第17話
展示会まで1ヵ月弱。ようやくポスターが完成した。
撮影された写真は、どれも美しかった。会議に同席してくれたカメラマンも「ここまでノッたのは久々」だと漏らしていたぐらい。それだけ彼女の放つ雰囲気に吸い込まれていたのだろう。
一枚に絞るのは勿体ないとの声も多く、三種類作ることになった。もちろん、追加料金が不要だということを確認した上で。
一つは、コスモス畑の中で振り返る彼女。白いワンピースと紫の花々が躍っている。
一つは、芝生の上に立って空を見上げる彼女。空に溶け込む水色のワンピースが揺れている。
一つは、横向きの彼女がカメラ目線を決めている姿。黒色のワンピースとポニーテールが良くマッチしていて、他の2枚とは趣向が違う。
いずれにしても、共通して言えるのは桃花愛未らしくない。サクラロマンス時代の彼女を知っている身からすると、キャピキャピ感が全くと言っていいほど無い。
いや、元々それが強いタイプでは無かったが、ゼロでは無かった。きっとグループとして活動してきたから、その馴染みみたいなモノなのだろう。
今回の彼女は、まるで別人だ。
アイドル時代よりも化粧は薄いのに、あの頃より輝いているように見える。またそれに、綺麗に伸びた黒髪がよく合うのだ。
ポスターで大切なのは、被写体ともう一つ。キャッチコピーがある。あらかじめコチラから要望を伝えて、それを代理店が委託したコピーライターに伝えてもらった。それで、いくらか案を持ってきてもらったが、三種類に共通して、一言だけにした。
――手元から、想いを彩る、文房具
コピーと写真の一体感はゼロである。これは全員が思ったことであるが、あえてそのギャップも面白いのではないかとの声も多かった。
確かに、文房具メーカーのポスターとは思えない。どちらかと言えば、山元美依奈を売り出しているようにすら見える。
だが俺たちの考えとしては、まず知ってもらうことが大事。彼女を踏み台にして、と言うと聞こえは悪いが、実際はそう。彼女自身それは分かっていた。
完成されたポスターは、営業マン達がこれから取引先や納品先に配っていく。毎年のお決まりであったが、今年は特段楽しみだ。どんな反応が返ってくるのか。
「――これで良かったんでしょうか」
当然、山元さんにも来社してもらい、完成品を見てもらった。というか撮影後の打ち合わせで何度も来てもらっているから、割と慣れつつある自分が居た。
それで彼女がそんなことを言ってくるから、少し考えて「何がです?」と聞き返してみた。
「社名も小さいですし、これだと私の宣材写真みたいで……」
「まぁ実質そうですし?」
「む。揶揄ってますね」
「バレましたか」
打ち合わせを重ねていると、必然的に話す機会は増える。少なくとも、握手会に並んで話してた時間を超えたと思う。そういう意味では、ここ数日は幸せだったな。
おかげで、軽口を言い合えるぐらいには打ち解けたと思ってる。まぁ一線引いているのは否定しない。やっぱり俺にとっては、憧れのアイドル桃花愛未なのだから。
「新木さんって意地悪ですよね」
会社の休憩室にある椅子に座ったまま、俺に拗ねた視線を向けてくる。一緒の職場で働いているような気分になって、少し痒い。
それにそんなことを言われるのは心外だ。だけれど、つい嬉しくなって笑ってしまう。
「どうしてそうなるんです」
「……なんとなく」
特に理由はないらしい。これ以上この話は広がらないだろうと察して、残り少なくなったブラックコーヒーを飲み干した。
打ち合わせも終わったから、彼女はこのまま退社してもらって構わない。だけど、椅子に座ったまま動こうとしないから、俺もこの場を離れづらい。別に急ぎの仕事があるわけじゃないけど、少し気まずい。
「すごく不思議なんです」
「……何がです?」
「もっと怯えるものだと思ってたんですけど、そうじゃなくて」
自身が世間に出回ることがだろうか。続きを促してみる。
「楽しみ……とまではいかないですけど、心が軽くなったというか」
「軽く……ですか」
「はい。変な話ですよね。怖がってたのに」
確かに変な話である。それが嫌でアイドルを無理矢理辞めたのに、今回に関してはそれが怖くないという。
無論、人間の心理はその時その時違うモノだ。だけど根本的な気持ち、いわゆる誹謗中傷に対する恐怖心が消えたわけではないはずだ。今が「軽くなった」と思うだけで。
そうだとして、俺は何と声を掛けるべきだろうか。良かったですね、と言うのも違う。彼女に寄り添わなきゃいけないっていう使命感は、ファンの良いところでもあり、悪いところでもあるな。
「それが本来あるべき姿なんですよ。きっと」
「……そうなんですかね」
「ええ。きっとそうです」
人に幸せを届ける仕事。それがアイドルだと思っている。その本人が幸せじゃないのは、それこそ変な話だ。それを気にしない大衆もどうかしている。彼女の幸せなくして、俺たちのこの感情は無いというのに。
理不尽だ。本当。俺が彼女の立場なら、きっと不満垂れて蒸発してもおかしくない。こんな世の中なのに、アイドルをやろうと思う人間は本当にすごい。
……そもそも、彼女はどうしてアイドルを志したのだろうか。ふとした疑問。今まで気にかけてなかったが、考えてみれば「きっかけ」があっても不思議じゃない。
「新木さんは、どうしてこの会社に?」
先を越された。まあいい。聞くタイミングはまたあるだろう。
「なんとなくですよ。正直」
「でも長いんですよね」
「まぁ、10年目です」
「凄いことじゃないですか」
彼女はそう言うが、本当のところどうなのだろう。長く勤めるのが偉いという定義は、大体が間違っている。長いだけで使えない人間も多いし、そういう奴らほど何かと口を挟む。何を勘違いしているのか分からない。
それに、仕事をしているのは生きていく為。何もせずに生きていけるのなら、その方が数千倍良いに決まっている。俺の場合はただ辞めるのが面倒なだけというのもある。
「運が良いんです。きっと」
彼女は俺の方を見て微笑んでいる。可愛くて恥ずかしい。
「……運か。確かにそうかも」
考えてみれば、偶然採用してくれた会社で働く環境にも恵まれ、10年。何事もなく仕事が出来たのは俺にとっても良かった。
偶然が生んだ巡り合わせとでも言うべきか。だとしたら、目の前に居る彼女はその筆頭だろう。
福岡でのライブの日。
終わった後、ホテルに直帰せずあのコンビニに寄ったことで彼女と遭遇した。そして、写真を撮られた。あの日、あの瞬間、桃花愛未が「辞めたい」という感情を抱いていなかったら、今のこの時間はあり得なかった。
そうなると、俺はとても運が良いんだな。どこかのライトノベル主人公とは正反対だ。
「――新木さん?」
物思いに
「あ、あぁすみません。ボーッとしてました」
「こ、こちらこそ。具合でも悪いのかと」
「いえいえ。元気ですよ」
山元美依奈が、俺の名前を呼ぶ度に心臓が鳴る。綺麗な声をしているせいで、寸分の狂いなく俺の体に染み渡っていく。ずっと聴いていたいこの声を。
アイドルを辞めてしまった彼女に思うことではないが、やはり歌声をもう一度だけ、なんて。これを伝えたら、きっと彼女は困ってしまう。ようやく少しだけ前を向けるようになったのだから、ここで俺が余計なことをする必要は無いだろう。
「山元さんって、占いとか信じます?」
藪から棒に何を言い出すのか、と言っている顔をしている。そんな顔ですら綺麗だ。
「良い時だけしか信じません」
「ははっ。分かります」
「ちなみに、今日のおひつじ座は6位でした」
「お、真ん中の時はどうするんです?」
「うーん。内容次第で信じます」
「今日は?」
「紅茶が良いらしいので」
「あ、それで」
彼女は「えへへ」とミルクティーを顔の前に差し出す。都合の良いことは信じるんです、と笑う。俺もそうだよと乗っかった。
こんな会話が出来るのも今だけだよな、と言い聞かせて。
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