第18話
12月というのは、一年のうちで一番忙しい。仕事もそうだが、プライベートでもやらなきゃいけない事が多い。
特にウチの会社では、文房具メーカーが集う展示会を終えて、ようやく締めくくり。今年もその日程は変わらないが、忙しさが段違いであった。
その理由はたった一つ。山元美依奈だ。
どういうことかと言うと、彼女を起用したポスター。その反響が凄まじいことになっている。中小企業に嵐が吹き荒れたのだ。
取引先や顧客への配布のほかに、俺たちの弱小企業アカウントでSNSにもアップした。これが大反響。最近の言葉を使えば、バズったわけだ。
「桃花愛未が戻ってきた」とドルオタ達が騒ぐのは想定内だったが、それ以外の層にウケが良かった。良すぎた。熱愛疑惑で脱退した元アイドルであるにも関わらず。
本人の意向で、ポスターに彼女の名前は入れていない。そのせいで、桃ちゃんのことを知らない人からの問い合わせが殺到する羽目になった。
そのほとんどが「名前を知りたい」というモノだったが、中にはポスターをくれと言う奴まで出てきた。どうせ転売ヤーだろ。お前らは全人類の敵だ。
皮肉なことに、彼女を傷つけたSNSで話題にもなった。もちろん、良い意味で。こんな良い素材を手放した前事務所へ苦言を呈すアカウントもあったぐらいだ。
ネガティブな意見もあっただろうが、好評に掻き消されて見つけられなかった。いずれにしても、これは俺たちにとって嬉しい誤算である。
ただ、気になる事が無いわけじゃ無い。
近年SNSで話題になったネタは、ネットニュース、そしてテレビにも波及するのが普通になっている。大した取材もせずに自分の媒体に載せるのはどれだけ楽だろうな、なんて皮肉っていたが、今回の件に触れることは無かった。
特にテレビ。今は少しでもバズれば情報番組等で取り上げられるのに、テレビ画面から桃花愛未の名前は出てこなかった。熱愛疑惑の時は散々だったくせに。
まあ深く気にすることでもない。
山元さんのおかげで、展示会は大盛況に終わった。本人が来るわけでは無かったが、ポスターを見た顧客との会話には困らなかったらしい。やっぱり俺の見る目に狂いはなかったのだ。
話は変わって――時は師走。忘年会シーズンである。
会社の飲み会が嫌いな若者も多いが、俺は別に嫌いではない。アルコールを摂取することで同僚の違う顔が見られるからだ。あとは単に仲良くなれるチャンス。仕事をしやすくするためのイベントとして捉えている。
基本的には会社を挙げてというより、部署内で済ませることが多い。今年もそうなる予定だったが、山元さんの件で全員が浮き足立っていた。
そのせいで、彼女を招くほか、撮影に協力してくれた広告代理店のメンバー等を合わせた大宴会となったのだ。もちろん経費で。良い意味で緩い会社だな。
で、ホテルの一室を貸し切って飲み放題付きのコース料理を楽しむことになった。総勢40人近い人が集まると、中々に壮観である。
最初こそ席が決められていたが、酒が入れば自由に移動するのがお決まりだ。例に漏れず、いまも各自好きなところで好きな話をしている。
その中で、山元さんの人気は凄まじい。彼女の周りには男女問わず多くの人が酒を注ぎに来ている。弱いから飲まないと固辞しているが。それで良い。酔ってしまうと何をされるか分からないからな。特に彼女は。
「どうも。お久しぶり」
手酌した瓶ビールを一人飲んでいると、聞き覚えのある声に話しかけられた。空になったグラスをテーブルに置いて、顔を見合わせる。
「あの時の!」
「挨拶もなく帰ってごめんなさいね」
「いえいえそんな」
撮影の時に少しだけ話したスタイリストだった。金髪ショートカットは健在だが、あの時よりも格好はフォーマル。スーツを上手く着こなしている印象を受けた。
隣の席が空いていたから、彼女はそこに腰掛けた。俺の空のグラスを見て、瓶ビールを手に取る。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
瓶ビールのラベルを上にして丁寧に注ぐ。
少し意外だった。見た目的にも破天荒なイメージがあっただけに、一般社会のマナーを持ち合わせていたとは。人は見かけによらない。
というより、こんなモノはマナーでも何でもないんだけどな。これをマナーだと叫ぶ親父どもが喧しいったらありゃしない。
「不満が溜まってる顔してますね」
「いやそんなことは……」
「私の注ぎ方が悪かったかしら?」
何かキャバクラみたいだ、と言いかけてやめた。それを言うには関係性が薄すぎる。にしても、自然とそう思ってしまうぐらいの軽快さが彼女の言葉にはあった。
そのまま口に運んで、いつしか美味しいと思うようになった苦味を喉に流し込む。いつも発泡酒ばかり飲んでいるから、やはりビールは美味い。いつもより酔いが早く回っている気がした。
「凄い反響ね。あの子」
「ここまでとは思いませんでしたよ」
「あなたに先見の明があるんじゃない?」
「それは無いですよ」
先見の明というか、俺はずっと桃花愛未のことを推していた。好きだからとかではなく、一人のファンとして、彼女は一人でも十分にやっていけると。
歌も踊りも上手くて、可愛らしいその雰囲気は他の女性には無い。今こうして一緒に打ち上げをしていること自体、不思議でならない。
「そういえば、お名前をお伺いしてませんでした」
俺がそう言うと、彼女は笑った。いつもの癖でスーツの内ポケットから名刺を取り出そうとしていたからである。
そこで笑う理由はよく分からなかったが、アルコールのせいにしてその疑念を打ち消した。
「
「あ、いえ……」
急に礼儀正しく頭を下げてくるから、持っていたグラスを咄嗟にテーブルに置いた。合わせて会釈すると、周りの笑い声が聞こえる。俺たちを見てのことではないが、そんな気がしてならなかった。
「珍しい苗字ですね。宮さんって」
「そうでしょ。あだ名みたいってよく言われます」
「あはは。確かに」
昭和の漫画に出てきそうな名前だ。これを言うと色々と失礼になる気がしたから、グッと堪えた。
彼女が持ってきたグラスも、いつの間にか空いていた。俺がビールを注ぐと「悪いわね」と満足そう。不思議な感覚だった。
俺よりも年上なのは間違いなさそうだ。時々出るタメ口も自然だし、相手もそれを分かっている。にしては、随分と若く見えるのも事実だった。
「新木君が注いでくれたビールは美味しいわね」
「それはよかったです――って名前知ってたんですか」
「ええ。もちろん」
まぁ広告代理店が委託したスタイリストなら、知っていてもおかしくない。
あの時話しかけてきた時も、山元さんの起用を提案したことを知っていたし。何の不思議もない。ここで、少しぬるくなったグラスを優しく掴んだ。若干飲む気が失せるぐらいのぬるさだ。
――だが、彼女の口から出てきたのは俺が全く想像していない言葉だった。
「あなた、週刊誌に載ってた人でしょう?」
ビールを口に含んでいなくて良かったと思った。もしそうだったら、盛大に吹き出していたに違いない。
今回はその代わり、声にならない声が出た。否定も肯定も出来ない声が。無論、その様子自体が肯定を指し示していることぐらい俺でも分かる。
彼女が今どんな顔をしているのかは分からない。怖くて目を合わせられなかった。
部長を通じて、会社の上層部はこの事実を知っている。だがそれまでだ。俺たちに交際の事実は無いし、笑い事として片付けても問題ない案件である。
なのに、彼女の前だとそれが出来なかった。笑い飛ばすことが。
多分、初めて業界人から突っ込まれたからだと思う。この人は俺が知らないことを知っていて、当然あの場面のことも頭に入っているんだと、思わざるを得なかった。
「タバコ、吸う人よね?」
少し考えて頷くと、彼女は「じゃあ続きはそこで」と言い出した。立ち上がって、俺の様子を伺っている。これは一緒に来いと言うことだろう。
視界が少しふらついた。酔いのせいだろう。くそ。突然悪酔いした気分。何が起こるのかよく分からないまま、俺はビールが残ったグラスを名残惜しく手放した。
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