第15話


 文房具メーカーだから、それっぽくしようなんて考えを持ちがちだ。構図を決める上で何が大事かと言うと、何よりもテーマである。

 会社として伝えたいことは何か。その根本を何よりも理解しなくてはならない。とは言うが、これが中々に難しい。

 無論、制作そのものは広告代理店へ依頼している。その話し合いの場でも、イマイチまとめ切れなかったのが本音だ。


 10月も目前になって、雲一つない秋晴れが広がっている。だが、太陽は俺たちを苦しめる。まだまだ暑い。秋と言われても到底信じられないぐらいだ。人が暑いと言えば「夏」なのだから仕方がないと割り切る。


 撮影日にはもってこい、と言えばその通りだ。晴天は美しい彼女に良く似合う。


 撮影は広告代理店が依頼したカメラマンがするらしいが、業界では中々に有名な人らしい。よくそんな人を使えるなと思った。委託金はめちゃくちゃ渋ったのに。


 委託金というと、今回彼女には当然出演料が支払われる。多分サクラロマンス時代であれば結構な額を積まなければならなかったであろう。

 ところが、彼女は「いらない」と言ってきた。今回は迷惑をかけたお詫びもあるから、なんて言われたから、普通に言い返した。「そんなのは、ありがた迷惑だから」と。

 ノーギャラ出演が明るみになれば、それこそ俺たちが叩かれてもおかしくない。これは契約だから、と大人の言葉を並べて何とか納得してくれた。


 思い返せば、こういうポスター撮影に同席させてもらうなんて初めてだな。スタッフたちが慌ただしく動き回っている。太陽と睨めっこしている反射板や、彼女を彩るヘアメイク達。まるでドラマ撮影のようで、少し面白い。


 都内郊外にあるこの公園。コスモスが見頃を迎えていて、ロケハンした時もスタッフ等の評価は上々。今がピークと言ってもおかしくないぐらいに満開である。

 うん。コスモス畑の中に居る桃花愛未を想像するだけで、絵になるのは明らかだった。


 だが「桃花愛未」という名前は使えない。


 俺も完全に失念していたが、その芸名は前の事務所が考案したモノ。だから使用するには許可が必要なのだが……わざわざ辞めた場所に聞くのも変な話である。退職した会社にまた電話しろと言われるぐらいには嫌だな。


 じゃあ違う芸名でも考えようと言った俺に、彼女は笑いながら言った。


入りまーす!」


 彼女は本名を選んだ。

 山元美依奈として一面を飾ると言うのだ。


 それは辞めたほうが良い、真っ先に否定した。隣に居た藤原も、話を聞いていた広告代理店の人間も、得策ではないと追撃した。

 なのに、彼女は言うことを聞かなかった。どうしてか理由を聞くと――。


『もう、後悔したくないんです』


 桃色の仮面を脱ぎ捨てて、素の自分で挑戦したい。その気持ちは分からないでもない。一度後悔した人間が考えそうなことである。

 そんなことを考えていると、山元さんが俺たちの前に姿を見せた。よろしくお願いします、と頭を各方面に下げている。泥酔していたあの人とは思えないな。


 でも――。


「…………」


 言葉を失うというのは、こういうことか。

 生まれて初めて、俺は人に見惚れてしまった。あの頃は目を合わせるのが怖かったのに、今はジッと山元美依奈の瞳を見つめられる。

 見惚れて、見惚れて、胸が高鳴って――。秋の風に吹かれる煌びやかな黒髪も、白色のワンピースも、薄化粧も、その全てが美しくて、周りの音が何も聞こえない。


「それじゃあ、撮影始めましょう」

「よろしくお願いします!」


 コスモス畑の中に立つ彼女を遠目で見る。

 何というか、改めて痛感することになった。あの子は俺なんかと生きている場所が違う。結果的に、これが背中を押すことになったのだろう。でもそれを素直に喜べない自分が居た。


 それもそうか。憧れのアイドルと知り合いになれたのだから。こんな偶然というか、奇跡はもう起こらないだろうに。少し寂しい。


「綺麗な子ですよね」

「え、そ、そうですね」

「ふふっ。いきなりごめんなさいね」


 彼女に見惚れていると、話しかけてきた一人の女性。金髪のショートカットが良く似合うスラリとした人だった。


「あなたなんですよね。あの子を起用しようと提案したのは」

「えぇ、まぁ」


 直感だが、この人も芸能関係の人なのだろうと感じた。都会に住んでいると、こういう撮影に遭遇することも多い。そのせいか、野次馬は全然居なかった。

 それなのに、この人はわざわざ俺と並んで見ている。もしかしてスカウトとか――。


「私、あの子のスタイリングを担当したの」

「あぁスタイリストさんですか……」


 全然違った。恥ずかしい。

 って、それもそうだな。起用の件も知っていたし、野次馬な訳がないか。俺、浮き足立ってんなぁ。握手会の時みたいだ。


「あの子、お化粧も全然してないのに。そんな元アイドルがいるなんてね」

「僕は世界で一番可愛いと思ってます」


 ふふっと笑われた。


「それ、恋人に言うセリフよ。そういう関係?」

「ま、まさか。そんなんじゃなくて……」

「年の割にはウブなのね、あなた」


 ひどく揶揄われている気がしたが、何も言わないことにしよう。何となく、喧嘩を売ると後悔しそうな気がした。

 視線を山元さんに戻す。色々なポージング、と言っても、すごく自然な彼女に見える。アイドルというか、彼女そのものを見ている感じがする。


「――あの子には不思議な魅力があるわ」

「そうでしょう。僕のですから」

「あ、そういうことね。なるほど」


 平日真っ只中に、ただ撮影を見学するのも社員に申し訳ない気もするが……目を離せない。

 今回の件で、俺が桃ちゃん推しだったこともバレちゃったし、報道のことも耳に入っているかもしれない。だから尚更申し訳ない。


「アイドルとして、どう見えます?」

「随分と抽象的な質問」

「いえ……スタイリストさんの意見を聞けるなんて、そうは無いんで」

「確かにそうかもね」


 彼女が抜けたサクラロマンスは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いでメディア露出をしている。ネットでの評価を見ると「桃花愛未が抜けたから」と書き込むバカも少なからず居る。

 そんなわけないだろうとレスしたくなるが、俺はいつもグッと堪えて飲み込む。


 ネット上での言い合いなんて、何も生まない。残るのは活字の残骸と虚しさだけ。それを楽しんでいるような人間は、人間じゃない。何も考えていない機械と同じだ。

 SNSで他人をディスるのは、現実的弱者に違いない。日頃のストレスを他人に向けるのは絶対にあってはならない。


 要は、桃ちゃんが抜けたことで人気になったのかどうかが知りたい。あんなに可愛くて綺麗な子が居なくなったのに、人気が上がるなんて考えたくなかったのだ。


「ファンの声と演じ手の意見は違う。それがこの業界なんです」

「――それは」

「印象操作なんてザラよ。メディア露出は立派な戦略。それを上手くやっているのが、サクラロマンスと言ったところかしら」


 ……ちょっと待て。

 その話を鵜呑みにするのなら、決して聞き逃せない。意を決して問いかけてみる。


「――桃ちゃんを踏み台にしたんですか」

「ざっくり言うとそうでしょうね。ネット、見てる?」

「一応。でも、彼女からは「事務所は古いから疎い」と」


 すると彼女は「まさか」と苦く笑う。


「イマドキの芸能事務所は、ネットに疎かったらやっていけない。戦略の一つを消してるようなものだから」

「……そんな」

「あなたが思ってるほど、綺麗な世界じゃない。この仕事をしてると、よくわかる」


 冷静に考えるとその通りだ。時代の最先端を追わないとすぐに置いていかれる。そんな業界。でもそれは――月の光のように美しいモノではない。

 一般社会とは構造がまるっきり違う。常識から何から、生きる世界そのものが別物なのだ。だからあの世界に求める俺の常識は、向こうからすれば常識ではない。いわば、である。


 するともしかしたら、彼女の心の状態を知った上で、あえて放置していたのだろうか。熱愛疑惑でネットが軽く荒れたが、報道の無実をリリースした。そして、脱退に至った。それだけ見れば、守った印象を受ける。


 ――でもそうじゃない。

 事務所は、桃花愛未が辞めた後のことを考えていた。彼らの立場になれば、それは当然である。この先も存続させて、利益を生み出さなければならないから。

 だから、桃ちゃんのことを切った? ネタにして、悲劇のアイドルグループでも作ったつもりだろうか。


「そんなの――あんまりだ」

「そうね」


 スタイリストはどこかへ行ってしまった。

 俺はもっと愚痴りたかったのに。彼女しか知らない情報をくれるかもしれなかったのに。

 コスモス畑の彼女は、この事実を知っているのだろうか。いや、知ったところで何になる。そもそも、まだ事実と決まったわけじゃない。そうだ。いくらなんでも早とちりすぎる。


 でも。一つだけ確実に言えることがあった。


 それは――彼女を手放したのを、後悔する日が絶対に来るということ。何の根拠もない。

 それでも、コスモスに負けない美しさを、桃花――いや、山元美依奈は持っているんだぞ。バカやろう。



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