第23話


 年末年始は久しぶりに帰省することにした。ここ数年は帰る素振りすら見せてなかったから、両親から「報告でもあんのか」と疑われた。

 まさか週刊誌に載ってアイドルと知り合ったなんて言えない。それは子どものプライベートの範囲内だろう。実際結婚するわけでも何もないから、適当にはぐらかした。


 仕事納めの飲み会から帰宅したのが夜の10時過ぎ。他の連中は二次会に行ったらしいが、明日帰省する俺は自重した。

 とりあえず酔いが少し醒めるようにと風呂に入って頭をスッキリさせる。それでも酔いが残りつつ準備に勤しむ。夕方の便だから、そんなに急ぐこともないのだが、ゆっくり寝たいが為。ただそれだけの理由だ。

 それに持って帰るものなんて着替えぐらいだ。どうせ実家では食べて寝るだけの生活だから。


 ふと、スマートフォンが鳴った。

 メールではなく、電話のようだった。画面に表示されたのは、少しだけ見慣れたあの子の名前である。


「もしもし?」

「遅くにごめんなさい。いま、大丈夫ですか?」


 山元さんの声を聞いたのも久しぶりだった。最後に会ったのは、ポスター企画の打ち上げの時。今でもたまに思い出す。雨上がりの先で小さく手を振る綺麗な彼女のことを。


 そういえば、あの後二次会に来なかった。理由はなんとなく察したけれど、今言うことでもないだろうと飲み込む。


 相変わらず心臓は高鳴る。話すのは楽しいけれど、いつまでも慣れない。緊張してしまうのが本音だった。


「大丈夫。どうかした?」

「――よかった。ありがと」


 馴れ馴れしく話しかけてみたが、相手もそれに乗っかってきた。と言うのも、最後に会ったあの日に、俺たちはになった。

 これまではファンと元アイドル。そして取引相手。それが友達というラフな関係になったのだから、躍らないわけがない。あわよくば――なんてありえないことを考える。


「……ちょっと相談があって」


 その言い出しで、少し長引くことを察した。準備の手を止めて、換気扇下に移動する。そしてタバコに火を付けて、聞こえないように吸った。


「俺に相談?」

「うん。ダメ?」

「そんなわけないでしょう」

「ふふっ。ありがと」


 あざといなんて言われても良い。死ぬほど可愛い。失神してしまうぐらいに可愛い。可愛さが天井を突き破って宇宙でビッグバンを起こしてしまう。

 完全プライベートというか、素顔の山元さんの破壊力はやばいな……。正直、桃花愛未の頃よりも断然良い。このまま売り出すべきだと思わせる声色と態度。


「あの……スカウト、されたんです」

「あぁ……」


 そんな呑気なことを考えていたが、少し空気が変わった。同時に頭に浮かぶ宮夏菜子の顔。なんとなく予想はしていた。

 俺の反応は薄いモノになった。知っていたから。驚く素振りでもすれば良かったなんて思ったけど、彼女はそれに何も言わなかった。


「良いじゃん。リベンジできる」


 そう言ってみたものの、芳しくないリアクションが返ってくるのは分かっていた。そうじゃなきゃ俺に相談してくることもないだろうに。


「そう……なんですけどね」

「迷ってる?」

「……はい」


 迷うにしても、根本的な理由次第でポジティブなのかネガティブなのか決まる。


「どうして?」

「……怖気付いてしまったんです」


 元々、アイドル業界から逃げ出してきたのだ。辞めるのは簡単だが、そこに戻るのは色々と覚悟が必要になる。自分から辞めときながら、やっぱり復活となれば、反感を抱く人も居るだろう。


 人間生きていればそんなこともある。一般社会でも同業他社に転職することだって珍しくないわけだし。

 ただ俺は、芸能界というものを知らない。俺たちが生きている社会とは全くの別物だとは思う。その中で、一度裏切った彼女は生き残っていけるのだろうか。


 平然と圧力を掛け合っている世界と聞く。前の事務所は良い顔をしないだろう。宮さんがどんな立ち位置の人か知らないけど、その手腕にかかっているのは間違いない。


「心のどこかで「もう無いだろうな」って思ってたんです。それが突然、手元にやってきたので、少しびっくりというか……」


 なるほど。要は心の準備が整っていなかったということだ。確かに考えても、こればかりは声を掛けてもらうのを待つしかない。

 オーディションを受けることもできるだろうが、そうして来なかったのは罪悪感からか。


 となれば、第三者の出現が必要になる。

 山元美依奈を引っ張り上げるだけの力を持つ誰かが。それがあの宮夏菜子かどうかは分からない。


「後悔しないと断言出来るなら、引き受けなくても良いと思う」

「むっ。意地悪なアドバイス」

「そ、そうかな?」


 「冗談っ」軽快にそう言って笑ってみせたが、多分本音なんだろうなと感じた。彼女の中でもごちゃごちゃになっている。アイドルに戻りたい自分と戻りたくない自分。

 100%戻りたいのなら、悩む理由は何もない。そうならないということは、少なからずリスクへの不安が頭の片隅にあるわけで。良い意味で捉えれば、物事を俯瞰して見ることができる人でもあるが。


「何が心配なの?」


 不安の根本を取り除ければ、少しは楽になるはずだ。そう思って問いかけてみた。


「………いろいろ」

「それじゃ分かんないな……」


 何故ここまで来ておきながら。悩みを隠されるのは非常にもどかしい。今の俺は、彼女がアイドルになるのかならないのかの分岐点に居る。ここの対応次第で全てが決まってしまいそうな気がしてならなかった。考え過ぎか。


「誹謗中傷?」

「うん」


 その話は聞いていた。だから肯定するのも頷ける。けれど、不安を全て吐き切ったような声ではなかった。

 他に何かあるのか? それこそ、前事務所への不安だったり。あるいは、の反応が気になると言ったところか。


「……30歳目前なのに、いいのかな」

「え?」


 もっと重い話かと思ったが、どうやら違うようだ。いや、彼女にとってそれは死活問題だということは分かっている。だけど、俺は心のどこかで「あぁそんなことか」と安心したのも事実だった。


「今のアイドル業界は、25歳過ぎたらいい歳だって言われるんです。サクラロマンス時代もそうでした」

「うん。知ってる。その中で君が頑張ってたことも」

「……ありがとう。もう28歳になる私に、需要なんてあるのかな」


 俺は全くと言っていいほど気にしていないが、女性にとって年齢というのはそれほどまでに重要らしい。第一、25過ぎたらいい歳だなんてのも可笑しな話である。会社で言うとまだまだ若手だ。


 だが、人間若い子に目を奪われるのは仕方がない側面もある。話は違えど、歳の差婚なる風習が存在するぐらいだ。その場合は大抵、男の方が随分と上である。


「あると思うよ」

「断言出来るんですか?」

「少なくとも俺は、君にトキメクと思う」


 口説いているみたいで嫌になったが、事実なのだから仕方がない。ここで良い加減に意味が無いだろう。


「……新木さんだからそう言えるんです」

「だけど、誰にも言われないよりはマシでしょ?」

「それは……そうですケド」


 納得はしていない様子。それも仕方がない。俺個人に何か言われたところで、それがファン代表の意見というわけでもない。気休めにはなるかもしれないが、大きな不安を取り除くだけの効果は無い。虚しいけれど。


「結論はいつまでに出せばいいの?」

「つい先日声を掛けていただいたから、今年いっぱいは待つと」

「ならそろそろなんだ」

「はい。年明けてから、連絡するつもりです」


 なんだかんだで、宮さんは彼女に考える時間を与えてくれていて少し安心した。俺に対しては強引だったが、山元さんは大切なビジネスパートナーになるかもしれないのだ。それも当然か。


「まぁあと少し時間があるから。また頭がごちゃごちゃになったら連絡してよ」

「……ありがとう。優しいんだね」

「そりゃ、君の為だもの」

「ふふっ。キザな人」


 そのまま彼女は、俺に付き合ってくれた感謝を伝えて電話を切ろうとする。ふと、言葉を伝えたくなったから「ちょっと待って」と彼女を呼び止めた。


「好きになることに年齢なんて関係ないよ。どこかの哲学者がそう言ってた」


 彼女は笑った。電話が終わるその瞬間に、ようやく心からの微笑みを聞くことができたと思う。つくづく、俺は女心が分かっていないと痛感して、タバコの火を消した。



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