第19話
宴会場を出てすぐに、喫煙所は見つかった。同じ階に併設していて助かったと思った。
それは今すぐにタバコを吸いたいわけではなくて、喫煙所までの移動する気まずさに耐えられなかったからである。
引き戸を開けると、換気していても残る独特の匂いが鼻を抜けた。不思議なコトに、俺たち以外に誰も居なかった。
「誰も居ないのはちょうど良かった」
「え……?」
今となっては、すごい意味深に聞こえるセリフだ。別に誰か居ても気にすることはないのに。誰かが居ると不味い話でもするつもりなのか。
いや、実際そうだろう。俺が週刊誌に載ってたことを突っ込むつもりなのか、はたまたそれ以上の脅しをしてくるのか。
電子タバコを一吸いして、甘めの煙を吐く彼女を見ていると、つい視線が合ってしまった。
「吸わないの?」
「いやまぁ……」
今はそれよりも知りたい事がある。タバコに火を付ける気にはなれなかった。喫煙所に居るのに初めての感情だった。
そんな俺を
「吸いなよ。喫煙者にしか分からない感情ってあるじゃない」
「まぁ……」
言葉の意味はよく分かる。子どもの頃はこんなモノに絶対手を出さないと思っていたのに。人間分からないものだ。仕事中に吸うことでメンタルを保つことが出来るのだから。
どのみち、火を付けないと話が進まないと察した。諦めてタバコ取り出して口にやる。週刊誌を見たあの日と同じ味がした。
「――別に脅すつもりも、あなたを売るつもりも無い。それは最初に言っておく」
本当かよと言いそうになったが、いつもの如く飲み込んだ。代わりにタバコの煙を吐き出して、それを返事とした。よくあるだろう。親父世代がよくやるヤツだ。
「なら、俺に何か言いたいことでも?」
少しだけ頭がスッキリした。タバコのおかげで。見えない彼女の助言が効いたとでも言うべきか。皮肉なことにね。それを分かっているらしく、目の前の人は「あはは」と笑った。
「そういうこと。別にあなたに言う必要もないんだけども」
壁に寄りかかる俺と、真っ直ぐすらりと立っている彼女。心の態度が現れている気がして、随分と対照的だ。
「なら言わないでも良いんじゃないですか?」
初めて思ったことを素直に言えた気がする。
酔いのせいか、彼女への疑念のせいか、はたまたその両方か。別にどちらでも良い。
「ツレないね。気にならない?」
「いや気になりますよ。なりますけど……」
「けど?」
「……うーん」
怖くて聞けないというのが本音だ。でもそれを言ってしまうと、何か負けた気になる。だからつい見栄を張ってしまった。
「売るつもりは無いって言ったけど、どうしてか分かる?」
会話が途切れそうになったからか、最初に彼女の方が口を開いた。突然の問いかけであったが、無視するのも申し訳なくて、仕方なく頭を回した。
「……意味がないから?」
「まあ、そういうこと。売れない情報ってことね」
それはそれで中々に癪だな。まぁただ一緒の画角に収まっているだけの一般人には、何の価値もない。少し冷静になれば分かることだった。
「でもそれは、価値があるなしに関係ないの」
「………と言いますと?」
電子タバコの匂いが残る。紙タバコの方がキツいのに、やたらと鼻を抜けるその香り。虚しさだけが胸に居座っている。
「正直、あなたのことは知られてる。業界に」
「えっ!?」
「週刊誌はエゲツない連中よ。事実無根だったから、一般人を晒すようなことは流石にしてないけどね」
彼女の言葉を意訳するなら、週刊誌側は俺の人となりを理解していて、住んでいる家や職場のことも知っているというのか。
桃ちゃん、いや山元美依奈が芸能界に復帰することになれば、俺の存在が足枷になることだってあり得る。
だが、別に付き合っているわけではない。何もやましいことは無いのに、俺がビクビクする必要はないはずだ。
「それが俺にどんな関係があるんです?」
「あら、意外ね。もっと動揺するかと思ったけれど」
「熱愛疑惑以上に動揺することは無いですよ」
「それもそうね」と宮さんは笑った。こんな体験出来るのは世界でも居ないんじゃないか。アイドルの恋人に間違えられて、週刊誌に載るなんてさ。
放置していたタバコの灰が大きくなりすぎていた。慌てて灰皿に落として、なんとなく一吸いする。惰性の喫煙である。いや、喫煙そのものが惰性なんだけども。
「今回、あの子が日の目を浴びる機会を作ったのはあなた。でもそのせいで、週刊誌のマークもキツくなるはず」
「俺に? どうして」
「あの子にとって致命傷になるのは、熱愛疑惑が本当だった、と書かれること。分かる?」
分かるが、それが俺と何の関係があるのだろう。そんな顔をしていたせいか、宮さんは少し呆れている。
「二人きりで歩いてみなさいよ。すぐ撮られてあなたも色々と大変な目に遭うに決まってる」
「でも、今の山元さんは一般人ですよ」
「そう。今は、ね」
別に二人きりで会いたいわけではないが、会いたくないと言えば嘘になる。現役アイドルであれば流石に自重するが。ただ宮さんの含みのある言い方を見て、察するところはある。
きっと彼女は、芸能界に復帰する。
今回のヒット具合を見ても、熱愛疑惑が出た元アイドルとは思えないほどの熱狂ぶり。大衆が素直に彼女の魅力に惹かれた印象を受けた。
「だから――あなたに言いたいのは一つだけ」
そう、それで良いんだ。会社のためとか言っていたけれど、心の奥底では桃花愛未のことを諦められない自分が居て。
そのきっかけになれば良いと思っていた。話題になって、スポットライトを浴びてもらって、もっともっと多くの人の目に届けば良いと。
でもそれは――今の関係を捨てることになる。
「もう、あの子に会わないで欲しいの」
だから、宮さんがそう言うのも理解できた。だけど、まだ彼女は復帰すると決まったわけじゃない。だから尚早な気もした。
タバコの火が消えそうになっていた。吸う気力も無くて、灰皿に押し付けた。いつもより強めの力で。
「復帰すると決まったわけじゃないですよ」
「そうね。本人の意向を聞いていないから」
「……あなたは、何者なんです?」
ここに来て、冷静になって考えてみた。
ただのスタイリストにしては、あまりにも干渉が過ぎる。サラリーマンの俺が言えたことではないが、彼女は山元さんの何を知っているのだろう。そして、何を見ているのだろうか。
電子タバコを吸い終わった彼女は、僅かに口角を上げた。ようやく聞いてくれたね、と何故か嬉しそうな表情をしている。なんなんだ。
おもむろに取り出したケース。名刺入れだとサラリーマンの直感が言った。案の定、彼女が俺に差し出したのはうっすら桃色がかった可愛らしい名刺だった。
「ゴールドコイン代表取締役……社長さん?」
「そう。一応芸能事務所の。小さいけどね」
初めて会った時の違和感が、ここでようやく解消された。ただのスタイリストにしては、明らかに落ち着きすぎている。目の前だけじゃなくて、もっと先を見据えているような、そんな落ち着きが
「芸能事務所の社長さんが、どうしてスタイリングを」
「元々はスタイリストだったから。今もたまに現場に立つけどね」
「なら、あの日も?」
「ええ。少し強引に参加させてもらったの」
彼女がそこまでして参加した理由は、もう分かりきっていた。そう判断するには材料が揃いすぎていたから。
「私は山元美依奈をスカウトする。あの子は天下を取れる。絶対に」
だから俺に会うなと言うわけだ。今はただ周りを飛んでいる虫でも、害虫に変わる可能性もゼロじゃないから。
それなら、今のうちに駆除しておいた方が良いに決まっている。俺が宮さんの立場なら、きっと同じことを言うはずだ。
「それをどうして俺に」
「……どうしてかしら。私も不思議」
「
「そんなんじゃない。ただあなたは――」
俺が「復帰しないように」説得するとか、彼女と宮さんを切り離す努力をしないとでも思っているのだろうか。いや……それは無いな。宮さんは、そんな低俗なことを気にして話をしたわけじゃない。
随分と酷いことを言われたが、俺を一方的に突き放すわけでもない。その僅かな優しさが感じられたから、あまりショックを受けないのだろう。今の俺は。
「――あの子を最優先に出来るでしょう?」
出来るさ。だって、ファンだもの。
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