第9話
2週間前、彼女と電話をした日から、その名前をしばらくサクラロマンスのホームページで見ていなかった。それが昨日の夜、突然彼女に関するリリースがあった。復帰の知らせだろうと誰もが思った。
でも、違った。
――桃花愛未、脱退のお知らせ。
目を疑った。しばらくは活動してくれるとばかり思っていたから、この展開は頭から取り外していたのに。
ここ最近、グループアイドルのメンバーが抜けることを「卒業」と表現するのが主流になっている。別に何も思わなかったが、よくよく考えると変な話だ。脱退には変わりないのだから。
でも――脱退と表現するのは、メンバー側に何かしらの不祥事があったのではないか。なんてファンの心配を煽る。本来は間違った表現では無いのに、マスコミや世間が「卒業」と美化したせいで変な誤解を招きかねない。
その説明をするように、リリースにはこう記されていた。
『この度「脱退」と表現致しましたのは、本人の強い意向によるものです。自身の活動意欲の衰退は、ファンの皆様を裏切る行為であると自覚しており――』
いや、そんなことは無いんだけどさ。少なくとも、桃ちゃんは俺に勇気と感動をくれたし、生きる気力を与えてくれた。だから盛大に送り出してあげたかったのに、卒業コンサートすら開催しないとのことだった。
ただ、ファンクラブ会員を対象に桃ちゃんの握手会が開かれるらしい。ファンと直接話す機会を作りたいという、彼女の思いだった。
それは素直に嬉しい。一ファンとして、このまま消えてしまわれるのは気持ちの整理がつかない。最後に思いの丈をぶつけて、この桃担人生に終止符を打つ権利ぐらいあるだろう。暴言吐いたり、侮辱するような奴は居ないと信じている。
それでもやっぱり、最後に歌って踊る桃ちゃんを見たかった。それが本音だ。
会社の喫煙所で一人、煙を吐く。彼女への憧れがその煙に込められている気がした。
ネットニュースを見ると、随分好き放題言われている。「火の無い所に煙は立たない」とか「自業自得」とか。彼女を擁護するコメントには、それに対する誹謗中傷も見受けられる。
一人舌打ちする。こういう奴に限って、大して興味が無いのだ。ただ人のことを貶したいだけのしょうもない人間。ネットだろうがなんだろうが、人を馬鹿にする奴にはロクなのが居ない。
桃ちゃん――いや、山元美依奈さん。一気に一般人感が出てくるが、それでも可愛い名前だ。彼女はこれから桃花愛未の名を捨てて、山元さんとして生きていくのだろう。
そういえば、彼女の裏アカであるブルーローズにも動きがあった。しばらく沈黙していたが、いつの間にかポツポツと発言するようになっていた。
だがそれも大した内容では無い。どんなことを言っていたかも忘れた。
俺は彼女のことを知っているが、それ以外の人たちは知らないわけで。裏アカと言えど、きっと仕事の愚痴は言えないんだろうな。
誰とも繋がらず、ただ愚痴を吐くだけのアカウントも存在する。だがやはり、ストレスは人に聞いてもらいたい欲がある。きっと彼女もそうであろう。誰にも聞かれない愚痴というのは、寂しいモノだ。
(山元さん……か)
桃花愛未の連絡先を知っているファンというのは、日本に居るのだろうか。考えるだけで罪悪感に
話を聞こうと思えば、こちらからアクションを起こすことは可能だ。だけど、どうも勇気が出ない。
タバコの火を消して、少し考える。
喫煙所を出てしまえば、また仕事に戻らないといけない。どうも今はそんな気分じゃない。社会人失格だと言われようが関係無い。
最後の握手会は2週間後。リリースと同時にチケットを申し込んだ。今は電子で何とでもなるからこそ出来る芸当である。
そこで、俺のドルオタ人生は終わるだろう。今さらサクラロマンスの別メンバーを推すことはない。箱推しというわけでも無かったし。
そこで思い切り思いの丈をぶつけよう。……って何か告白するみたいだな。そんなわけはない。
ぶるるとスマートフォンが震えた。
ワイシャツの胸ポケットに入れていたから、少し驚いてしまった。見てみると、見慣れない番号からのショートメールだった。
『こんにちは。リリース、ご覧になりましたか?』
山元さんだった。念のために電話履歴を確認するが、番号は合っている。登録するのを忘れていた。というか、登録して良いものか考えてなあなあになっていたと表現する方がしっくりくる。
彼女にとって、俺はどんな存在になっているのだろうか。友人、と呼ぶには遠い気がするし、報道に巻き込んだお詫び、にしては近い気がする。
いずれにせよ、一定の距離を置いておく必要がある。色々な疑惑から彼女を守るためにも。俺がしっかりしないと。
『はい。見ました。こんな早くに辞めちゃうなんてショックです』
無視するのは良くない気がした。だから素直な気持ちを文字にする。フリック入力も随分と様になったものだ。ガラケー世代の俺にしては。
返事はすぐに来た。家に居るのだろうか。俺ももう一本タバコに火を付ける。別にいいさ。仕事なんて休んでなんぼなんだから。
『事務所側の対応は当然ですから』
それもそう……か。この間、彼女が電話で言っていたことはある意味本当なのかもしれない。桃花愛未に似合わない新曲がバズったことで、彼女の存在意義が無くなった。
本当にそうかは分からない。そうだとしても、俺がどうこう出来る問題でもないし。
いつの日かと同じぐらいに、タバコの味がしなかった。さっきまでしたのに、可笑しいな。
最近の連絡アプリには既読機能が付いている。これは本当にやめて欲しい。そもそも既読云々が面倒だ。だから「恋人なんて」って話になる。
好きな子とメールのやり取りをしていたあの頃が懐かしい。何度も「メール問い合わせ」してたっけ。たった数行の文字に想いを馳せて。
『今度、来てくれますか?』
時代は変わったなぁ。こうして連投出来るのも連絡手段がチャットっぽくなったからだ。イマドキ、メールでやり取りする方が珍しい。
それにしても、アイドル本人からの営業メール。思わず笑ってしまった。俺が知らないだけで、桃ちゃんは色んな人の連絡先を知っているのかもしれない。イメージは崩れるが、俺がこうして体験しているのだ。可能性はゼロじゃない。
彼女の問いかけについては、もちろんイエスだ。行くに決まっている。だけど、それだけじゃつまらない気がする。桃ちゃんと真面目なやり取りしかしてこなかったが、少し趣向を変えてみよう。
『行かなかったらどうします?』
ほんのイタズラ心というやつだ。よくよく考えてみると、俺は随分と真面目に受け答えしていたものだ。
人として当然のことをしたまでだが、もうすぐ終わりを迎えると思うと、多少ふざけても良い気がしてきた。
2本目のタバコを吸い終わって、一つ息を吐いた。僅かに残っていた煙を出し切るように。今ここにいる人間で、俺が桃花愛未と連絡を取っていると思う人は居ないだろうな。
握手会当日は、彼女が好きなスーツを着て行こう。タバコの匂いが付いていない綺麗なスーツで。桃色のネクタイを締めるのも悪くない。
週刊誌に載っていないカバンを持って行かないとな。会場でバレるのは流石にしんどい。
最後のイベント。それが終わったら、俺は何を思って生きていこうか。まぁ……いいや。終わってから考えても。別に生き急いでいるわけでもないから。
喫煙所を出ようとした時、呼び止められた気がした。だから少しドキッと体は固まる。視線を落とすと、その正体が笑っているように思えた。
『待ってますから。新木さんのこと』
この胸の高鳴りは、スマートフォンが震えたせいだ。
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