第16話
ワンピースが風に吹かれる度に、俺は彼女に見惚れていた。白色から赤色、水色だったり、色んな衣装に着替えながら、山元さんの撮影は夕方まで続いた。
その間、俺はただ彼女を見守るだけ。これで給料発生するのが気まずいが、会社も認めてくれてるんだ。強気に行こう強気に。
しばらく喫煙出来てなかったから、公園内の喫煙所で一服し、撤収作業中のスタッフ達に挨拶する。流石に疲労の色が見える。あの金髪のスタイリストの姿はなかった。もう帰ってしまったのだろうか。まぁいいけど。
あとは帰社するだけだ。直帰したいのが本音だが、流石に気が引ける。報告と、飲みにでも誰かを誘ってみるか。撮影も無事に終わったし。
「新木さん」
声を掛けられた。ドキッとした。
振り返ると、ワンピースからジーンズと長袖シャツに着替えたあの子が居た。
「お、お疲れ様でした」
「どうしたんですか? 狼狽えて」
「狼狽えてはないですけど……」
「何か良からぬことを考えてましたね」
それは無いと否定すると、疑わしい視線を送ってきた。どうやら気になるらしい。
と言っても、何も言うことはない。完全に言いがかりである。でもそうしたところで、彼女は納得しないのも何となくイメージ出来た。
「本当に綺麗でした。見惚れてましたよ」
そう言うと、少し目を見開いた。俺の首元ぐらいまでしかない彼女。分かりやすく視線を逸らした。
「ありがとう……ございます」
言わせといて、その反応はずるいな。顔が赤く染まっているように見えるのは、きっと夕焼けのせいだろう。地味目な私服でも、山元美依奈が持つ個性は消えそうにない。
「少し話しませんか。コーヒー、ご馳走しますよ。缶のやつですけど」
ふと自販機とベンチが目に入ったから、無意識に言葉が出てしまった。言った後にナンパっぽくなったことに気づいたが、貫き通すことにした。
彼女は笑った。「ナンパみたい」と俺と同じことを言った。丁重に否定して、自販機で缶コーヒーを2本買った。微糖とブラック。好きな方を受け取ってと言うと、ブラックを手に取った。少し意外だった。
「今日はどうでしたか」
ざっくりとした質問になった。営業トークだと思えば何とでも言えそうだったのに、こうやって二人きりで公園のベンチに座ると緊張してしまう。
「すごく、楽しかったです」
「それは良かった」
缶コーヒーを両手でキュッと持ちながら、そう言う彼女。きっと本心なのだろう。ここで嘘をつく理由はない。こうして表舞台に立とうとしているのだから。
幸い、俺たちのことを怪しむような視線も無い。彼女はフリーである故に、送迎なんてのは無い。マネジャーも存在しない。だから今回に関しては、俺が送迎を担当することになった。
送迎と言っても、タクシー拾って自宅まで帰すだけだけど。無論、同乗はしない。
後片付けの手伝いをしたい気持ちはあるが、遠慮されたからやりづらい。だからこうして、彼女のメンタルケアでもやってる風を装うのが一番かもしれないな。
「……一人で撮影したのは、初めてなんです」
山元さんが、おもむろに言葉を漏らした。
「そうだった?」
「はい。基本的にメンバーの誰かと一緒で」
全然意識して無かったが、言われてみるとそうだったかもしれない。桃花愛未ソロ写真集とかも無かったし、雑誌のグラビアでも常にメンバーが隣に居た。
スタイルについては、好みが分かれるから何も言わない。一つ言えるのは、決してグラマラスではないということ。別に気にしない。
「どうでした? 一人で撮影した気分は」
彼女は恥ずかしそうに笑った。
「絵の中の主人公になったみたいでした」
「実際そうでしたよ。キラキラしてて、本当に綺麗でした」
微糖の缶コーヒーって、こんなに甘かったっけ。普段ブラックしか飲まないから分かんなかったけど、全然微糖では無い。激甘だ。胸焼けしてしまう。
撮影していた彼女はまさに、清涼剤のように爽やかで、秋の始まりを遅らせるような輝きがあった。この時間になると、少しだけ肌寒い。念のためにスーツのジャケット持ってきて良かった。
「弊社史上、一番綺麗なポスターになります」
「ふふっ。言い過ぎです」
「本当ですよ」
ポスターの中身については、また広告代理店との打ち合わせになる。その時に撮影してもらった写真も見せてもらうが、密かにこれが一番楽しみだったりする。完全に公私混同だな。別にいいけど。
10月下旬には印刷して、取引先等に配る予定だ。展示会までのアピール期間は約1ヵ月になる。その間に見た人の心をくすぐることが出来ればいいが。
夕焼けが、もう少しで沈んでしまう。
ちらりと横目で彼女を見る。相変わらず綺麗な黒髪。甘い匂いが風に乗ってやって来る。ドキリと胸が痛んだ。
「どうかしました?」
「あ、あぁいや!」
まさか問いかけられると思わなかったから、咄嗟に否定した。チラ見していたのがバレたようだったが、彼女はそれ以上何も言わなかった。
不思議な時間が流れている気がした。こんなにふわふわとした感触はいつぶりだろう。握手会じゃない。それよりもずっと前に体験した、あの青春の味に似ている。
「……学生時代を思い出してました」
「今もお若いのに」
「30越えたおっさんですよ」
人間、こうやって歳を取っていくのだろう。自分で言っておきながら、少し虚しくなった。ごほん、と咳払いをして喉に詰まった虚無感を胸に返す。
「どんな恋をしてきたんですか?」
「興味あります?」
「うーん。あまり」
「なんだそりゃ」
なら聞くなと言いたくなる。苦笑いすると、彼女は手を口元に当てて笑った。
「すごく物思いに
「年は取りたくないですね」
「えぇ。全くです」
同窓会でもやっている気分だ。彼女に関してはそんな年でもないし、俺より年下だし。
それでも、きっと濃い人生を送ってきたであろう。人前に立ち、あることないことを言われながら、俺たちに夢を与えてきた。そんな人生は、幸せなのだろうか。よく分からない。
「桃花愛未が居なくなって、幸せですか」
夕焼け色に染まった風が吹きつけた時、そんなことを言われた。あんなに暑かったのに、こんな時に秋風が吹くなんて聞いていない。冷たい缶コーヒーを渡してしまったのに。
「幸せが手元から、するりと」
「わぁ。ロマンティック」
「見栄っ張りだからね」
そんなこと言われたことなかったな。そんな一面があったとしても、恥ずかしくて遠慮してしまうタイプだから。
そう考えると、ロマンチストというのは見栄っ張りなのかもしれないな。本音を言いたくないから、洒落たことを言って誤魔化す。だとしたら、俺はその
「そうなると、私は誰かの幸せになっていたんですね」
その通りだ。あんなにネガティブなことしか言わなかった彼女の口から、思いもしなかった言葉が出てきた。
それが嬉しくて嬉しくて、溢れる笑みを隠せなかった。隠すつもりも無かったけれど。今日の撮影が何かのきっかけになってくれたのなら、それはそれでも。
「いまさら実感しましたか?」
「ふふっ。まさか。ずっと前からですよ」
ちょうど撤収作業が終わりを迎えていた。スタッフ達が俺たちのところまで挨拶に来てくれたから、二人して立ち上がって返した。
撮影した写真は後日の打ち合わせで確認することになった。予定通りだ。とりあえずは一安心。プロに撮ってもらったのだから、そんな心配はいらないだろう。
さっきまで吹いていた秋風は止んで、俺たちは公園を出ようと彼らに背を向けた。
「あの……新木さん」
呼び止められたから、振り返る。ブラックの缶コーヒーを顔の前に差し出して、可愛いらしい表情をした彼女がそこに居た。
「まだ飲み終わってなくて」
「――奇遇ですね。俺もです」
もう少しだけサボりましょうか。
そう言うと彼女は「良いですね」と笑う。会社に文句は言わせない。だってゲストのワガママなのだから。なんて、笑った。
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