第21話
怒ってる? と直球で聞くべきか悩んでいると、ずっと睨んでいた彼女は呆れたようにため息を吐いた。でも、それまで。
俺のことを咎めるわけでもなく、かと言って姿を消すわけでもなく、ただ目の前に存在するだけ。まるで「私はここに居る」と訴えられている気がしてならない。
さっきまでの喧騒は無くなっていて、扉の開かれた宴会場を見ると、ホテルスタッフが後片付けをしている最中だった。
「あの……怒ってます?」
「はい」
即答である。食い気味ですらある。勇気を出したのがアホらしく思えるぐらいに。
その理由を問いかけようとすら考えた。でもそうすると「そんなことも分からないのか」と言われる未来しかない。
十中八九、俺が逃げるように喫煙所に駆け込んだからだろう。
「む、無視してるわけじゃないんです」
「別に無視されてると思ってません」
「あ、いや……」
言葉の綾だと言い訳しても、余計に墓穴を掘るだろう。ここはあえて何も言わず、咳払いで誤魔化してみた。
「無視する理由でもできたんですか」
全然誤魔化せなかった。
質問されているのに、言葉に抑揚がないからめちゃくちゃ怖い。あんなにキラキラしてた桃花愛未って、怒るとこんな感じなんだ。怖いけど可愛いな。
……そうじゃなくて。ここで宮さんに言われたことを素直に言うべきか? アイドルに復帰するために、俺との関係性は薄くしておいた方が良いと。
でも、彼女は拒否するだろうと思った。だって、俺が避けるような態度をとってこれなのだ。多分、余計なお世話だと言い切られる勢いが今の彼女にはある。
「ただタバコを吸いたかっただけなんですよ。それ以上もそれ以下もありません」
「私の声がけを無視してまで?」
そう言われるとキツい。申し訳ないし。
だけど、ここは心を鬼にするしかないか。要は、俺に構うなと彼女に伝われば良い。
「まぁ……その時はタバコを吸いたかったんで」
「……バカ。新木さんのバカ」
そうだな。俺はバカやろうだ。
君は、この感情を分かってくれるだろうか。ファンとして、俺がずっと君の近くに居るわけにはいかない。必ず、どこかでネタにされる。俺も、彼女も。そんなことにはなって欲しくないから、引くなら今しかない。
彼女は俺に背を向けて、小走りで姿を消した。俺は黙ってそれを、小さくなっていく山元美依奈の背中を眺めることしか出来なくて。
もどかしくて、悔しくて、寂しい。こんな感情を抱いたのはいつぶりだろうか。それは俺自身が、彼女と距離を置きたくないと認めているようなものであった。
「――場所に救われたわね」
今は神経を逆撫でする声に聞こえた。
振り返ると、宮さんが呆れた表情で俺の方を見ている。口ぶりからして、ずっと見ていたらしい。
「見てたんですか?」
「ええ。最初から」
「なら助けてくださいよ……。会うなって言ったのは宮さんでしょう」
「いやいやぁ」と頭を掻きながら苦笑いする彼女。俺たち以外に人が居ないせいか、やけに声が響いた。別に彼女のとぼけ声は聴きたくもないのに。
「あの子、すごい形相で喫煙所睨んでたし」
「……」
「で、あなたが出てきて納得って感じ」
「宮さんのせいですよ……」
そもそも、会うなと言われてなければ、こんなことにはなってない。それをこの人は分かっているのだろうか。……どうやら分かっていないらしい。呆れた表情を見れば一目瞭然だ。
「今のが路上だったら、痴話喧嘩にしか見えないわね」
「実際は違います」
「週刊誌にそれは通じると思う?」
言葉が出なかった。そう言われたら、俺が宮さんを説得させることは出来ない。
それが真実か嘘かはどうでも良い。とにかく載ったもん勝ちなのだ。
彼らがどう思っているかは知らないが、誰かのケツを追っかけてプライバシーを侵害しようが、報道機関としての信用を失おうが、報じたが勝ち。そもそも信用なんてものを必要とすらしていないのかもな。
「ま、なるべく話そうとしない姿勢は良かったと思うけど」
「……これで良かったんですかね」
「そう思うのなら、良かったんじゃない?」
本当に勝手な人だ。ズルイ言い方しか出来ない姑息な大人である。
「俺は、なんか……違うというか」
「どういう意味?」
「別に堂々としてても良いんじゃないかな……って」
何の根拠もない、無責任な発言だ。自分でも思う。頭では宮さんの言うことを理解していても、心はそうもいかない。彼女とずっとお友達のような、こんな関係を続けていきたいワガママがある。腐れ縁と言われても別に良い。
「あの子がアイドルにならないなら、それでも良いかもね」
「そういえば、スカウトの話は?」
先ほどまで姿が見えなかったのだ。その時に話したものだと思っていたが、彼女の表情が苦笑いに変わる。どうやら違うらしい。
「まだ出来てない。話しかけられる雰囲気じゃなかったし」
「もしかして俺のせいとでも?」
「そう聞こえた? 別にそういうつもりじゃなかったけど」
そう言いながら、彼女は笑っている。絶対わざとだな。分かる。でも本気で思っているとかそういうわけじゃなくて、ただ単に俺を揶揄っているだけなのだろう。
宮夏菜子という人物は、決して悪人ではないと思う。俺に忠告してきたのは、彼女をスカウトするため。
言い換えると、山元美依奈を守るためだ。余計な虫は今のうちに駆除しておくのは、芸能事務所の社長としては至極真っ当な考えである。俺としては別に、そんな虫になったつもりは無いけれど。
「あの子、二次会にも参加するって言ってた」
「そう……なんですね」
「嬉しそうね」
「そう見えますか?」
仕返しとばかりに問いかける。すると彼女は笑った。嫌味だらけのやり取りではあるが、不快では無かった。むしろ少し楽しい。悪友と話しているみたいで。
二次会に参加されれば、必然的に2人きりになるタイミングは無い。スカウトするにはあまりにも喧騒である。
「困ったわね。今日中に声をかけたいんだけど」
「掛ければ良いじゃないですか」
「沢山の人が居る前だとあの子が可哀想でしょ」
山元さんにはえらく気を遣うんだな。俺にはお構いなしで。別にいいけど。
「なら追いかけないと。山元さん、行っちゃいましたよ」
「……本気で言ってる?」
「はい?」
どういう意味だ。無意識に聞き返す。
俺の言葉は宮さんの発言をしっかり汲んだ上でのモノであるのは確か。なのに、彼女はそれを理解していない。いや、それ以外の何かがあると考えるのが自然かもしれない。
「あの子、あなたのせいで行っちゃったのよ」
「……つまり、俺がなんとかしろと」
「そう。機嫌直さないと話しづらいでしょ?」
ご機嫌斜めになった根本的な理由を作ったのはあなたなんですけどね。もうなんでもいいや。せめてもの反抗として、ため息を吐いたけれど彼女には効いていないようだった。
「分かりましたよ。でも話しても良いんですか?」
「仕方ないでしょ。あの子があんな感じになるとは思わなかったし」
「……まぁそれは確かに」
怒っているというか、拗ねているように見えた。俺にあしらわれたのがよほど悔しかったのか。
まぁ、かつてはお金払って会いに行ってたファンだからな。それが離れていくのはあまり良い気がしないのかもしれない。
そう考えると、非常に申し訳ないというか、悪いことをした気がする。宮さんに気を遣いすぎたというか、言うことを聞きすぎたというか。
「追いかけますよ。雨に濡れないうちに」
「頼んだわね」
適当に会釈して、エレベーターに乗り込む。とりあえず一階を目指す。何はともあれ、さっきのことを謝らないといけない。これをどうやって説明するかは、まぁその時になって考えれば良い。
一階のロビーは賑わっていた。宿泊客だけじゃなく、俺たちのように宴会終わりの人間もチラホラと見受けられる。
でも、自動ドアをくぐれば濡れた世界になっていて。滴り落ちる雫を、寂しそうな背中が一人で見つめている。その姿すら絵になるもんだから、俺が声をかけるべきかどうか、ほんの少しだけ悩んだ。
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