコーヒーを口に付ける。香ばしくも芳醇な苦味が良い。12時半もすぐそこに迫っている。これを飲み終わって出ればちょうどいいか。
山元さんは――うん。話したいけど、彼女は完全なプライベートのようだ。もしかしたら誰かと待ち合わせしてるのかもしれないし。話しかけたい気持ちはあるが、俺も時間が無い。つくづく仕事が憎い。
マスターはカレーの支度で奥に消えちゃったし、俺もタバコを吸いながらスマートフォンを見つめるしか能がない。実に退屈であるが、社会人の昼休みなんてのはそんなモノだ。
入口が近い窓際の席に座っている彼女は、カウンターからも横目で見える。どうやら俺の存在に気づいていないらしい。
バケットハットは被ったままだが、薄い桃色のコートと、水色のロングスカート。コートを脱げばグレーのパーカー。相変わらず、何を着ても似合うな。
モデルとか引く手はあっただろうに。そんな感情をタバコの煙に乗せて、彼女に届くといいな、なんて考えてみる。副流煙まみれのこの店に、山元美依奈が普通に来ていることが可笑しな状況である。
厨房からマスターが出てきた。手には可愛らしい容器に盛り付けられたカレーがある。さっき食べたばかりなのに、良い匂いがこっちまで来るからおかわりしたくなる。
「お待たせ致しました。カレーになります。コーヒーは食後で?」
「はい。ありがとうございます」
「あぁそれと――」
それと? 口説くつもりか?
いや、やりかねない。マスターの言うことを鵜呑みにするのなら、奴は相当な女好きである。若かろうが年増だろうが、美人なら誰でも良いタイプだ。
「食後にアイスクリームでもいかがです?」
「アイス……ですか」
「ええ。あのお方がどうしてもご馳走したいと」
……なんか指差された気がする。ここで振り返ったらどんな顔をすればいい。だけど――なんというか。無理やり話す口実を作ってくれたと考えれば、少し嬉しくもある。
――後でお礼してやるよ
まさかこれが。でも、なんとなくマスターならやりかねない。やっぱり、女性の扱いには妙に小慣れてるな。
振り向くと、二人して俺の方を見ていた。ニヤニヤするマスターと、驚いている山元さん。その対比が可笑しかった。
「ど、ども」
「あ、新木さん」
昼休み、今日は長めでも良いよな。だって、まだコーヒー飲み終わっていないし。それに、新年明けたばかりだもの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます