3rd
第20話
喫煙所を出て宴会場に戻ると、お開きの流れになっていた。いつ買ったか忘れた腕時計を見ると、夜の9時が近い。確かにいい頃合いだな。
それに2時間制だと、さすがに飲み足りない。だから人は何軒もハシゴしてしまうんだよな。酒も足りないし、話だって尽きないから。
あの子と会わないで欲しい、か。
頭の奥底どころか、てっぺんにまでその言葉が染み付いている。分かってはいたが、面と向かって言われると少し寂しい。
二次会の場所は藤原辺りが予約しているらしい。飲み足りないのは事実だが、行きたいとも思えないのが本音だった。
宮さんの姿が見当たらない。それに山元さんも。あぁそうか。多分スカウトだろう。俺に言ったぐらいだから、あの人はすぐに動くはずだ。宮さんにしても、つぎ山元さんに会えるのがいつになるか分からないし。
力の無いため息をついていると、藤原が俺に話しかけてきた。
「新木さん、行きましょう」
「絶対行かなきゃダメ?」
「当たり前じゃないですか! だって一番の功労者なんですし。要は今日の主役ですよ」
そこまで言ってくれるなら「行きたくない」というワガママを聞いて欲しいぐらいだ。飲み足りない人間だけで行けばいいのに。……だけど、俺が藤原ぐらいの歳だったら同じことを言ってるかもしれないな。
あと、今日の主役は俺じゃなくて山元さんだろう。それを訂正するつもりにはなれなかった。彼女の名前を口にすることすら恥ずかしくなって。
「分かった分かった。ちょっとタバコ吸ってくるわ」
「このまま解散なんで、ホテル前で待ってましょうか?」
「いや、店近いし。すぐ追いかけるよ」
藤原は少し考えて、俺の言葉を飲み込んだ。帰らないでくださいと釘を刺して。その手があったな。馬鹿なヤツである。
さっきも吸ったとか、そんな話じゃない。酷いストレスを感じると、どうしてもタバコを吸いたくなるのだ。ヘビーだと言われようが、俺には関係のない話だし。
カバンを肩に掛けて、両手をフリーにする。喫煙者にとって手の自由は必須である。
本当についさっきまで居た場所に戻るわけだが、妙に足取りが軽かった。今度は純粋に喫煙するという目的があるからだろうか。
ゾロゾロと会場から出て行く参加者たちは、随分と楽しそうだ。
「――新木さん!」
声をかけられた。心臓が鳴った。
だってその声の主は、会うなと言われたあの子だったから。
「山元……さん」
「今日はありがとうございました。すごく楽しかったです」
「あ、う、うん。良かったです」
そう言う彼女の声は、分かりやすく高揚していた。お酒を飲んでないのに、会場のテンションに付き合えたんだな。
まぁ、握手会で色んな人間と話してたぐらいだ。それぐらいは容易なんだろう。
表情はよくわからない。飲酒してないから、紅潮しているとは思えない。と言うのも、会うなと言われた手前、彼女の顔をまじまじと見ることが出来なかった。
「じ、じゃあ俺タバコ吸ってくるんで」
「あ、ちょっと!」
呼び止められたが、俺は逃げるように喫煙所に進んだ。引き戸を引いて、彼女から見えないところに立つ。黒い壁に覆われた空間、小さめの窓にもスモークが掛かっているから、外から俺のことは見えない。
思わずホッと息を吐いた。流石にこの中まで追いかけてくるつもりは無いらしい。それもそうか。逆に入ってきたら、俺が折れるのに。
駆け込んだが、俺以外に人は居なかった。まさか、あんだけの参加者の中で喫煙者は俺と宮さんだけか?
いやそれは無いよな。うん。勝手に疑って勝手に納得する。こんなミラクルもあるんだと密かに感心してしまう。
タバコに火を付けて、スッと吸って、フッと吐く。もう一度、ため息は近い感情を吐き出した。
「情けねえなぁ……」
オドオドしながら、一生懸命に彼女の手を握っていたあの頃とは違う。そういう意味での情けなさじゃない。ファンとしてじゃなく、これは俺個人、一人の男としての判断。それがこんなにもみっともないとは。
元アイドルかもしれないが、今のあの子は一人の女の子だ。そんな彼女にいい歳のおっさんがオドオドするなんて。
そんな俺に反して、いつにも増してタバコが美味しい。そんだけストレスを感じているのだろう。全く、全部宮さんのせいだ。
そういえば山元さんの様子を見る感じ、まだ声を掛けられていないようだった。いや何の根拠もないけれど、俺の直感がそう言う。ただそれだけの話。
なんとなくだけど、彼女がアイドルにスカウトされたら、あんなに元気良く話しかけて来ない気がする。少なくとも、俺には迷惑をかけたと思ってるぐらいだし。
(……戻るのかな)
一ファンとしては、もう一度表舞台で見られるなら、それで良い。宮さんと同じく、あの子は絶対に天下を取れると断言するぐらいだ。
だけど、下手に話す関係性になったせいで、彼女が手の届かないところに行ってしまうのは寂しい。女々しいだろうが、仕方のない感情だと割り切る。憧れのアイドルと連絡を取れるなんて、この先二度と無いに決まってるから。
生きていると、人生は都合良く進まないと思う。今のまま、お友達として彼女がスーパーアイドルの座を射止めるプロセスを眺めていたいのに。世間はそれを許さない。
タバコを吸い終わったが、なんとなく外に出たくない。気が重かった。2本目に手を伸ばす。スマートフォンでは2軒目の場所を確認する。うん、ここから近い。いい意味で騒がしそうな大衆居酒屋か。ここと随分ギャップがあるが、今はこれぐらい騒がしい方が現実から逃げられそうだ。
山元さんは二次会に参加するのだろうか。ふと気になった。
飲み会で酒を飲まない人間が、二次会に参加するケースは極めて珍しい。加えて2軒目になれば、大抵の人間は出来上がっている。声は大きくなり、思ったことを包み隠さず言い、アルコールに溺れてしまう。
そこにシラフの人間が居たところで、辛いだけだ。場酔いでもしない限り、ただただ苦痛の時間を耐えるしかなくなる。
だから、彼女は来ないだろう。俺ならそうするし。
それが嬉しくもあり、寂しくもあった。来ないなら色々気にすることは無くなる。でもチラリと視界に入るだけで胸が高鳴るから、居てくれるだけで嬉しいのが本音でもあった。
ふとスマートフォンが震えた。電話かと思ったが、メッセージらしい。送り主は先ほど別れた藤原だった。
『雨降ってますんで、併設してるコンビニで傘買った方が良いですよ!』
そうなのか。念のために折り畳み傘を持参しているから無用な心配であるが、中々に気が利く奴である。
その旨を返信して、ポケットにしまう。藤原と絡みが無かった頃はただの脳筋だと思っていたが、接していくうちに印象は変わるものだ。脳筋であることには変わりないが。
もっとワガママを言えば、ホテル前で傘を買って待ってくれてれば最高だったな。そうしたら、一回ぐらい高級ランチに連れてってやってもいい。
「………出るか」
まぁいい。今はそんなこと。
力の無い独り言である。タバコを灰皿に押し付けて、ライターごとスーツの胸ポケットにしまう。最近クリーニングに出してないな。そろそろしっかりしないと匂いも付いているだろうに。引き戸を開けながら、そんなことを考えていた。
「――どうして逃げたんですか」
「うわっ!?」
喫煙所を出てすぐ、彼女に出くわした。
というより、入り口の目の前で待ち構えていた感じだ。
「………」
「あー……えっと……」
さっきは目を合わせられなかったが、今は不思議とそうではなかった。俺よりも身長が低い彼女。俺の目をジッと見つめている。だけどそれは――明らかにお怒りの視線である。
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