第11話


 一人で飲みにでも行こうかと思ったが、そうしたところで切なさは消えそうもない。大人しく家に帰り、仕事を終えたスーツを脱ぎ捨てた。

 夜の7時を過ぎていたから、空腹感もある。近所のスーパーで買った惣菜を口に運んだ。安物の発泡酒を添えて。テレビを付けても、どこかで見たようなグルメ番組かクイズ番組しかやっていない。本当に面白くない。


 桃花愛未と握手した手の感触は、もうすっかり俺の手のひらに溶け込んでいる。だから普通に手も洗ったし。石鹸でしっかりと。


(……終わったんだなぁ)


 もう彼女を表舞台で見ることもない。そもそも一ファンというだけ。これまでの体験が異常なだけで、繋がりなんて――。そう思ったのも束の間。電話番号を知っているじゃないか。

 発泡酒を喉に流し込みながら、俺はスマートフォンで確認する。あの日のショートメールのやり取りを。


 電話帳に登録していないから、少し無機質な画面である。でもそれで良い。彼女の名前を入れてしまったら、消したくなくなる。

 その向こうには、確かに居たのだ。桃花――いや、山元美依奈が。俺の好きなあの子が。

 このまま、この機械に残しておくのは得策じゃないはずだ。酒に酔った勢いで、電話してしまいそうになるだろう。


 せっかく知ることが出来たのに。普通に生きていたら、好きなアイドルの電話番号なんて、ファンが知れるはずもない。でも……これで良い。消してスッキリした方が、俺の精神衛生を保つ上で重要だ。

 削除のボタンを押そうとした、まさにその時だった。画面が暗転して、震える。映し出される番号は、今の今まで見ていたモノと同じだった。


 躊躇った。右手に持ったスマホは震え続けている。せっかく消そうとしていたのに、それなのに、どうしてこの子は俺なんかに連絡を寄越すのだろう。

 報道に巻き込んだお詫びのつもりなら、もう十分に受け取った。だからこれ以上はもう良い。その意味を込めて、俺の方からこの縁を断ち切ることが正解な気がした。


 ――だけど。


「もしもし」


 それが出来ないのが、男というモノだ。

 もう一度だけ、彼女と話したいと思ってしまった。温めた惣菜が冷えてしまおうが、僅かに残った発泡酒がぬるくなろうがどうでも良い。

 あぁ、少しだけアルコールが回っているらしい。強いはずなのにな。まぁ疲れているだけだ。


「……山元です」


 さっきより声は低い。本名を名乗ったあたり、桃花愛未の姿を完全に脱ぎ捨てているみたいだ。でもどこか怒っているというか、ムスッとしているようにも聞こえる。


「いま、何してましたか」


 いきなり尋ねられた。家で食事中と伝えると、申し訳ないと謝ってきたから、気にしないでと告げる。

 君の電話番号を消そうとしていた、とは流石に言えなかった。


「今日は、ありがとうございました」

「い、いえ。そんな。お疲れ様でした」


 それを言うためだけに、電話してきたわけじゃない――。俺にも分かる。きっと彼女が気にしているのは、俺が言った言葉のことだ。


「どうして……あんなことを言うんですか」

「あんな、こと」

「アイドルやりたいだなんて、そんなこと思っていないのに……!」


 いいや。この子は分かっていない。

 思っていないのなら、わざわざ俺に電話なんて掛けてこないだろう。聞き流せば良い。でも、それをしないということは――図星だからだ。確信に満ちた感情が俺の胸に溢れた。


 すぅ、と息を吸った。互いに。


「嘘、つかないでください」

「どうして……!」

「捨てきれないから、電話してきたんですよね」

「………違う」

「違わない」


 必死の否定を簡単に打ち砕いた。

 俺がそう言うと、電話越しでも分かる言いた気な表情。


「後悔、しているんですか」


 彼女が抱いている感情は、とても一般人には分からないモノであろう。だが、今の彼女も山元美依奈という一般人である。

 だから、少しだけ分かる気がした。今なら、彼女の悩みを受け止められる根拠のない気持ちが胸を覆う。現役アイドルのままだったら、俺はきっと適当なことを言ってやり過ごしていただろうに。


「――この気持ちは、後悔と呼べるのでしょうか」


 俺の問いかけに応えるように。山元さんは、おもむろに言葉を紡ぎ始めた。ゆっくりと、噛み締めるように。自身の気持ちを、分かりやすく、俺に伝えようとしている。頼られている気がして、胸が高鳴った。


「全て私が蒔いた種なんです。辞めたいから、新木さんを巻き込んでしまって、報道されて。でも、終わったこの瞬間、全然爽快感は無くて。むしろ――寂しくて」


 自業自得だというのは、本人が一番理解しているようだ。少し安心する。

 辞めたいという気持ちは事実として、彼女の胸の中にある。でも、それは100%というわけでもないらしい。山元さんの声を聞けば、良く分かる。


「なんなんでしょうねっ。こんな面倒な性格だから――辞めて良かったんです」


 自嘲する彼女は、今どんな顔をしているのだろうか。さっき見せてくれたあの綺麗な顔は、歪んでいないだろうか。そうだと良いな、なんて思っても難しい話だ。


「――そんな訳ないです」

「えっ………」


 酒は飲める方だ。発泡酒を一、二缶ぐらい呑んだところで酔うことはない。それなのに、今日は違った。疲れと、慣れないこの状況のせいで、雲の上に居るみたいだ。

 酔った勢いでとはよく言ったモノで、気が大きくなったから、彼女にお説教でもしてやろうと思った。こうして歳を取っていくんだと思うと、虚しくなる。


「あなたは綺麗です。誰よりも。キラキラしてて、アイドルらしいです」

「……そ、そんなことは」

「疲れたのなら、少し休んでください。俺たちファンは、待ってますから」


 こんなことを言えば、困るのは彼女だと分かっていたのに。酒に酔うと言いたいことを言ってしまう。明日には忘れているだろうから、ここまで来たら全部言ってやろう。


「辞めても良いって言ってくれたじゃないですか」

「嘘だよ」

「お疲れ様って、言ってくれたじゃないですか」

「嘘に決まってるでしょ」

「……ひどい人ですね。新木さんって」


 あぁ、ふわふわとして気持ちが良い。

 ひどい人、なんて言った彼女は少し笑っていた。猫被っていた俺の本音を聞けたからだろうか。それとも「辞めないで」と言ったからだろうか。分からない。


 だけど、どのみち。

 山元美依奈は、アイドルであり続けたかったのは間違いない。精神的に追い詰められたのが原因だろうが、それが無ければ続けていたわけで。つくづくネット社会が憎い。


 気にしいな性格は、人前に出る仕事に向いていないのは確かだ。本人もそれを分かっているからこその苦悩。それに手を差し伸べることも出来ない。俺にそんな才能は無いし、やり方も分からない。


「嘘つく人は嫌いです」

「ははっ。よく言うよ。君も同じじゃないか」

「違いますー。私は嘘はついてませんからっ」


 不思議だな、さっき会った時よりも声はイキイキしている。そう、まるで――友達と話しているみたいに。

 友達、ねぇ。俺と山元さんはそんな関係じゃない。彼女は仕事を辞めるために俺を利用しただけに過ぎない。そういう意味では、ある種のビジネスパートナー的存在? いや無理あるか。

 いずれにしても、不思議な縁で結ばれているのには違いない。社会人になってからドルオタになった俺と、アイドル一筋の彼女。あまりにも釣り合わないが。


「今日は、本当にありがとうございました」

「いいえ。俺たちは待ってますからね」

「もうっ。何回も言わないでください」

「何度だって言いますよ」


 例え、歳を取って戻ってきたとしても。俺は彼女を応援するだろう。辞めても良いなんて嘘つかなければ良かったな。あそこで止めてたら、桃ちゃんのままだったかもしれないのに。


 嫌いなタラレバを何度も思ってしまう。

 これじゃあまるで、後悔しているのは俺の方じゃないか。いやそうなんだけどさ。


 もう会うことも無いかもしれない。話すことすら。だから、これ以上の深入りは不要なのだ。なのに――。


「――また、話せるといいですね」


 ずるい言い方だったな。これは二人きりじゃない。握手会だ。そこで話せるといいねと言っただけ。それに、後悔はしたくない。彼女の行く末を見届けたい。


 頭の中にそんな言い訳を並べながら、残り少なくなった発泡酒を飲み干した。




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 初の星3桁です。本当に嬉しいです。

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 これからもよろしくお願いします(懇願)

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