第14話
考える時間が欲しいと言った桃ちゃん――もとい山元さん。期限は1週間。俺たちとしても展示会は3ヵ月後だから、あまり悠長なことは言ってられないのだ。彼女との交渉が頓挫すれば、180度方向転換しなくちゃいけない。
その時のために、山崎さんたちが動いてくれている。リスク管理という意味でも、販売促進部の人数を増やして欲しいのが本音だ。
で、今日がその返答の日。早ければ早いに越したことはないが、気長に待てばいい――と思っていたが、俺の周りはそうでもないらしい。それもそうか。
午前中にも連絡が無いまま昼休みを迎えた。一応催促しようかと考えていた時、携帯が鳴った。相変わらず登録していない番号が画面に映る。そのままタバコ休憩するつもりだったから、喫煙室に入って通話ボタンを押した。
「もしもし、新木ですが」
つい仕事のトーンになっていた。いや仕事なんだけど、それが彼女的に可笑しかったらしく、クスクス笑っている。
「お疲れ様ですっ」
「あ、ありがとうございます……」
なんだろう。よく分からない恥ずかしさがあった。先週バリバリの仕事モードで会っているというのに。二人きりというのがそうさせているのだろうか。
「今、一人ですか?」
「ええ。会社の喫煙室です」
「そうですかぁ」
どこか嬉しそうなのは気のせいだろう。
それはそうと、早速本題に入りたいんだが――先に口を開いたのは彼女だった。
「普段はあんな雰囲気なんですね」
「まぁ……30越えたおっさんです」
「すごく素敵だと思いますよぉ」
ドキッとした。心臓を針で刺された感じだ。握手会の時に言われたのとは、次元が違う。言わせたわけじゃないから。
俺に気がある、わけではない。それは確実に言える。きっと握手会の癖が抜けないのだ。変な期待をするのはやめておこう。咳払いをして誤魔化した。
「――それで、ポスターの件。決まりましたか?」
問いかけると、彼女は何故かムスッとした。
「お仕事モードですかぁ?」
砂糖を直接口に入れたような甘い声だった。何を言ってるのかよく分からんが。仕事に決まっているだろう。
「いや仕事ですから……」
「お昼休みじゃないのぉ?」
――嫌な予感がした。なんとなく。
タバコに火を付けようとしていた手を止めて、耳をすましてみる。
……うん。呑んでる。やってるなコイツ。ぷはーっ、なんてCMみたいなリアクションすら聞こえる。隠す気もないのか。
「山元さん。あなた呑んでますね」
「へーきですぅ……なんでもないですぅ……」
「参ったな……」
前にブログでも書いてた気がするな。酒が弱いのに飲むのは好きって。本当一回ぐらいしか言ってなかったから記憶から消えていたよ。
いやでも昼から呑むかね。仕事の返答をほったらかして泥酔するかね普通。社会人なら取引中止になってもおかしくない態度だぞ。
「……なんで呑んでるんですか?」
「んー……呑みたかったの」
「先に電話してからでいいでしょ? 分かる?」
「わかんなーい」
駄目だ。話にならん。今日が約束の期日だということすら分かっていない。だが電話してきたというのことは、分かっているのか? 頭がおかしくなりそうだ。
とにかく、盛大なため息をつくしかなかった。今の彼女に正常な判断を求めるのは無理がある。酔った勢いで「やる」「やらない」を言われても、困るのは俺たちなのだ。
「酔いを覚ましてから連絡ください」
「切っちゃうの?」
「切ります」
「えへへ。意気地なし」
「なんでですか……」
俺としても、彼女は重要な取引先である。仕事モードで電話したら酔っ払いが出てきやがった。その時点で切ってしまいたいぐらいだったのに、ここまで相手をしていることを褒めて欲しい。
だけど……うん。正直に言うのなら、酔っている彼女はめちゃめちゃ可愛い。可愛い。可愛さの権化。俺だけに見せてくれる顔、って気がして何故かテンションが上がる。
ここでようやく、タバコに火を付けた。向こうが酒を飲んでいるのだ。これぐらいは良いだろうと開き直る。昼休みの喫煙室なのに、誰も入ってこないのが都合良かった。
「山元さん、答えは決まりましたか?」
呆れつつ再度問いかけてみるが、ヘラヘラしてばかりで話が進まない。
「………分かんないの」
「はぁ……何がですか」
「あなたの心が。お酒飲んでも分かんない」
酔うと可愛いが、面倒なタイプらしい。
心が分かんないと言われても、そりゃそうだろう。俺だって平日の昼間から酒に溺れる君の心が分からない。
タバコの煙を吐くと、しゃっくりをする彼女の声が聞こえる。弱いのに飲み過ぎだ、と言うのは余計な世話な気がした。
「ねぇ。どうして私なの?」
「何がさ?」
「他に可愛い子はいっぱい居るよ」
まるで駄々をこねる子どものようだ。
悩んでいるように見えて、そうではない。心の中では答えが決まっている。なのに、それを俺に言わせようとする。ずるい女であるが、何故だかひどく愛おしくすら思えた。
「居るかもしれませんね」
「むぅ」
「冗談です。居ませんよ」
彼女がダメだったら、そもそもこの案は頓挫してしまう。だから、彼女以外の有名人を起用することもないのだ。そう考えると、俺の言葉には嘘はないわけで。
吐いては消えていく、タバコの煙が虚しく見える。
「新木さんの企みは分かってるのっ! もう傷つきたくないのに」
それは本音であろう。彼女に限らず、傷つくのが怖くない人間は居ない。ベクトルは違えど、その気持ちはよく分かる。怒られるだけで胸が痛むのだ。言葉の刃は、人を殺すことが出来る。
でもその言葉は、彼女の心を映し出していた。丸裸の、彼女の心を。
「やってみたいんですよね」
「―――」
俺がそう言うと、山元さんは言葉を探しているように見えた。必死になって、否定する言葉を酔った頭で考えている。
「自分に嘘をつくのは、辛いですよ」
「う、嘘はついてないもん」
「ふっ。そうですか」
「あーっ! いまバカにしたー!」
「ははっ。してないですよ」
酔うと幼児退行する彼女は置いておいて、やはり可愛いのには変わらない。怒らなきゃいけないのに、つい口元が緩んでしまう。今の俺はひどく気持ち悪い顔をしている気がした。鏡が無くて良かった。
タバコを押しつける。昼休みはまだ長い。このまま出ても良い。だけど、二人きりの会話を邪魔されたくない気持ちも僅かながらにあった。
「酔ってるあなたに決断は求めません」
「………怖いって言ったら笑う?」
「笑いません」
「どうして?」
「簡単ですよ」
心に傷を負ったことで、きっとトラウマになっているのだろう。それを取り除くことは出来ないけれど、背中を押すことは出来る。いや、俺はそうすることしか出来ない。
アルコールのせいで泣き出しそうになっている彼女のことを、俺はずっと見てきた。応援してきた。
「あなたのファンだからです」
だから、笑うわけがない。ファン対応が良い彼女が、アイドルを辞める決断をしたのにも相当な勇気がいったと思う。自身に汚名を着せてまで。
またその舞台に引き戻してしまう。それは承知の上だ。ただ一つ言えるのは、彼女はきっと悔いが残っている。このまま一般社会に溶け込んでしまうと、きっと。良くないことが起こりそうな気がした。
「――バカ。新木さんのバカ」
「随分な言い様ですね」
「傷つくのは怖い。でも――」
彼女はそう言ったけど、明日朝イチで連絡し直すと告げた。酔っている人に正常な判断は出来ないから。
翌日、電話をかけると凄い勢いで謝られた。何を言ったのかすら覚えていないというが、どこか頭はスッキリしたと笑っていた。
紆余曲折あったが、桃花愛未のポスター起用が決まった。とんでもない嵐を巻き起こす、そういう予感は、割と当たるモノだ。
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