第13話
『部長、実は――』
社会人になって最初に学んだ「報連相」をこんな形で発揮しなきゃいけないなんて。どうせ通らないだろうと思っていただけに衝撃だ。
会議が終わった後、部長だけには報道のことを伝えた。そして、その写真に写っていたのが自分であることも。すると彼は、その日一番笑って見せた。
『めちゃくちゃ面白いな。今年一番笑った』
笑い事ではないと思ったが、説教されるよりは100倍良い。別に本当に熱愛があったわけじゃないし、事務所側も否定しているのだ。一応、事態は落ち着いているコトを伝えた。彼もそれは理解したようで「気にしないでいいんじゃない?」と言ってくれた。
流石に二人きりで会ったことは言っていない。あらぬ誤解を招く恐れがあった。
「にしても、本当にアポ取れたんすね」
「俺の連絡網を舐めるなよ? 藤原」
結論から言うと、桃花愛未を起用する方針で纏まった。販売促進部で
無論、これはあくまでも社内だけの話。「起用しても良いですよ」と公認されただけだ。肝心の本人との交渉は、立案者である俺と、付き添いの藤原に託された。
普通に考えて、炎上商法だと誤解されると思った。だから本気にしていなかったんだが。役員の親父たちがメロメロらしい。そんなんで良いのかよこの会社。
「――にしてもよく通りましたね。あの稟議書」
「作った本人の前で言うか?」
「だってそうじゃないですか。新木さんだってブツブツ言いながら作ってましたし」
良い加減な稟議書なら、真面目な内容でも普通にケチが付く。だからそれなりに力を入れなきゃいけないんだが、今回は中々にしんどかった。
熱愛疑惑が直接的な原因じゃないにしても、グループ脱退の経緯は人によってはマイナス印象がある。それを減点と受け取られない理由を探すのに困ったのだ。
最終的には報道そのものがデマであったこと。これに尽きた。証人はここに居るし。下手に考えて言い訳を並べるより、毅然と事実を述べるだけで良かったのだ。
――で、とある喫茶店に俺たちは居た。
肝心の彼女を呼び出す手段には困らなかった。会社には、友人から何からツテをフル動員させたと言ってある。別に黒い繋がりではないのだ。多少のぼかしには何も言ってこなかった。
ショートメールじゃ無視されると思ったから、電話で声を掛けた。大切なお願いがあると伝えたら、電話越しでも分かるぐらいに身構えていた。来ないとは言わなかったから、とりあえずは安心である。
「でも本当に来るんですかね」
「待つのが嫌なら帰っていいぞ」
「新木さーんー。そんなこと言わないでくださいよぉー」
それより、なんでよりによってコイツなんだよ。体育会系とは思えない生ぬるい声が腹立つな。頼んだばかりのホットコーヒーも一瞬で冷めてしまいそうなほど。
部長いわく「良い経験になるから」とのことだったが、別の機会にして欲しい。ここは山崎さんのような頼れる先輩に同行して欲しかった。
「そもそも、新木さんはファンなんですよね? 公私混同じゃないんですか?」
「仕事なんて
「随分乱暴な考え方っすね……」
「引くな。悲しくなる」
いつも使う喫茶店であったが、待ち合わせには良い場所だ。幸い、俺たち以外に客は居ないし。モダンな雰囲気が純喫茶を思わせる。実際そうなのかは考えたことない。
コーヒーの苦味が口に広がっていく。タバコを吸いたくなる感情をグッと堪える。イマドキ珍しい全席喫煙可能という神のような世界。タバコを吸っているタイミングで彼女が入ってきたら最悪だ。印象も悪い。
二人並んで待っているもんだから、まるで合コンでもするように見える。恥ずかしいから早く来て欲しいのが本音だ。約束の時間まであと5分を切った時、店のドアが開いた。一人の女性。確信した。
「こちらです!」
手を挙げて促す。藤原が少し驚いていたが、彼女は俺の言葉に従うようにやって来た。俺たちの席の前に立って、それこそ困惑の顔をしている。
黒の帽子に眼鏡をしているが、確かに桃ちゃんだ。握手会以来、彼女に会えた喜びで頭がクラクラする。社会人の皮を被るが、全身を覆い切れていない気がした。
「お忙しい中、本当にありがとうございます。△◯文具・販売促進部の新木と申します。こちらは同僚の藤原です」
「よろしくお願いいたします」
二人で名刺を彼女に手渡す。藤原が砕けすぎた態度にならないか心配していたが、どうやら顧客へのマナーは身につけているらしい。一安心だ。
立ち話も何だから、と座るよう促す。彼女が椅子に腰掛けるのを見て俺たちも腰を落とした。マスターにコーヒーを一杯お願いして、一つ咳払いをする。
「今日は来てくださりありがとうございます」
「いえ……」
電話では、簡単に要件を伝えただけだ。
俺だけじゃなく、もう一人社員が居たことに困惑しているようだった。
「良い天気で良かったです。雨の中来ていただくのは大変でしょうから」
藤原、導入としては良い線だ。やはりお前は営業に行くべきだ。早く俺たちの部署から消えてくれ。これは出て行けというわけじゃない。背中を押しているだけだ。
「……雨は好きなんです。ちゃぷちゃぷと鳴る足音が心地良くて」
「
いや、俺は藤原が趣という言葉を知っていた事実に驚いている。
だがまぁ、それは置いておいて。藤原を連れてきて良かったと初めて思った。部長の言う「良い経験」にはなったのではなかろうか。
「――桃花さん。本題なんですが」
本名を知ってはいるが、彼女が名乗っていないのだからそれは筋違い。誤解される可能性も考えて、あえてこの呼び方をした。
幸い、俺たち以外に客は居ない。マスターとは顔馴染みだし、誰かに漏らすようなことはしないと約束してくれた。ありがたい。
「弊社では、3ヵ月後の展示会に向けてポスター制作を計画しております」
「……はい」
「そこで、あなたに一面を飾っていただきたいのです」
現在の彼女は、どこにも所属していないフリーランス。言い換えれば無職である。脱退してからの経緯は聞いていないが、事務所等を介さず済むのは俺たちからすれば都合が良い。
それは予算的な意味でもそうだが、何より本人の意思で決まること。裏方に操られることなく、やりたいかやりたくないかを判断基準にしてもらえる。これはファンであった俺個人の願いでもあった。
「あの……どうして私なんでしょうか」
相変わらず、警戒しているようだ。
それもそうか。アイドルを辞める日にそれを否定した男が言うんだから。これを復帰のきっかけにして欲しいとは思わないが、彼女の美貌を生かさないのは勿体ないのは事実としてある。
「お綺麗だから、という理由では駄目ですか」
「そ、そんなことないですケド……」
目を伏せて恥ずかしがる彼女。可愛い。めちゃめちゃ可愛い。そういうとこが男どもの心をくすぐるんだよな。なぁ藤原。
「可愛いっすね」
「だろ」
彼女に聞こえないようにボソッと呟く。初めて意見が一致した気がした。だが、若者ウケは間違いない。役員の親父たちもイチコロと聞いたから、ある意味これで怖いものなしだ。
「――でも、私を起用すれば迷惑が」
大丈夫。その点もしっかりと稟議書の中に盛り込んだ。
「問題ありません。報道の件は新木から聞きました。グループ脱退の経緯は、弊社のイメージに影響ないと」
「どうして、ですか」
「報道そのものが、事実無根だからです」
ここに来て、元所属事務所のリリースが役に立った。報道した週刊誌もあれ以上のことは深掘りしていないのも大きい。だがまぁ、ドルオタ以外の民衆はそんなに興味があるわけでもないだろう。
なら何故、彼女のことを叩くのかと言われれば、単純に流れに乗ってるだけ。馬鹿な生き物だ。本当に。
「で、でも……」
「桃花さん。アンチは何をしても騒ぎます。ですが、我々はあなたの魅力を黙って捨て置くほど人間出来ていないのです」
こんなことを稟議書には書けなかったが、俺の本心であることには変わりない。それは隣にいる藤原もそうみたいだ。うんうんと頷いている。
「弊社は俗に言う中小企業です。大企業のような知名度も無ければ力もありません」
「……」
「ですから、桃花さんの力を借りたいのです。あなたには、人の目を惹きつける魅力がある」
藤原はこれを公私混同と言うだろうが、それでも良い。事実、目を止めてもらわなければ意味がない。展示会のブースに足を運んでもらうことこそ、俺たちに課せられた使命。その先は営業の仕事だ。
「もちろん人目に付くことで、色々と言われる可能性はあります。誹謗中傷される可能性だって、ゼロではありません」
「………はい」
追い討ちをかけるような藤原の説明に、力無く頷く彼女。おそらく、一番気にしているところだ。それさえなければ、今も俺の手の届かないところに居ただろう。
「ですが、弊社に出来ることはやるつもりです。当社としても、知名度のある方を招いた販促活動は初めてですが、誹謗中傷には毅然とした対応を取らせていただきます」
「毅然と、した……?」
よく分かっていないようだった。藤原から説明のバトンを受け取る。
「近年、ネットを使った有名人への中傷は大きな問題になっています。弊社はそれをスルーするつもりはありません」
「……」
「ですから然るべき対応――つまりは、あなたをお守りします。批評を履き違えた中傷から」
然るべき対応というのは、簡単に言うと警察沙汰にするという意味。ポスターを出した時点で公式ホームページにその旨をアップする予定だ。
うちの上層部にここまで言わせるのだ。彼女が持つ魅力は凄まじい。アイドルを辞めてしまったのが本当に惜しいぐらいに。
でも、密かに嬉しかった。稟議書を上程した時の役員の顔。中小の意地を見せてやろうと躍起になっていた。この会社で働いてて良かったと思ったよ。
「――少しだけ、考えさせてください」
別に今すぐ結論を出して欲しいわけじゃない。俺たちもそのつもりで来た。「構いませんよ」と告げて、喫茶店を出て行く彼女を見送った。ドッと疲れたが、心地の良い疲れである。
「新木さん、営業の方が向いてるんじゃないです?」
「お前に言われたくねぇよ」
「どういう意味ですか?」
「藤原の方が向いているって意味だよ」
またまたぁ、と笑っている。別に今は良い。コーヒーのおかわりぐらいは奢ってやりたい気分だった。
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