第8話
「ま、まさか、ホントに……?」
「本当ですよ。こんな偶然あるんですね」
これを偶然という言葉で片付けても良いモノなのか。かと言って言い換えるワードも思いつかない。とりあえず、ゴクリと固唾を呑んだ。聞こえていようが関係ない。
「えっと……あの、免許証ありがとうございました……」
「ふふっ。もう聞きましたよ」
「そ、そうですね。あはは……」
電話には慣れている――はずだった。
こんなにキョドっているのは随分久しぶりに思える。俺が勘違いしていたのは、電話そのものは慣れているが、それは相手次第だということ。一番大事なところを理解していなかった。
冷静になって聞いてみると、確かに彼女の声は俺がよく知っている声だった。聞きたくて聞きたくてたまらなかった桃花愛未の声。よりによって、なんでこんな形で。
「お元気そうで、良かったです」
優しく微笑んでいる顔が想像できた。あの日の、落ち着いた一人の女性の顔が。もう一ヶ月前になるのか。分かってはいたが、時の進み具合は早いモノだと改めて実感する。
「それを言うなら、桃ちゃんも元気そうで良かったです」
「はい。おかげさまで」
声の感じも、あの日より明るくなっていた。快活とまではいかなくても、一言二言交わしたぐらいじゃ、桃ちゃんだと気づかないぐらいに。だが電話越しに聞く声も、良いな。
冷房が効いてきたが、体の火照りは消えそうにない。汗は引いたけど暑い。決して気持ちの良いモノではなかった。
「あの……これってプライベートの番号?」
「そうですよ。私用スマホの番号です」
「それって大丈夫なんです? 立場的に」
素朴な疑問をぶつけてみる。
休養中とは言え、現役アイドルが自身の携帯番号を晒すことは絶対のタブーだ。どんな形であれ。
どうしてもお礼を聞きたいとか、桃ちゃんはそういうタイプには思えない。拾って連絡先を残すことに何のメリットがあるのだろうか。
「――バレたら不味いですね」
「ならどうして」
「私がこうしたいと、思ったからです」
ゴクリと喉が鳴った。二回目である。
手の届かない場所に居た桃花愛未の口から、そんなことを言われてドキドキしない男は居ない。まるで、あなたとお話ししたいと言われているみたいで。いや、きっとそんなんじゃない。多分この子は、俺を巻き込んでしまったことに罪悪感を抱いているだけだ。
「巻き込んでしまったから?」
「――はい。だから、やっぱりもう一度謝りたくて」
案の定そうだ。いや、逆にそれ以外何もない。変なことを考えた自分が恥ずかしい。絶対あり得ないのにな。
「いや、そこまでしなくても。結局俺には影響無かったんで」
「……それでも、私の気が済まなくて。本当に、どうかしてたんです」
そう言う桃ちゃんは、声を絞り出す。
「辞めたいからって、一般の人を、それもファンを巻き込んでしまうなんて、アイドル失格ですよね。本当、自分が嫌になります」
その通りだ。とは言えなかった。
けれど、少し安心したのは事実。自分の行為そのものは、ズレていると理解していたから。
こうして見ると桃花愛未は、そもそもの性格がアイドル向きじゃないのだろう。どちらかと言えば、一般人に限りなく近い感覚を持っている。俺がこうして普通に話せているのがその証拠だ。
「――でも俺は、そんな桃ちゃんが好きですよ。日本の芸能界で一番可愛いと思ってます」
「か、可愛いなんてそんな……」
言われ慣れている言葉だろうな。多分、言い寄ってくる男も居たはずだ。俺の言葉に嘘はない。
ドルオタにとって、自分の推しが一番可愛いに決まっている。異論なんて認めたくもないし。掲示板ではつまらないレスバトルも繰り広げられているが、本当につまらないから見たくもない。
「本当に、辞めるんですか?」
「……はい。もう、私が戻る場所は無いんです」
「そんなこと……!」
いつの間にか、体の火照りは消えていた。中古で買ったソファに背中を預けているが、どうも尻が痛い。替え時か。
夏の日差しは、これでもかと部屋に差し込む。クーラーの効果を薄めてしまうぐらいの熱を帯びている。
熱くなったスマートフォンが頬に当たる。いま俺が話しているのは桃花愛未ではないと、意識が訴えかけている気がした。気のせいだ。
「新曲、聴きました?」
「……そ、それは、その」
思わず
――あの曲に、桃花愛未は似合わない。ファンである俺がそう感じるのだ。きっと本人は、それ以上に実感しているのだろう。違和感というやつを。
「あのテクノポップに、私が馴染むとは思えないんです。だからアレは、遠回しに表現しているんだと思いました」
「表現?」
「あのグループに、私の席はもう無いってことです」
何かのドラマで聞いたセリフだな。
それはそうと、彼女の発言には違和感を覚えた。アイドルを辞めたいと言っている割には、随分と被害者感を出している。
意識的か? ……いや、これまでの辞めたがっている話を聞くとそういうわけでもなさそうだ。あるいは――本心は辞めたくないのか。
「あはは……これだと未練があるみたいですね」
「違うの?」と言いかけたが、飲み込んだ。これを言の葉にしてしまえば、なんというか。もう後戻り出来ない予感がした。
彼女が辞めたいというのだから、それを素直に受け止めるのがファンでないと。彼女の想いを一方通行にしてはいけない。俺は一ファンとして、君と接さなきゃいけないから。そう言い聞かせて、咳払いをした。話を切るように。
「とにかく、俺は桃ちゃん推しを全うしますよ。全力で」
「……ありがとうございます。優しいですね。応援隊長さん」
「こんなの当然ですよ」
優しいなんて、桃ちゃんに言われる日が来るなんて。本当、世の中何が起こるか分かったもんじゃない。
彼女は俺のことを知らないし、俺も表面上の彼女しか知らない。
何も考えず、桃ちゃんが辞めることでフラフラと生きるしか無くなった哀れなおっさんだ。独身を貫こうとすらしているし。
「休養期間はどうです? 楽しんでますか?」
「……はい。全てから解放された気分です」
「ははっ。そりゃ良いですね」
俺も会社を半年ぐらい休みたいよ。桃花愛未引退の傷心旅行と題して、ずっと家に引きこもっているのも悪くない。
「早朝、あのコンビニに寄ったら偶然見つけたんです。人が居ない時間帯でよかったです」
「そうなんですね。ホント助かりましたよ」
休養期間だから人目を避けたいのだろうか。それもそうか。アイドルといえど、表舞台を降りれば一人の人間。プライベートは確保したいに決まっている。お陰で無くさずに済んだし。
「あの、
「は、はい」
桃ちゃんが俺の名前を呼んだ。不意打ちすぎて、心臓が跳ねた。痛いぐらいに鼓動が鳴っている。
思えば、奇跡の連続である。推しの熱愛疑惑の相手が俺で、彼女と邂逅して、落とし物を拾ったのがその本人。出来過ぎと思うほどだ。
こんなことを仕組んだところで、何も無いだろう。全ては彼女自身の独断から始まったこの不思議な毎日。
「桃花愛未というのは、芸名なんです」
「え、えぇ。知ってます」
桃花、なんて苗字はあまりにも珍しい。愛未はよくありそうだが、流石に芸名だろうと思っていたし、本人も公言していた。
「新木さんの名前を知ってしまったので、不公平ですよね」
「へっ?」
「私の本名も教えますよ――」
それは唐突であった。どうして彼女は俺にそこまでするのだろう。固執しているとまではいかないが、俺に教えて何になるのだ。
そう思ったけれど、喉は閉まったまま。
「
随分と可愛い名前であることには、変わりない。
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